SF、ミステリ、ホラーそれぞれのジャンルで活躍し、『アリス殺し』をはじめとする数々の人気作品を生み出した、鬼才・小林泰三さん。初期の傑作を中心に集成したSF短編集『時空争奪 小林泰三SF傑作選』(創元SF文庫)の発売を記念し、同書巻末に収録された「解説に代えて」を全文公開いたします。
解説に代えて
「SFとミステリで、それぞれ自選短編傑作集をつくりませんか?」
小林泰三(こばやし・やすみ)さんにそう提案したのは、メールの履歴を辿ると、2017年1月のことでした。13年に刊行された本格ミステリ長編『アリス殺し』の好評を受けて続編を刊行するうちに、いつしか《メルヘン殺し》と称することになったシリーズの第3作『ドロシイ殺し』の連載第1回のゲラをやりとりしていた時期です。
小林さんの著者紹介には「日本ホラー小説大賞短編賞受賞」「SFマガジン読者賞受賞」「日本SF大賞候補作」「星雲賞受賞」といった語が並びます。プロフィールには入っていませんが、先述の『アリス殺し』は『このミステリーがすごい! 2014年版』国内編第4位 、『2014本格ミステリ・ベスト10』国内編第6位にランクインしています。つまり小林さんは、ホラー、SF、ミステリそれぞれのジャンルで満遍なく高い評価を得ているのです。
ジャンルを越境して活躍する小説家としては山田正紀(やまだ・まさき)さんや田中啓文(たなか・ひろふみ)さん、津原泰水(つはら・やすみ)さんをはじめいくつものお名前が浮かびますが、複数のジャンルに軸足を持つタイプの書き手として、小林さんはとりわけ優れたバランス感覚を発揮しています。子供の頃からずっと好きだったというSF、職業作家としての入り口となったホラー、ミステリについては「会社から帰宅して夜お酒を飲んだ後、20分くらい(トリックを)考えるとだいたい思いつく。思いつかなかったら寝る」と仰(おっしゃ)っていたので、なんというか、「企(たくら)みのある小説を書くのに向いていた」のだろうと思います。
冒頭の言葉に戻ります。この提案の意図は、『アリス殺し』で初めて小林さんを知った読者が次に手に取りやすい本を用意し、小林さんを「作家読み」する層へ誘導するという点にありました。その場合、ジャンル出版社である東京創元社の特質を考えると、「ミステリ」と「SF」に特化して紹介するのが導線として理想的と考えました。
その頃、小林さんの初期短編集のいくつかが品切になっていたため、初期作を中心に編み直すという主旨で、相談しながら目次の作成に入りました。
しかし専業となった小林さんがますますお忙しくなり、お互いに「いつかやりましょう」と言いあっているうちに、2020年11月、呆然とするような訃報に接することになりました。また、ご逝去ののち、企画立案当時には品切となっていた作品集が新装で復活し、新たな読者を広く得ていったため、もともと考えていた傑作集のコンセプトは変更されることとなりました。傑作選の方向性を変えつつも、これから小林さんの作品を読み始める方の入り口となる本にできるよう心がけて編み直し、ようやく小林さんとの約束通り、傑作選をお届け出来る運びとなりました。新作を読むことはもはや叶わずとも、「小林泰三」を発見する窓の一つとして本書が読まれ、ひいては他の作品へとより多くの読者を誘導する一冊となることを願います。
以下、本書収録作品の各編の内容について簡単に触れます。
予(あらかじ)め決定されている明日
「書き人」の設計メモに沿って世界を成立させるため、「算盤(そろばん)人」たちはすべての情報を珠算によって処理している。その過重労働は限界を迎えていたため、算盤人のケムロは電子計算機の導入による効率化を夢見ていた。やがて、自分たちの演算によって成立している仮想現実世界の住人である諒子に取引を持ちかけるが……
いわゆる「小人さん」たちがせっせせっせと人間たちの暮らす世界を算盤の計算で創り上げている、というと心温まるファンタジイ系SF(シオドア・スタージョン「昨日は月曜日だった」が思い出されます)のように聞こえますが、ケムロも諒子もブラック労働に苦しんでいるという設定はやっぱり小林泰三です。
中盤からラストにかけての展開には息を吞まずにはいられません。著者の目論見(もくろみ)の残酷さと小説的技巧を余すところなく堪能できる傑作です。
初出は〈小説すばる〉2001年8月号。『目を擦る女』(ハヤカワ文庫JA)に収録され、同書を再構成した『見晴らしの良い密室』(同)に再録されました。
空からの風が止む時
重力が徐々に衰退する円盤世界に生きる少女オトは、「風」がどこから来てどこへ行くのかを考え続けていた。やがて重力が消失する寸前にまで至ったとき、オトは飛行船に移住してそれまでの居住地区を放棄し、新天地を探すという計画を発案する。
小林さんにはやや珍しい、ストレートな宇宙冒険譚。円盤状の世界の重力が弱まり続けると、裏側こそが表側になるのではないか? という発想に、センス・オブ・ワンダーを感じます。少女の素朴な疑問と観察が宇宙の法則の類推へと発展していく様子は、もしかすると小林さんご自身の体験に基づくのかもしれません。この方向性が後に発揮された作品として長編『世界城』(日経文芸文庫)が思い出されます。
初出は〈S-Fマガジン〉2002年4月号。『目を擦る女』(ハヤカワ文庫JA)に収録。
C市
常にじめついている漁港の町に創られた広大な研究所。CAT研究所と称されるこの異形の建物群には各国から科学者が集められ、「C」と呼ばれる謎の知性体への対策を日夜練っていた。人間の理解をあらゆる形で拒む「C」をめぐって科学者たちは激しく議論を繰り広げるが、問題はそれに対してどのような手段を講じるかだ。その結果、「C」を自動追尾攻撃する戦略シュミレータが考案されすでに稼働しているという噂だが、その思考は徐々に人智を超えたものになり……
小林作品とクトゥルー神話は大変相性が良い――というか、小林さんが積極的に自作に取り入れていることは疑いようがなく、そもそもデビュー作である「玩具修理者」からしてクトゥルー的要素が横溢した作品でした。真っ向からクトゥルー神話を取り上げた本作ですが、アプローチはホラーというより破滅SFの手法に近く、「旧支配者」の本質についての科学者たちの仮説はいかにも理系出身者の小林さんらしいものです。悪魔的(この場合邪神的と云うべきでしょうか?)な結末も見事。
初出は書き下ろしアンソロジー『秘神界 現代編』(創元推理文庫)。『脳髄工場』(角川ホラー文庫)に収録後、『C市からの呼び声』(創土社)に再録されました。
時空争奪
「川はどこから始まるのか、君は知っとるのかね?」教授の問いかけに、周囲の学生は「論理的に言って川は河口から始まるに決まっている」と答え、教授もそれを肯定する。次いで、鳥獣戯画(ちょうじゅうぎが)に描かれている動物がすべて、名状しがたい奇妙な生物に描き換わっているという事件が起きる。しかも改変は本物だけではなく、複製や書籍に掲載されている図版にまで及んでおり……
何者かが過去に干渉して時の「流れ」を変えているのではないか? という日常浸食系ホラーSFとして始まる本作では、後半にいたって壮大なビジョンが提示されます。著者は本作について「以前から、時間テーマのSFにはある種の違和感を感ずることがありました。歴史の改変が起こる場合、通常の時間の流れの他に歴史の改変を外から観察する視点が属するもう一つの時間の流れ――メタ時間が存在しているのです。(略)この作品では、このメタ時間を排除するのではなく、実際にある物として取り扱ってみました」(『超弦領域』収録「著者のことば」より)と語っています。
小林作品には「物語の外側にある視点」をどう物語の中に位置づけるか? というメタ的な設問が効果的に使われる作品が多くありますが、本作はまさにその極北といえるでしょう。そしてもはやおなじみとなったクトゥルー神話的要素が血肉色の彩りを添えます。
『天体の回転について』(ハヤカワ文庫JA)のために書き下ろされ、その後『超弦領域 年刊日本SF傑作選』(創元SF文庫)『時間SFアンソロジー : revisions』(ハヤカワ文庫JA)の二つの傑作選に採られました。
完全・犯罪
研究上のライバル・水海月(みずくらげ)博士を殺害するため、己が開発したタイムマシーンで完全なアリバイが主張できる五年前のある夜へと爆弾を送り込んだ時空博士。だが、そののちに「五年前に死んだはず」の水海月博士が時空博士を訪ねてくる。彼は何が起きたかを確認するため自らタイムマシーンに乗り込んで五年前の犯行日時に水海月博士を訪ねるが……
「時空争奪」に続く時間SFですが、発想やエスカレーションのさせ方がまったく異なるのが小林さんのすごいところ。「タイムマシーンがあるんだから常識を働かせろ」という爆笑の一節にすべてが集約されています。タイムマシーンを利用した完全犯罪計画という王道のパターンながら、破綻のないロジックに基づいているはずなのになぜか事態は滅茶苦茶な方向に発展してしまう、小林節の冴え渡った意地の悪いSFに仕上がっています。最後の一行はぜひ声に出して読み上げて下さい。
余談ですが、この作品が表題となった作品集『完全・犯罪』収録の一編「ドッキリチューブ」が「世にも奇妙な物語」で映像化された折、フジテレビでの収録見学にご一緒いたしましたが、小林さんはキャストの坂口憲二(さかぐち・けんじ)さんにご挨拶できて大変嬉しそうでした。というのも坂口さん主演の「愛するために愛されたい」という連続TVドラマが大好きで「最終回では巨大化した黒木瞳(くろき・ひとみ)さんが大宇宙でタンゴを踊るんですよ」と熱弁をふるっていたことが懐かしく思い出されます。
初出は〈ミステリーズ!vol.39〉(2010年2月号)。『完全・犯罪』(創元推理文庫)に収録。
クラリッサ殺し
バーチャルリアリティ・アミューズメント『レンズマン・バーチャル・ワールド』の案内板を見て、早速体験してみることにした語り手の「わたし」と同級生の貞子。題材となっている《レンズマン》シリーズがどんな物語かオタク語りをする「わたし」に対し、貞子のほうはいまいち気乗りしない様子だ。ふたりはシリーズ中で唯一の女性レンズマン・クラリッサが主人公のシナリオを選択するが、クラリッサになるはずだった「わたし」は、どうやら貞子の役柄と入れ替わってしまう。そして仮想現実への移行時に離ればなれになってしまった貞子を探しに行くが、アトラクション・ルームで椅子に腰を掛けている血塗れのクラリッサを発見する。これは果たしてヴァーチャルでの出来事なのか? それとも現実の事件なのか?
E・E・スミスによるスペースオペラの名作『レンズマン』のヒロインが殺害されるという、《メルヘン殺し》シリーズの番外編のようなSFミステリ短編です。きっとそのうちデジャー・ソリス(《火星》シリーズ)やジョオン・ランドール(《キャプテン・フューチャー》シリーズ)などの名だたるヒロインが犠牲となる予定だったのではないでしょうか。
趣向については読んでのお楽しみということで詳細には触れませんが、最後はしっかり《レンズマン》のオマージュになるのでSF読者は期待してください。しかも驚愕のラストまで用意されている大変贅沢な短編です。
初出は『NOVA 2019年春号』(河出文庫)。本書が個人作品集への初収録となります。
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KADOKAWA、河出書房新社、早川書房の各ご担当の皆様と小林さんのご家族のご厚意により、本書を皆様にお届けすることが叶いました。改めて御礼申し上げます。また、《メルヘン殺し》シリーズに続いて、本書の装幀を手がけて頂いたイラストレーターの丹地陽子さん、デザイナーの藤田知子さんにも深謝いたします。小林さんはいつもカバーの完成を楽しみにされていました。この傑作選も、ここではなく今でもないどこかでご覧になって、あの懐かしいチェシャ猫のような笑みをうかべていらっしゃることと思います。
(東京創元社編集部 古市怜子)