日本SFは「笑い」が好きだ。心温まるユーモアに、ゲラゲラ大笑いさせ、時には眉を顰(ひそ)めさせるような突飛で不謹慎な笑い、あまりにもくだらなくて思わず笑ってしまう脱力系なども大好きである。星・小松・筒井の御三家から横田順彌(よこた・じゅんや)、かんべむさし、火浦功(ひうら・こう)、田中啓文(たなか・ひろふみ)……と、笑いをこよなく愛するSF作家の名前を挙げていけばキリがない。
今回のイチオシ、宮澤伊織『ときときチャンネル 宇宙飲んでみた』(東京創元社 一八〇〇円+税)は、そんな歴史に新たな一ページを加える底抜けに明るく楽しいスラップスティックな連作集だ。小中学生に間違われるくらいの外見だが立派な社会人の十時(ととき)さくらが、生活能力ゼロの同居人でマッドサイエンティストである多田羅未貴(たたら・みき)の発明品を紹介する動画配信という設定で、地の文がさくら、「」が多田羅の声、〈〉が配信によせられた視聴者のコメントという、動画の文字起こしのようなスタイルで進む。その発明というのが、冷蔵庫を改造した量子コンピュータで偶然アクセスした超高次元の粒子間ネットワークから拾ってきた情報を基にした、とにかくぶっ飛んだものばかり。マグカップに入った宇宙とか、部屋の隅っこを走り回る時間とか、部屋の外を自動生成した家の内部情報で構成するスクランブラーとか、未来から送られてくる、通常の物質とは特性や物性が違う物質とか、毎回とんでもない理屈が語られて未曾有(みぞう)の事態が発生しているのだが、語り口がのほほんとしているのでただただ呆気(あっけ)にとられてしまう。さくらと多田羅の掛け合いも絶妙で、ハードSF的なアイディアの奔流(ほんりゅう)に翻弄(ほんろう)されながら、視聴者と一緒に配信を楽しんでいるような錯覚に陥る。さくらが描いたという設定らしい、事態を説明する挿絵がまた可愛らしくて、ほのぼのした世界観の構築に一役買っているのも見逃せない。連作はまだまだ続くようなので嬉(うれ)しい。
ジョン・スラデック『チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク』(鯨井久志[くじらい・ひさし] 訳 竹書房文庫 一三五〇円+税)はブラックユーモア満載のエッジの効いた長編小説。独房で死刑宣告を待ついわゆる「囚人の語り」で始まる物語は、人間を傷つけないという「アシモフ回路」を組み込まれたロボットが量産され使役されている世界で、なぜかその回路が作動しておらず殺人をはじめとする悪事を「実験」と称して繰り返すチク・タクの半生が、ある少女の殺人から画家として成功し、ロボット解放運動を指導する近過去と、アメリカ南部の大農園を営むカルペッパー一家をはじめとして、さまざまな所有者を転々とする遠過去を行き来しながら語られていく。悪事を働けば働くほど出世するいわゆるピカレスク・ロマン的な風刺小説だが、入れ替わり立ち替わり変人が登場して珍妙な演説を打ち、次々おかしな細部や事物が羅列(られつ)されるスタイルはいっそサド公爵の作品を思わせる。原文では章のはじめの文字がアルファベット順になっている(訳文ではいろは順)のも含め、規則的な単調さがかえってエモーショナルな読みを誘って、チク・タクの恋の悲しい成り行きや、チェスをさす老人のエピソードなどがセンチメンタルな感慨をもたらすキュートな物語にもなっている。
■渡邊利道(わたなべ・としみち)
作家・評論家。1969年生まれ。文庫解説や書評を多数執筆。2011年「独身者たちの宴 上田早夕里『華竜の宮』論」が第7回日本SF評論賞優秀賞を、12年「エヌ氏」で第3回創元SF短編賞飛浩隆賞を受賞。