解 説
若林 踏
あまり翻訳ミステリに馴染みのない読者へ、現代海外警察小説の入門書としてお薦めできる本は何か。こんな質問が飛んで来たら、翻訳ミステリファンの方々は何と答えるだろうか。おそらく無数の有名シリーズが頭の中に浮かんでくるかもしれないが、筆者であればこう答えるだろう。マウリツィオ・デ・ジョバンニの〈P分署捜査班〉シリーズをまずは手に取ってみたらいかがでしょう、と。
〈P分署捜査班〉は、イタリアの作家マウリツィオ・デ・ジョバンニが二〇一三年より書き続ける警察小説シリーズだ。日本では第一作『集結』が二〇二〇年五月に創元推理文庫より刊行され、以来およそ年一冊のペースでシリーズの邦訳が続いている。筆者が本シリーズを海外警察小説の入門書としてお薦めする理由は大きく三つある。
まず一つは、シリーズ全体を貫く設定が明快であること。P分署とはイタリア・ナポリの最も治安の悪い地域を管轄するピッツォファルコーネ署の略称だ。かつて署の捜査班には四人の刑事がいたが、彼らがコカインの横領と密売という汚職に手を染めていたのが発覚したため、ピッツォファルコーネ署は機能不全におちいった。上層部は応急策として署長を交代させ、各地から刑事たちを集めて新たな捜査チームを立ち上げる。だが集められた刑事たちは優秀ながらも、以前の職場で何らかの厄介事を起こした者ばかり。問題児だらけの捜査チームで再始動したP分署は、果たして存続に必要なだけの成果を上げられるのか。こうした明確なストーリーラインから大きく逸れることなく展開するため、読者は各巻の物語に没入しやすいようになっている。
二つ目は個性的な刑事たちの造形である。前述の通りピッツォファルコーネ署にはさまざまな事情を抱えた刑事たちが勢揃いしている。優れた洞察力を持ちながらマフィアとの繫がりが疑われるジュゼッペ・ロヤコーノ警部。射撃の名手だが前署では発砲騒ぎを起こしてしまったアレッサンドラ・ディ・ナルド巡査長補。怒りに駆られると自制心を失い暴れることから〝ハルク〞と綽名されるフランチェスコ・ロマーノ巡査長。サングラスをかけ車をぶっ飛ばす、おちゃらけた調子のマルコ・アラゴーナ一等巡査。ざっと登場人物を紹介するだけでも、各人が尖った個性を持つ刑事たちであることが分かるだろう。刑事たちの群像劇という点でエド・マクベインの〈87分署〉シリーズからの影響を指摘する意見は多いが、例えば今野敏の〈ST 警視庁科学特捜班〉シリーズなど、キャラクターの強烈な個性で読ませる現代国内警察小説とも親和性が高いと筆者は考える。
三点目は一巻ごとの分量だ。翻訳ミステリでは特に二〇一〇年代以降、北欧圏やドイツ語圏を中心に各国の代表的な警察小説シリーズが続々と邦訳され、質量ともに充実した。それは非常に喜ばしい反面、なかには重厚長大な作品も多く、翻訳小説を読み慣れていない人にとっては尻込みして手に取りづらい一面もあったのではないかと察する。その点、〈P分署捜査班〉シリーズは現在の邦訳作はいずれも文庫本で三六〇頁前後。各刑事たちの私生活の様子も織り交ぜながら事件の捜査も手際よく描くとなると、長すぎず短すぎずのちょうど良い分量ではないだろうか。無論、頁数の多寡だけで本の手に取りやすさを論じるものではないけれど、これから翻訳ミステリの世界に親しんでいきたいと思う方に向けて、薦めやすい理由の一つにはなるだろう。
〈P分署捜査班〉は、イタリアの作家マウリツィオ・デ・ジョバンニが二〇一三年より書き続ける警察小説シリーズだ。日本では第一作『集結』が二〇二〇年五月に創元推理文庫より刊行され、以来およそ年一冊のペースでシリーズの邦訳が続いている。筆者が本シリーズを海外警察小説の入門書としてお薦めする理由は大きく三つある。
まず一つは、シリーズ全体を貫く設定が明快であること。P分署とはイタリア・ナポリの最も治安の悪い地域を管轄するピッツォファルコーネ署の略称だ。かつて署の捜査班には四人の刑事がいたが、彼らがコカインの横領と密売という汚職に手を染めていたのが発覚したため、ピッツォファルコーネ署は機能不全におちいった。上層部は応急策として署長を交代させ、各地から刑事たちを集めて新たな捜査チームを立ち上げる。だが集められた刑事たちは優秀ながらも、以前の職場で何らかの厄介事を起こした者ばかり。問題児だらけの捜査チームで再始動したP分署は、果たして存続に必要なだけの成果を上げられるのか。こうした明確なストーリーラインから大きく逸れることなく展開するため、読者は各巻の物語に没入しやすいようになっている。
二つ目は個性的な刑事たちの造形である。前述の通りピッツォファルコーネ署にはさまざまな事情を抱えた刑事たちが勢揃いしている。優れた洞察力を持ちながらマフィアとの繫がりが疑われるジュゼッペ・ロヤコーノ警部。射撃の名手だが前署では発砲騒ぎを起こしてしまったアレッサンドラ・ディ・ナルド巡査長補。怒りに駆られると自制心を失い暴れることから〝ハルク〞と綽名されるフランチェスコ・ロマーノ巡査長。サングラスをかけ車をぶっ飛ばす、おちゃらけた調子のマルコ・アラゴーナ一等巡査。ざっと登場人物を紹介するだけでも、各人が尖った個性を持つ刑事たちであることが分かるだろう。刑事たちの群像劇という点でエド・マクベインの〈87分署〉シリーズからの影響を指摘する意見は多いが、例えば今野敏の〈ST 警視庁科学特捜班〉シリーズなど、キャラクターの強烈な個性で読ませる現代国内警察小説とも親和性が高いと筆者は考える。
三点目は一巻ごとの分量だ。翻訳ミステリでは特に二〇一〇年代以降、北欧圏やドイツ語圏を中心に各国の代表的な警察小説シリーズが続々と邦訳され、質量ともに充実した。それは非常に喜ばしい反面、なかには重厚長大な作品も多く、翻訳小説を読み慣れていない人にとっては尻込みして手に取りづらい一面もあったのではないかと察する。その点、〈P分署捜査班〉シリーズは現在の邦訳作はいずれも文庫本で三六〇頁前後。各刑事たちの私生活の様子も織り交ぜながら事件の捜査も手際よく描くとなると、長すぎず短すぎずのちょうど良い分量ではないだろうか。無論、頁数の多寡だけで本の手に取りやすさを論じるものではないけれど、これから翻訳ミステリの世界に親しんでいきたいと思う方に向けて、薦めやすい理由の一つにはなるだろう。
さて、本書『鼓動』(原題:Cuccioli)は〈P分署捜査班〉シリーズの四作目に当たる作品で、本国イタリアでは二〇一五年に刊行された。物語は〝ハルク〞ことロマーノ巡査長が失意の日々を送っているところから始まる。自身の暴力が原因で、妻のジョルジャが家から出ていってしまったのだ。ロマーノの手元には弁護士から送付されたジョルジャからの別居要請の書類が届いていた。誰にも悩みを打ち明けられず、途方に暮れたままピッツォファルコーネ署へ出勤しようとしたところ、ゴミ集積所の大型コンテナにとんでもないものが放置されているのに気づく。それは生きた赤ん坊だったのだ。
慌てて赤ん坊を抱きかかえ分署へと駆け込んだロマーノは、そのまま共に病院へと急行する。幸い命は取り留めたものの、赤ん坊は感染症により予断を許さない状況であった。いっぽう分署の面々は赤ん坊を捨てた親の捜索を始めた。なぜ赤ん坊の親は、わざわざ警察署の近くに子供を遺棄したのか。ロヤコーノをはじめ捜査員たちは各所を奔走するが、やがて事態は思わぬ方向へと展開していく。
ロマーノが拾ってきた赤ん坊の親探しを大きな柱に据えながら、『鼓動』は幾つかの事件を並行しながら描いている。いわゆる〝モジュラー型〞と呼ばれる伝統的な警察小説のスタイルが〈P分署捜査班〉シリーズでも活かされているのだ。その内の一つは分署の最古参であるピザネッリ副署長が若い神父より受けた相談事だ。その神父は若い女性から、ある奇妙な告解を受けたという。また、おちゃらけた若者のアラゴーナ刑事は、街で出会った移民の少年から「いなくなった自分の犬を捜して欲しい」と依頼される。大小さまざまな事件を織り交ぜ場面を切り替えつつ、それらがどのように展開していくのかという興味で引っ張る点が巧い。また、刑事たちの視点以外にも語り手が不明のパートが時おり挿入されており、これが一体どのように事件と繫がってくるのか、という謎への興味を搔き立てることにも貢献している。さらにミステリとしての構造に言及しておくと、赤ん坊の親探しという捜査小説の形式に途中から真相当ての趣向も加わる点も注目だ。そもそも〈P分署捜査班〉シリーズには本格謎解き小説ファンも満足する真相当ての要素がきちんと備えられている。第二作『誘拐』で、とある物証からロヤコーノが推理を披露する場面が、その良い例だろう。本書でも、物語の途中で真相へ到達するための手掛かりがさり気なく提示されており、解決篇に相当するパートで示された時は大いに感心した。こうした謎解き要素の部分も存分に味わってもらいたい。
各刑事たちの描き方についても触れておこう。本書はシリーズ四作目ということもあって、それぞれのキャラクターにも微妙な変化が表れている。特に今回はロマーノ、アラゴーナの二名が、これまでの作品では見せなかった意外な一面を見せている。〝ハルク〞と呼ばれるほど粗暴な印象の強いロマーノだが、捨てられて危険な状態にある赤ん坊との交流を経て、心の奥底にある優しさが垣間見える。ロマーノが怒りに支配されてしまう根底には、弱い者への労(いたわ)りや愛情があったことが分かってくるのだ。いっぽうアラゴーナは少年の犬探しの依頼を受けて動く内に、不遜な態度の裏に隠れた刑事としての資質をさらに開花させていく。同時に犬探しという子供のちっぽけな頼みにも刑事として向き合う姿に、ピザネッリ副署長をはじめとする他の捜査員たちが一目置くようになるのだ。この他のメンバーにも仕事でもプライベートでもさまざまな変化が本書では訪れるのだが、取り分けロマーノとアラゴーナの描き方には目を惹かれるものがある。というのも、この二人が見せる弱き者への優しさこそが『鼓動』という作品を統べる主題になっているからだ。
慌てて赤ん坊を抱きかかえ分署へと駆け込んだロマーノは、そのまま共に病院へと急行する。幸い命は取り留めたものの、赤ん坊は感染症により予断を許さない状況であった。いっぽう分署の面々は赤ん坊を捨てた親の捜索を始めた。なぜ赤ん坊の親は、わざわざ警察署の近くに子供を遺棄したのか。ロヤコーノをはじめ捜査員たちは各所を奔走するが、やがて事態は思わぬ方向へと展開していく。
ロマーノが拾ってきた赤ん坊の親探しを大きな柱に据えながら、『鼓動』は幾つかの事件を並行しながら描いている。いわゆる〝モジュラー型〞と呼ばれる伝統的な警察小説のスタイルが〈P分署捜査班〉シリーズでも活かされているのだ。その内の一つは分署の最古参であるピザネッリ副署長が若い神父より受けた相談事だ。その神父は若い女性から、ある奇妙な告解を受けたという。また、おちゃらけた若者のアラゴーナ刑事は、街で出会った移民の少年から「いなくなった自分の犬を捜して欲しい」と依頼される。大小さまざまな事件を織り交ぜ場面を切り替えつつ、それらがどのように展開していくのかという興味で引っ張る点が巧い。また、刑事たちの視点以外にも語り手が不明のパートが時おり挿入されており、これが一体どのように事件と繫がってくるのか、という謎への興味を搔き立てることにも貢献している。さらにミステリとしての構造に言及しておくと、赤ん坊の親探しという捜査小説の形式に途中から真相当ての趣向も加わる点も注目だ。そもそも〈P分署捜査班〉シリーズには本格謎解き小説ファンも満足する真相当ての要素がきちんと備えられている。第二作『誘拐』で、とある物証からロヤコーノが推理を披露する場面が、その良い例だろう。本書でも、物語の途中で真相へ到達するための手掛かりがさり気なく提示されており、解決篇に相当するパートで示された時は大いに感心した。こうした謎解き要素の部分も存分に味わってもらいたい。
各刑事たちの描き方についても触れておこう。本書はシリーズ四作目ということもあって、それぞれのキャラクターにも微妙な変化が表れている。特に今回はロマーノ、アラゴーナの二名が、これまでの作品では見せなかった意外な一面を見せている。〝ハルク〞と呼ばれるほど粗暴な印象の強いロマーノだが、捨てられて危険な状態にある赤ん坊との交流を経て、心の奥底にある優しさが垣間見える。ロマーノが怒りに支配されてしまう根底には、弱い者への労(いたわ)りや愛情があったことが分かってくるのだ。いっぽうアラゴーナは少年の犬探しの依頼を受けて動く内に、不遜な態度の裏に隠れた刑事としての資質をさらに開花させていく。同時に犬探しという子供のちっぽけな頼みにも刑事として向き合う姿に、ピザネッリ副署長をはじめとする他の捜査員たちが一目置くようになるのだ。この他のメンバーにも仕事でもプライベートでもさまざまな変化が本書では訪れるのだが、取り分けロマーノとアラゴーナの描き方には目を惹かれるものがある。というのも、この二人が見せる弱き者への優しさこそが『鼓動』という作品を統べる主題になっているからだ。
そもそも『鼓動』の原題であるCuccioliはイタリア語で仔犬を指すものだが、この他にも広く動物の子を意味する場合もある。つまりCuccioliはアラゴーナが探す犬とロマーノが保護した赤ん坊、作中に登場する二つの庇護されるべき存在を指しているのだ。ほかにも、ナポリという都市の風景を映しながら、社会における弱い立場の人間たちの姿を幾つも浮かび上がらせている。無論、こうした視点は今までの〈P分署捜査班〉シリーズにも織り込まれていたものだが、『鼓動』ではより真正面から向き合っている印象がある。
いわゆる社会派小説としてのミステリの在り方について、作者のマウリツィオ・デ・ジョバンニ自身の考えを窺うことが出来る資料がある。ウェブサイト「The Crime Vault」に掲載されたインタビュー記事である。記事でデ・ジョバンニは同じくイタリアのミステリ作家であるドナート・カーリッジとともにインタビューに応じているのだが、その中で「犯罪で最も大きな犠牲を払うのは罪なき弱い者です」「私たちの社会は、子供たちや若者を守ることを放棄しています」「子供や青少年に対する犯罪を描くことは、社会の深淵に対する批判を伴うものです」という趣旨の発言をしている。また、デ・ジョバンニは「私にとってスリラー小説は現代を写し取る社会派小説です」というようなことも述べている。このような作者のスタンスに則れば、〈P分署捜査班〉シリーズが単なる娯楽小説に留まらない社会批評的な視座に立っていることは明らかだろう。
ただし、『鼓動』は必要以上にテーマを深刻に描き、読者に重くのしかかるような小説にはなっていない。同じ「The Crime Vault」のインタビュー内の「北欧圏の犯罪小説と南ヨーロッパの犯罪小説で、異なる点はあるか?」という質問について、デ・ジョバンニは南ヨーロッパのミステリを「より温かく、より感情的で生き生きとしたスタイル」と特徴づけていた。確かに〈P分署捜査班〉シリーズは各々の刑事たちが凄惨な事件に遭遇し、私生活でも悩みを抱えていても、ユーモアに富んだ場面も多数用意されており、暗く湿っぽい印象を感じさせない。マウリツィオ・デ・ジョバンニはナポリという街の現実に向き合いつつも、芯には優しさを備えた刑事たちの活躍で気分を上向きにさせてくれる。これもまた、〈P分署捜査班〉シリーズを翻訳ミステリの入門書としてお薦めしたい理由の一つでもある。
〈P分署捜査班〉シリーズは二〇二四年五月時点では本国で十一作までが刊行されている。『鼓動』の次作に当たるPaneの内容紹介を読むと、どうやらピッツォファルコーネ署の面々の前にはこれまでにない〝強敵〞との闘いが待ち受けている模様だ。果たしてどのような〝強敵〞なのか、邦訳を楽しみに待ちたい。
いわゆる社会派小説としてのミステリの在り方について、作者のマウリツィオ・デ・ジョバンニ自身の考えを窺うことが出来る資料がある。ウェブサイト「The Crime Vault」に掲載されたインタビュー記事である。記事でデ・ジョバンニは同じくイタリアのミステリ作家であるドナート・カーリッジとともにインタビューに応じているのだが、その中で「犯罪で最も大きな犠牲を払うのは罪なき弱い者です」「私たちの社会は、子供たちや若者を守ることを放棄しています」「子供や青少年に対する犯罪を描くことは、社会の深淵に対する批判を伴うものです」という趣旨の発言をしている。また、デ・ジョバンニは「私にとってスリラー小説は現代を写し取る社会派小説です」というようなことも述べている。このような作者のスタンスに則れば、〈P分署捜査班〉シリーズが単なる娯楽小説に留まらない社会批評的な視座に立っていることは明らかだろう。
ただし、『鼓動』は必要以上にテーマを深刻に描き、読者に重くのしかかるような小説にはなっていない。同じ「The Crime Vault」のインタビュー内の「北欧圏の犯罪小説と南ヨーロッパの犯罪小説で、異なる点はあるか?」という質問について、デ・ジョバンニは南ヨーロッパのミステリを「より温かく、より感情的で生き生きとしたスタイル」と特徴づけていた。確かに〈P分署捜査班〉シリーズは各々の刑事たちが凄惨な事件に遭遇し、私生活でも悩みを抱えていても、ユーモアに富んだ場面も多数用意されており、暗く湿っぽい印象を感じさせない。マウリツィオ・デ・ジョバンニはナポリという街の現実に向き合いつつも、芯には優しさを備えた刑事たちの活躍で気分を上向きにさせてくれる。これもまた、〈P分署捜査班〉シリーズを翻訳ミステリの入門書としてお薦めしたい理由の一つでもある。
〈P分署捜査班〉シリーズは二〇二四年五月時点では本国で十一作までが刊行されている。『鼓動』の次作に当たるPaneの内容紹介を読むと、どうやらピッツォファルコーネ署の面々の前にはこれまでにない〝強敵〞との闘いが待ち受けている模様だ。果たしてどのような〝強敵〞なのか、邦訳を楽しみに待ちたい。
■若林踏(わかばやし・ふみ)
書評家。1986年生まれ。文庫解説ほか、雑誌インタビューや書評などを多数担当。著書に『新世代ミステリ作家探訪』『新世代ミステリ作家探訪 旋風編』がある。
●シリーズ第1作『集結』解説[全文]:吉野仁
●シリーズ第2作『誘拐』解説[全文]:川出正樹
●シリーズ第3作『寒波』解説[全文]:三橋曉