トークイベント会場
【トークイベント会場の様子】

【編集部より】
本記事は、東京創元社の創立70周年を記念して2024年4月12日に代官山蔦屋書店で開催された対談イベント「東京創元社の翻訳ミステリを語る! 越前敏弥×服部京子トークイベント」を書き起こしたものの前編です。年末ミステリランキング1位獲得の舞台裏を語っていただきました。

◇登壇者
翻訳家・越前敏弥(以下「越前」)
翻訳家・服部京子(以下「服部」)
東京創元社編集部・佐々木日向子(以下「佐々木」)


●ミステリランキング1位獲得!のそれまでとそれから

◇はじめに――翻訳のお師匠について

佐々木 本日は翻訳家の越前敏弥先生、服部京子先生にご登壇いただきまして、東京創元社でお仕事を始められたきっかけや、ご自身の訳書、お好きな東京創元社の翻訳書についてお伺いしたいと思います。先生方よろしくお願いいたします。
(会場拍手)
佐々木 おふたりに共通するのが、最初のフィクションの訳書を東京創元社から刊行されたという点です。越前先生は最初の短編が『ディナーで殺人を』というアンソロジーの収録作(ジョルジュ・シムノン「競売の前夜」)で、長編はロバート・ゴダード『惜別の賦』。服部先生の最初の訳書はカレン・M・マクマナス『誰かが嘘をついている』です。私が入社した2009年には、越前先生はもうベテランの翻訳者さんでした。『ディナーで殺人を』が1998年初版、『惜別の賦』が1999年初版。越前先生が東京創元社でお仕事をされたきっかけはなんだったのでしょう。
越前 服部さんも同門なんですけど、田村義進先生という大ベテランの師匠がいまして、ちょっと変人だったりす……見てないよね? 田村さん。
服部 会場にはいませんよね。
佐々木 配信で見てらっしゃるかもしれません。
越前 とにかく、その田村さんの紹介です。
佐々木 おふたりの共通点のひとつが、田村義進先生のお弟子さんということです。やっぱり師匠のエピソードで盛り上がったりされますか。
越前 いや僕たちは群れないというか……田村さんの人柄によるところもあるんだけど。あんまり集まったりせず、つかず離れずのいい関係を築いています。
服部 田村先生は仙人ぽいですよね。
越前 いい意味でも放任主義っていうのかな? あんまりべたべたしない。過保護にならないんだよね。僕も今、そのおかげで仕事をやれてるところはあると思う。
服部 あと、あんまりひとを褒めません。
越前 ライオンが子どもを崖から落として、這い上がってくるやつを拾うみたいなところはあるかもしれない。
◇ミステリランキング1位! 『飛蝗の農場』と『自由研究には向かない殺人』

飛蝗の農場&自由研究

佐々木 東京創元社では以前刊行された本の復刊も進めておりまして、今回復刊となったのが、越前先生訳のジェレミー・ドロンフィールド『飛蝗の農場』で、『このミステリーがすごい!』海外編第1位と、『IN★POCKET』文庫翻訳ミステリー・ベスト10総合部門第1位の2冠に輝いた、すごい作品です。
越前 懐かしいですね、『IN★POCKET』。年末ランキングの中では最初に結果が出たんですよ。その後で『このミス』とか〈週刊文春〉が出る。ただ、このランキングの対象作品は文庫だけでした。
佐々木 そして隣に並んでいるのがホリー・ジャクソン『自由研究には向かない殺人』。服部先生が翻訳された作品で、〈ハヤカワ・ミステリマガジン〉ミステリが読みたい! 海外篇第1位に輝いた作品です。
越前 すごいですね。
佐々木 ちなみに本屋大賞翻訳小説部門の第2位で、さらに言ってしまうと、昨年刊行された本シリーズ3作目『卒業生には向かない真実』が〈週刊文春〉2021ミステリーベスト10海外部門の1位にもなりまして。
服部 いえ~い(会場拍手)
佐々木 先日発表の本屋大賞翻訳小説部門も第2位にランクインしました。
服部 また2位だけど、いえ~い。

飛蝗の農場2種
【左:2002年初版の旧版書影/右:2024年の新装版書影】

佐々木 越前先生は『飛蝗の農場』の原書を初めてお手にとられたとき、どういう気持ちで読まれましたか?
越前 訳者あとがきにも書きましたが、「――なんだ、これは?」と。どう展開するかまったく読めない。予想していた流れと全然違う話が突然始まって、元に戻ったかと思えばまた変な話が始まって、全体像がわからなくて……今だと、ひょっとしたら似た作品はあるかもしれないけど、当時はまったくなかったと言っていい。詳しいことを言うとネタバレになっちゃうけど、「こんな変な本は初めて読んだ」という感じでした。
服部 この本は、どんな形で先生のお手元に届いたんですか。
越前 僕はリーディングをしてないんですよ。他の人がリーディングしたのを、これ翻訳してみませんか、という話をいただいて。
(編集部注:リーディングとは翻訳者さんに原書を読んでいただき、その作品が出版に値するかどうかを検討すること
越前 当時創元にはいくつか翻訳企画を持ち込んでいました。企画は通らなかったんだけど、あるとき持ち込んだ本はびゅんびゅん時空を超えるような話で。松浦さんという当時の編集者が、「こういうのが好きなら、これはどうだろうか。The Locust Farm『飛蝗の農場』原題)というのがあるんだけど」と勧めてくれたんです。そしたらこっちのほうがより変で、より時空がびゅんびゅん飛んで、これはすごいとふたつ返事で引き受けた。その代わり、ぎゅうぎゅうに字が詰まってる作品だから……
服部 ワンパラグラフ(一段落)がすんごい長いですよね。
越前 翻訳してて、脳に乳酸がたまってくるんですよ。5行訳すと乳酸がたまるんで、30分休まないとやってけないという大変さがありました。
佐々木 服部先生はお読みになってどんな感想をもたれましたか?
服部 読んでも乳酸がたまるなと。自分が翻訳の話を振られたら、南の島に逃げちゃえ~!と思うくらい。この作品、すごくないですか。越前先生が選ばれている日本語の単語もすごい。「しょうじょう」とか。
越前 「蕭条たる」。うら淋しいとかそういう意味で、当時僕が好きだった言葉です。
服部 「えんえん」も妙な字で……
越前 僕も書けないけどね(笑)。「蜿蜒たる」という、「延々」ではない蛇みたいな字。でもそれってたぶん、編集の松浦さんが直したやつなんですよ。「正確にはこっちですよ」と。言葉にものすごく的確なアドバイスをくださる方で、僕は松浦さんが最初の編集者だったから、すごく勉強になりました。一万本ノックというのがあって。
服部 (何かを察したような笑み)
越前 『飛蝗の農場』のゲラだけで、一万箇所くらい書き込みが入ってるんですよ。全体が500ページで、1ページ20箇所くらい入ってる。そういう人だったんです。
(編集部注:松浦正人……東京創元社編集部勤務を経て、現在は文庫解説や雑誌への寄稿などで活躍している。編著に〈連城三紀彦傑作集〉『六花の印』『落日の門』
佐々木 『飛蝗の農場』には、当時から「こんな作品、読んだことない」という評価がありました。本書がランキング1位に輝いたと耳にして、お気持ちはいかがでしたか?
越前 この本って、最初は全然売れなかったんですよ。初版も他の本よりちょっと少なかったり。当時、講談社文庫の目玉商品がパトリシア・コーンウェルで、彼女の作品がだいたい『IN★POCKET』の1位になっていました。でもその年はなぜかコーンウェルに勝った。1位が『飛蝗の農場』で、2位が……
佐々木 『女性署長ハマー』です。
越前 今は考えられないですけど、『IN★POCKET』にはランクインした作品すべての初版部数が掲載されていたんです。『飛蝗の農場』の初版は、コーンウェルの50分の1。この本には車の描写がけっこうあるんで、翻訳の参考にするために運転免許をとったんですけれど、初版印税は教習所の代金に毛が生えた程度だった(笑)。それが1位になったことで売れて、ありがたく生活できるようになった。北上次郎さんが朝日新聞の書評で誉めてくださったのが、たしか話題になったきっかけなんですよ。

◇『自由研究には向かない殺人』ができるまで

佐々木 続いて『自由研究には向かない殺人』です。これは服部先生から持ち込みをいただいて、同時期に私も服部先生に翻訳をお願いしたいと思っていたという作品です。
越前 運命の出会いですね。
佐々木 まさに運命です。服部先生はどういうきっかけで原書を読まれたんですか?
服部 海外の書評サイトで、やけに高評価だったんです。だからきっと面白いだろうと読み始めると、ものすごく面白くて。これはレジュメを書かにゃならんと思ったんです。
(編集部注:レジュメとは原書につき、書誌情報/著者情報/登場人物表/あらすじ/作品の評価/類書の有無などをまとめたもの。翻訳可否を判断するための重要資料)
服部 でも頭がなんというか、はやくはやくはやく書かなきゃ他の出版社さんにとられちゃったらどうしようって、指をがんばって動かしました(キーボードをダダダダと打つ仕草)。
佐々木 おかげさまで、スピーディに翻訳権の交渉に入れました。でもこの本は、その後も苦労がありました。日本での翻訳出版の権利が空いているかを代理店さんに聞いたところ、返事がぜんぜんこなくて。
服部 返事が来るまで長かったですね~!
佐々木 ようやく返事がきた後も、2作目『優等生は探偵に向かない』の翻訳権も一緒に取得してくれと言われました。そちらも急いで服部先生に読んでいただいて、これもすごくいい作品だと判断して、一緒に刊行したいということになりました。
服部 でもこのシリーズは競合になったんです。
(編集部注:競合とはひとつの作品につき、複数の出版社が翻訳権取得の希望を伝えた状態。返事をそわそわしながら待つことになる)
服部 外出先で佐々木さんからお電話いただいて、「競合になっちゃったんです!」「えー!」みたいなやりとりがありました。ちょうど『優等生』を読んでいる最中だったんですね。で、佐々木さんが「2作いっぺんに翻訳権のオファーを出したほうが有利なので、今すぐ2作目のあらすじ言ってください!」って。
佐々木 そんな無茶ぶりしましたか?(笑)
服部 されました!
佐々木 失礼しました。1作目と2作目、どちらも面白いんだけど、2作目にはまた違った面白さがあるとおっしゃっていた記憶があります。
服部 私も慌てものなんで、「こういう話です」と穏やかには言えず、「ここはこうこうこう!」と申し上げたら、佐々木さんが「じゃあそれでいきましょう!」と。勢いがありましたよね。
越前 三部作だとは当時からわかってたんですか?
佐々木 正確にはわかりませんでした。でも、『優等生』のラストを読めば、あれで続きがないことはないだろうなとも考えていました。
越前 それはそうか。でも、あんなとんでもないことになるとは思ってなかったでしょう。
服部 本当ですよね!
佐々木 ネタバレはできないのですが……3作目ではとんでもない衝撃が待っています。

〈向かない〉三部作
【〈向かない〉三部作書影】

服部 1作目のカバーデザインはすごく爽やかで、青春まっただなか。2作目が夕焼け。そして3作目が真っ黒になっています。
佐々木 風景は似ているのですが、空の色で何かを表現しています。
越前 あれ、4つめは何色でしたっけ。
佐々木 4作目は『自由研究には向かない殺人』のような青色です。『受験生は謎解きに向かない』という、2作目と3作目のあいだに本国で刊行されたノヴェラ(中編)を翻訳していただきまして、『自由研究』の前日譚にあたります。もし「1作目は分厚いな」と思われた方は、薄い『受験生』から読んでいただいても大丈夫です。越前先生は『自由研究には向かない殺人』『優等生は探偵に向かない』『卒業生には向かない真実』三部作を読まれていかがでしたか?
越前 まあ、びっくりしました。実は読む前に3作目が衝撃的だとは聞いていたんだけど、それを上回るびっくりですよね。これだけのシリーズ全体の急展開というのは……もちろん1作目も面白かった。爽やかさがあって、謎解きの部分もしっかりしていて、やられた~という感じだった。ただ、3作目はやられたどころじゃない。すれっからしのミステリファンは、評価はするけど投げ出したくなるような、賛否両論というか、すごい作品です。僕は一気読みができない方なんですけど、この3作目は本当の一気読みでした。
服部 何よりのお言葉です。
越前 みんなが一気読み本と言っているものも、僕は途中で眠くなったりするんだけど(笑)、このシリーズは、特に3作目は眠れなかった。
服部 この三部作+前日譚は〈向かない〉シリーズと呼ばれていますが、実は私と佐々木さんで決めたわけじゃありません。
越前 たしか、全国の翻訳ミステリー読書会のメンバーでわいわい話しているうちになんとなく決まった。
佐々木 でも邦題を「向かない」で揃えられてよかったと思います。最初はあまり共通の文字を入れようとは考えていなかったんですよね。
服部 2作目のときに「向かない」で揃えようかなぐらいの感じでした。
佐々木 はい。3作目の邦題は初め『卒業には向かない真実』になりそうでしたが、「『卒業』にはいろいろな使い方があるから、学生らしく『卒業生』のほうがいい」と先輩編集者からアドバイスされて、このタイトルになりました。そして、「ミステリ史上最も衝撃的な三部作!」というキャッチコピーもつけました。
越前 そうだと思いますよ。
佐々木 それこそ衝撃度では『飛蝗の農場』に迫るんじゃないかと思います。

◇少年少女の口調を訳すとき

佐々木 『自由研究には向かない殺人』は、高校生のピップが自分の町で起きた事件を再調査するという話です。服部先生に小社で初めて訳していただいた『誰かが嘘をついている』も高校生たちの話でした。服部先生は高校生のお話を意識して探されていますか?
服部 そうですね。なんか……可愛くて。『誰かが嘘をついている』は略して『誰嘘』と呼んでるんですけど、主人公の4人が、とにかく可愛くて。ピップも可愛いですけどちょっとほら、こまっしゃくれてるというか(会場笑い)
越前 『誰嘘』だと誰が可愛かったんですか?
服部 アディという、高校のプリンセスの子です。事件を通して成長していく姿も描かれていて、ほんと4人とも可愛くて……ピップはこまっしゃくれてます。
佐々木 翻訳小説では、高校生の口調などはどうしても古めかしくなりがちなのですが、服部先生はすごく生き生きと訳されていている印象です。普段から意識されていますか?
服部 そうですねぇ。私が高校生だったのはもう三百五十年くらい前ですが、それをなんとか思い出してます。そういえば作品に「かかとのストラップがついてないサンダル」というものが出てきたことがあって、私「つっかけ」って訳したんです。すると佐々木さんが「さすがにつっかけは……」みたいにおっしゃって。
佐々木 結局「ミュール」になりました。
越前 あ。気づかないですね。自分では。
服部 「あの子が好き」って意味で、「ゾッコン」とか「ゾッコンラブ」とか使っちゃう。
越前 「ゾッコン」って「ナウ」かったんだよね(笑)
服部 「くびったけ」とかもです。それはともかく、ふだん翻訳ミステリを読まない方にも届け~という気持ちで訳すと、すごく楽しい。
越前 自分が若返る要素にはなるかもしれないですね。僕も『ロンドン・アイの謎』をやっているときはそうだった。

ロンドン・アイ&グッゲンハイム

佐々木 『ロンドン・アイの謎』のお話が出ました。こちらはシヴォーン・ダウドという、デビュー後すぐに病気で亡くなられた児童文学作家の本で、帯のキャッチコピーからわかるように直球の謎解きミステリです。ロンドン・アイという実在の観覧車が舞台となり、そこで少年が消えてしまう。謎はシンプルなんですが、すごく読みごたえのある作品です。越前先生はどういったきっかけで本作を読まれたのでしょう。
越前 『怪物はささやく』というシヴォーン・ダウド原案の作品を読んで、「この作家すごいなあ」と思い、色々読んで未訳のものを探しました。児童書もしくはYAの作家なので、本来は僕がやるジャンルじゃないと思いながらでしたが、『ロンドン・アイの謎』は本格ミステリっぽいと思って取り寄せたんです。読むと本格ミステリとしてしっかりできていて、かつ完全にシヴォーン・ダウドの作品。亡くなったダウドの原案を元にロビン・スティーヴンスという別の作家が書いた『グッゲンハイムの謎』とあわせて創元に持ち込みました。
佐々木 ええ。弊社では毎年初夏にホンまつりというものを行なっているんですが、そこに服部先生に遊びにきていただいて……
服部 『ロンドン・アイの謎』が発売日前に売られていたんです。ラッキー!と手にとりました。
佐々木 やっぱり服部先生もお好きですよね、こういう作品。
服部 テッドくん(本作の主人公)が可愛いです。
越前 可愛いですよね。この本に出てくる子たちもみんな可愛いです。
服部 お姉ちゃんもね。
越前 だいぶ反抗期で、可愛い。実はいいやつなんです。
佐々木 小学生くらいから読める作品で、ルビ(ふりがな)もたくさん振りました。
越前 初めて読むミステリにしてもらえれば嬉しいです。

《後編(6月25日公開)はこちら》




■越前敏弥(えちぜん・としや)
1961年生まれ、東京大学文学部卒業。英米文学翻訳家。ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』『オリジン』、エラリイ・クイーン『災厄の町』『フォックス家の殺人』『十日間の不思議』、フレドリック・ブラウン『真っ白な嘘』『不吉なことは何も』など訳書多数。主な著書に『翻訳百景』『文芸翻訳教室』『この英語、訳せない!』などが、共著に『シートン動物記で学ぶ英文法』などがある。

■服部京子(はっとり・きょうこ)
翻訳者。中央大学文学部卒業。主な訳書にボーエン『ボブという名のストリート・キャット』、キム『ミラクル・クリーク』、ジャクソン『自由研究には向かない殺人』『優等生は探偵に向かない』『卒業生には向かない真実』など。


飛蝗の農場 (創元推理文庫)
ジェレミー・ドロンフィールド
東京創元社
2024-01-29






ロンドン・アイの謎
シヴォーン・ダウド
東京創元社
2022-07-12


グッゲンハイムの謎
ロビン・スティーヴンス
東京創元社
2022-12-12


怪物はささやく (創元推理文庫)
パトリック・ネス
東京創元社
2017-05-28