【編集部より】2022年7月27日にジュンク堂書店池袋本店で開催された、レイモンド・チャンドラー『長い別れ』(創元推理文庫)翻訳者の田口俊樹先生と解説を執筆された書評家の杉江松恋氏による対談。この対談を記事化したものを、このたびの『プレイバック』新訳版刊行を記念して公開します。『紙魚の手帖』vol.7(2022年10月刊)にて誌上掲載されたのは今回の第一部(前半部分)のみで、次回お届けする第二部(後半部分)は本邦初公開となります。どうぞお楽しみください。
杉江松恋(以下、杉) 『長い別れ』はアメリカの作家レイモンド・チャンドラーの第六長編です。一九五一年にチャンドラーはこの作品を五万語で脱稿し、そのあと二年半ほどの改稿を経て、五四年に刊行されました。五八年に、清水俊二(しみず・しゅんじ)訳でハヤカワ・ミステリに入ります。それから約半世紀を過ぎて、二〇〇七年、突如村上春樹(むらかみ・はるき)訳の『ロング・グッドバイ』、そしてなんと、第三の翻訳者として田口さんが、これに加わったわけです。
で、The Long Good-byeの日本における評価がどういうものであったかについては、各名作リストに載っているので改めてご紹介するまでもないと思うんですけど、特徴的なのは、週刊文春が一九八五年にとった東西ミステリーベスト100で、『長いお別れ』は三位。そのあと三十年後ぐらいの東西ミステリーベスト100(二〇一三年)、このときに六位ということで、ちょっと下がりましたけどベスト10内は動かず、日本における翻訳ミステリベスト10以内には必ず入っています。
東西ミステリーベスト100の紹介って、たぶん亡くなった松坂健(まつざか・けん)さんが書いてるんです。そのなかの本作の紹介を読ませてもらいます。(以下、引用)「――ハメットが事実上引退したあと、私立探偵小説の第一人者となったチャンドラーは、また常にイギリスの伝統的な推理小説を念頭に置いて、新しい書き方を模索した作家だった。本書の書かれる八年前からすでに彼は、狂言回しにすぎない私立探偵は、推理機械と化した本格派の名探偵とさして違わないことに気づいていた。つまりマーロウに、より深い感情をもたせたいと思い続けていたのである。一九五二年、ハリウッドの脚本仕事に見切りをつけ、小説をこれ一本に絞った彼は長いキャリアのすべてをつぎ込んだ最高作を目指す。病床の妻の世話と、ときには家事や料理に明け暮れながら精魂こめて書き進んだとき、チャンドラーは六十四歳になっていた」六十四歳はたぶん脱稿したときの年齢ですね。「不毛の愛を探り、男の友情を瑞々(みずみず)しく歌った筆はとてもその歳のものとは思われない。感情と非情を渾然(こんぜん)と描き込んだ本書から、人の息遣いが聞こえてくるといってもほめすぎにはなるまいと思う」以上、簡にして要を得た素晴らしい表現です。清水訳、村上春樹訳がある中で、田口俊樹訳が誕生した経緯、そこをちょっとお話しいただければと思うんですけど。
田口俊樹(以下、田) The Long Good-byeの担当編集者との雑談の中で、この作品が無版権だと。没後何年とかTPPがどうとかで、この作品は、版権がない、と。その時点で私はハメットと、ロスマクを訳してましたんで、こりゃあやっぱり、やらないわけにはいかないな、と。杉 ハードボイルドスクールの残り一人の長編も訳しておきたいと。
田 それに、これは新保博久(しんぽ・ひろひさ)さんの書評に書いてあって、おれはあとから気がついたんだけど、清水「俊」二でしょ。それで村上春「樹」でしょ。俊と樹ですよ。田口「俊樹」ですよ!
杉 なるほど!(笑)。二人を足して。
田 親に名前を付けられたときから運命づけられてたんじゃないか、これを訳すことがね、というぐらい。
杉 生まれたときからの運命だったという。
田 そうそう。それと、真面目なところ、はじめは清水さんの訳で読んだんだけど、そして村上さんの訳を読んで、「あ、こういう話だったんだ」って、実はけっこう感動したんですね。この作品は、雰囲気はいいけどなんかよくわからないとこがいっぱいあるというイメージだった。それが村上さんのを読んで「ああそういうことか、そういうことだったのか」っていうふうに、感動したんですよ。でも、村上さんの訳を読んでもよくわからないところがまだあった。翻訳者なんだから原文読めばいいんだけど……。でも、わたしも長いことやってるし、村上さんのを読んでもあまりはっきりしなかった部分を、自分が辞書引いて、一生懸命訳して――正直言うとマイクル・Z・リューインさんにいろいろ聞いたんですけど(笑)。
杉 相談したんですね(笑)。
田 そうそうそう(笑)。それで、「じゃあ、やってみよう!」という気になったわけです。
●文体について
杉 ベテランとして、何十人、何百人の文体を見てきた田口さんからして、チャンドラーの文体っていうのはどういう印象でしたか。
田 正直いって、長いことこういう商売やってるけど、文体ってことばがよくわからないんですよ、実は。
杉 あはは、はい(笑)。
田 なんか難しいことばのように思えちゃって。おれにとってはね。その人の文章を書くstyleというふうに思えばいいんだけど。――十五、六年前、村上さんの『ロング・グッドバイ』が出たときに、短編を訳してるんですよね。そのときの印象は正直言うと、いい加減な?(笑)同じ表現がけっこう出てきたりとか、書き飛ばしてたときの、短編にはそういう作品もあると思うんですよ。
杉 パルプマガジンである「ブラック・マスク」とかに書いてるころですもんね。
田 「美文と言われてるけど実際読んでみると悪文じゃないか」というようなことを言ってた人もいるけども……そこまでは判断できなかったんだけれど、ちょっとポキポキしたような印象があった。滋味掬(きく)すべきみたいな、そういう文章には思えなかった。でも今回これ、かなり真面目に読んだら、やっぱり、すごい、うまい。いちばん印象に残ったのは、情景描写ですね、私の場合。情景描写はわりと苦手なんですよ、訳すのがじゃなくて、読むのが。めんどくさいの。だからたいてい飛ばしちゃうんだよ(笑)。
杉 飛ばしちゃうんですか?!(笑)。心情とか重なってるものかもしれないけど、飛ばしちゃう?
田 そう、苦手なんですよ(笑)。でも翻訳はそうはいかないから。そしたらうまいうまい。なんというか、本当にこう目に浮かんでくるというか、ありきたりの言い方ですけどね。カリフォルニアの、砂漠の乾いた感じとか、砂が舞ってる感じとか、栄養の足りない植物が生えてる感じとかがひしひしと感じられました。自然の情景描写、鳥とか植物とか、そういうのを今簡単に調べられるんで、いちいち見て、あーこれか、みたいな感じで。それも面白かったし。だから、それですね。正直言って、生まれて初めて情景描写に感動したんじゃないかと思うぐらい(笑)、いいなと思いましたね。
文体とはちょっとちがうんですけど、自分がやりたかったこと、それをもうちょっと言うと、自分が村上さんの訳で感じて、感動したことを、もっとできないか、ただすっきりさせたいと。この作品は雰囲気だけでいい、ストーリーなんていいんだっていうぐらいのチャンドラリアンもいるけれども、よく読むとこれ実によくできたミステリであるし。
杉 うん、そうですそうです。
田 ね。ドラマ、本筋は変わらないんだけど細かいところでもっときっちり押さえていけば、小説としてさらにくっきりすると思ったんですね。それがやりたかったこと。ひとつの例として、あんまり英語の話をするとつまらないかと思うんだけど、わりと簡単なところなので、ちょっと……。
ちょっと説明がいると思うんですが、“Soft?” I asked. “Or just kind?” っていう、これだけの台詞(せりふ)です。マーロウが言うセリフですけども。アルコール依存症の作家の、ロジャー・ウェイドが失踪しちゃうんですよ。それをマーロウが見つけて家に連れ帰る。で、そのあと、家でパーティーやってるところにマーロウが呼ばれて、ロジャー・ウェイドが、マーロウに頼むんです。お前が家にいてくれたら、酔っぱらわないで仕事がちゃんとできるんじゃないか。住み込みでいてくれないか。っていう妙な依頼をする。当然断ります、マーロウは。そしたらそのロジャー・ウェイドは……マーロウがその前にテリー・レノックスを、自分の身を賭して救ってる、逃がしてやってる、彼(テリー)にはそういうことができて、なぜおれにはやってくれないんだ、っていうことばに対して、マーロウは、結局自分のやったことで――ここまでは、言っていいんだよね?(笑)――テリー・レノックスは死んだと。結局自分が殺したようなもんだ、というようなことを言う。それに対してロジャー・ウェイドは、なに甘ったるいことを言ってんだ、やわなことを言ってんじゃねえよ、みたいなことを言う。そんなsoftなことを言ってんじゃないよと。そんなものにおれは首まで浸かってる、そんなやわなことなら、と。それに対してマーロウが、「やわなこと(soft)?」と訊く。「それとも、親切なことか」って。これなんか意味わかんないでしょ?(笑)。通じないんです。で、清水さんの訳はざっくりしてる感じだけども、ちょっと意味はちがうと思うんだ。村上さんの訳の「甘やかす?」「ただの親切心と取り違えちゃいないか?」っていうのも、おれとしては、意味がわからなかったんだ。just kindってなんなのかっていう。これは「ことば」について言ってて。やわなことばにここまで浸かってる。やわなことばなのか? 親切なことばかもしれないぞ? ってふうに、実は言ってるんですよ。なぜ親切なことばになるのかっていうと、自分はその前のとこで、殺したって言ってるわけですよ。テリー・レノックスを殺したようなもんだって。だから、おれが関わるとお前も死ぬかもしれないよと。だから逆に、いまおれが言ったことはやわなことばというんじゃなくて、親切なことばかもしれないぞ、となるんですよ。
杉 なるほど。
田 で、これ正直、リューインさんに聞いてわかったのね(笑)。おれもわからなかったわけですよここはね。で、おれの訳は「甘ったるいことば? あるいは、あんたを死なせたくないと思うがゆえのひたすら親切なことばか」と。どうしても補い訳にならざるを得ないんですね。でも、今また読み返してみて、自分としてはこう、一生懸命意を尽くしてね、伝えたつもりなんだけど、改めて読んでみるとおれのもあんまりよくわからないか(笑)。
杉 そんな(笑)。まあこの短いやりとりではね。
田 でもまあ、そういうことがやりたかった。自分としてわかったことをできるだけ。あんまり説明っぽくなくすっきりさせようと、そこはいちばん考えたところですね。
杉 今引用したのは23章なんですけど、文脈の中で読むと、もっとするっと流れるんですよね。さっきポキポキした文章ということばがありましたけど、文章ではなく単語で答えているような箇所があるんですよね、原文を見ると。行間を読めよ、という不親切な表現が多いのが特徴なんだなという。
田 それは言えるね。
田 正直いって、長いことこういう商売やってるけど、文体ってことばがよくわからないんですよ、実は。
杉 あはは、はい(笑)。
田 なんか難しいことばのように思えちゃって。おれにとってはね。その人の文章を書くstyleというふうに思えばいいんだけど。――十五、六年前、村上さんの『ロング・グッドバイ』が出たときに、短編を訳してるんですよね。そのときの印象は正直言うと、いい加減な?(笑)同じ表現がけっこう出てきたりとか、書き飛ばしてたときの、短編にはそういう作品もあると思うんですよ。
杉 パルプマガジンである「ブラック・マスク」とかに書いてるころですもんね。
田 「美文と言われてるけど実際読んでみると悪文じゃないか」というようなことを言ってた人もいるけども……そこまでは判断できなかったんだけれど、ちょっとポキポキしたような印象があった。滋味掬(きく)すべきみたいな、そういう文章には思えなかった。でも今回これ、かなり真面目に読んだら、やっぱり、すごい、うまい。いちばん印象に残ったのは、情景描写ですね、私の場合。情景描写はわりと苦手なんですよ、訳すのがじゃなくて、読むのが。めんどくさいの。だからたいてい飛ばしちゃうんだよ(笑)。
杉 飛ばしちゃうんですか?!(笑)。心情とか重なってるものかもしれないけど、飛ばしちゃう?
田 そう、苦手なんですよ(笑)。でも翻訳はそうはいかないから。そしたらうまいうまい。なんというか、本当にこう目に浮かんでくるというか、ありきたりの言い方ですけどね。カリフォルニアの、砂漠の乾いた感じとか、砂が舞ってる感じとか、栄養の足りない植物が生えてる感じとかがひしひしと感じられました。自然の情景描写、鳥とか植物とか、そういうのを今簡単に調べられるんで、いちいち見て、あーこれか、みたいな感じで。それも面白かったし。だから、それですね。正直言って、生まれて初めて情景描写に感動したんじゃないかと思うぐらい(笑)、いいなと思いましたね。
文体とはちょっとちがうんですけど、自分がやりたかったこと、それをもうちょっと言うと、自分が村上さんの訳で感じて、感動したことを、もっとできないか、ただすっきりさせたいと。この作品は雰囲気だけでいい、ストーリーなんていいんだっていうぐらいのチャンドラリアンもいるけれども、よく読むとこれ実によくできたミステリであるし。
杉 うん、そうですそうです。
田 ね。ドラマ、本筋は変わらないんだけど細かいところでもっときっちり押さえていけば、小説としてさらにくっきりすると思ったんですね。それがやりたかったこと。ひとつの例として、あんまり英語の話をするとつまらないかと思うんだけど、わりと簡単なところなので、ちょっと……。
ちょっと説明がいると思うんですが、“Soft?” I asked. “Or just kind?” っていう、これだけの台詞(せりふ)です。マーロウが言うセリフですけども。アルコール依存症の作家の、ロジャー・ウェイドが失踪しちゃうんですよ。それをマーロウが見つけて家に連れ帰る。で、そのあと、家でパーティーやってるところにマーロウが呼ばれて、ロジャー・ウェイドが、マーロウに頼むんです。お前が家にいてくれたら、酔っぱらわないで仕事がちゃんとできるんじゃないか。住み込みでいてくれないか。っていう妙な依頼をする。当然断ります、マーロウは。そしたらそのロジャー・ウェイドは……マーロウがその前にテリー・レノックスを、自分の身を賭して救ってる、逃がしてやってる、彼(テリー)にはそういうことができて、なぜおれにはやってくれないんだ、っていうことばに対して、マーロウは、結局自分のやったことで――ここまでは、言っていいんだよね?(笑)――テリー・レノックスは死んだと。結局自分が殺したようなもんだ、というようなことを言う。それに対してロジャー・ウェイドは、なに甘ったるいことを言ってんだ、やわなことを言ってんじゃねえよ、みたいなことを言う。そんなsoftなことを言ってんじゃないよと。そんなものにおれは首まで浸かってる、そんなやわなことなら、と。それに対してマーロウが、「やわなこと(soft)?」と訊く。「それとも、親切なことか」って。これなんか意味わかんないでしょ?(笑)。通じないんです。で、清水さんの訳はざっくりしてる感じだけども、ちょっと意味はちがうと思うんだ。村上さんの訳の「甘やかす?」「ただの親切心と取り違えちゃいないか?」っていうのも、おれとしては、意味がわからなかったんだ。just kindってなんなのかっていう。これは「ことば」について言ってて。やわなことばにここまで浸かってる。やわなことばなのか? 親切なことばかもしれないぞ? ってふうに、実は言ってるんですよ。なぜ親切なことばになるのかっていうと、自分はその前のとこで、殺したって言ってるわけですよ。テリー・レノックスを殺したようなもんだって。だから、おれが関わるとお前も死ぬかもしれないよと。だから逆に、いまおれが言ったことはやわなことばというんじゃなくて、親切なことばかもしれないぞ、となるんですよ。
杉 なるほど。
田 で、これ正直、リューインさんに聞いてわかったのね(笑)。おれもわからなかったわけですよここはね。で、おれの訳は「甘ったるいことば? あるいは、あんたを死なせたくないと思うがゆえのひたすら親切なことばか」と。どうしても補い訳にならざるを得ないんですね。でも、今また読み返してみて、自分としてはこう、一生懸命意を尽くしてね、伝えたつもりなんだけど、改めて読んでみるとおれのもあんまりよくわからないか(笑)。
杉 そんな(笑)。まあこの短いやりとりではね。
田 でもまあ、そういうことがやりたかった。自分としてわかったことをできるだけ。あんまり説明っぽくなくすっきりさせようと、そこはいちばん考えたところですね。
杉 今引用したのは23章なんですけど、文脈の中で読むと、もっとするっと流れるんですよね。さっきポキポキした文章ということばがありましたけど、文章ではなく単語で答えているような箇所があるんですよね、原文を見ると。行間を読めよ、という不親切な表現が多いのが特徴なんだなという。
田 それは言えるね。
●杉江解説について
杉 あ、そうだ。本書の解説は僕です。依頼がきて、はじめ枚数をメールに書いてなかったんですよ。で、それをいいことに、原稿用紙でたぶん三十枚近く書いてるんじゃないかと思うんですけど、まさかこんなに書くと思ってなかったはず、担当編集者、困ったんじゃないかなと思いますけど。
田 正直言って、訳者が望みうる、最高の解説だよね。
杉 ありがとうございます(笑)。
田 褒められたから気分をよくして言うんじゃないんだけど(笑)。普段、松恋さんが書かれたもので、翻訳自体に踏み込んだ解説って、あまりないよね。
杉 そうですね。
田 今のほうがないっていうか。昔はさ、わりとね、こう、ちょっと英語が読める……と自分で思ってる(?!)書評家がね。
杉 読めるんです(笑)。
田 英語の話とかもしてたけど、わりと最近見なくて、みんな実際たしかに、原文と比べないと、ってことがありますから。なかなか踏み込めないもんじゃないかと。松恋さんとして、思い切ってやっちゃったな、みたいな感じはあるんですか。
杉 前に、『湖中の女』について、田中小実昌(たなか・こみまさ)訳と清水俊二訳を読み比べたことがあるんですよ。田中訳の方が、清水訳よりも原文に近いと小林信彦(こばやし・のぶひこ)は言っていて、田中訳のほうが原文のニュアンスはよく拾っているという意見です。全部じゃないんですけど、七十頁ぐらいですかね、読んで、比較したことがあるんですよ。
田 おー。
杉 チャンドラーの訳については、様々な評価があるんですけど、中には脳内で勝手にチャンドラー像をこしらえている人もいる。たとえば、「やさしくなければ生きている資格がない」という一文を褒めそやす人は多いんだけど、それがどの作品のどの場面に出てくるか、ちゃんとわかっているのかどうか。頭の中にあるチャンドラー幻想みたいなものに頼って発言するのは危険なので、ある程度、翻訳のところまで降りてって、比較したほうがいいなって思ったところはあるんですよ。それもあって、今回は清水俊二訳と村上春樹訳と田口俊樹訳の三つを、各所で比べてみたりしながら、原文をつき合わせてみながら、どのニュアンスがこの場面だと一番近いのかなみたいなことはちょっと確かめてみました。だからまあ、読解するときの作業として、今回はかなり必要だったかなと思いました。
田 ああそうですか。
杉 三つもあるからですよ。三つもあるって文化的資産だから。文化的資産はやっぱりある程度こう、骨までしゃぶる感じで味わわないといけないかなとは思うんですよ。
田 正直言って、訳者が望みうる、最高の解説だよね。
杉 ありがとうございます(笑)。
田 褒められたから気分をよくして言うんじゃないんだけど(笑)。普段、松恋さんが書かれたもので、翻訳自体に踏み込んだ解説って、あまりないよね。
杉 そうですね。
田 今のほうがないっていうか。昔はさ、わりとね、こう、ちょっと英語が読める……と自分で思ってる(?!)書評家がね。
杉 読めるんです(笑)。
田 英語の話とかもしてたけど、わりと最近見なくて、みんな実際たしかに、原文と比べないと、ってことがありますから。なかなか踏み込めないもんじゃないかと。松恋さんとして、思い切ってやっちゃったな、みたいな感じはあるんですか。
杉 前に、『湖中の女』について、田中小実昌(たなか・こみまさ)訳と清水俊二訳を読み比べたことがあるんですよ。田中訳の方が、清水訳よりも原文に近いと小林信彦(こばやし・のぶひこ)は言っていて、田中訳のほうが原文のニュアンスはよく拾っているという意見です。全部じゃないんですけど、七十頁ぐらいですかね、読んで、比較したことがあるんですよ。
田 おー。
杉 チャンドラーの訳については、様々な評価があるんですけど、中には脳内で勝手にチャンドラー像をこしらえている人もいる。たとえば、「やさしくなければ生きている資格がない」という一文を褒めそやす人は多いんだけど、それがどの作品のどの場面に出てくるか、ちゃんとわかっているのかどうか。頭の中にあるチャンドラー幻想みたいなものに頼って発言するのは危険なので、ある程度、翻訳のところまで降りてって、比較したほうがいいなって思ったところはあるんですよ。それもあって、今回は清水俊二訳と村上春樹訳と田口俊樹訳の三つを、各所で比べてみたりしながら、原文をつき合わせてみながら、どのニュアンスがこの場面だと一番近いのかなみたいなことはちょっと確かめてみました。だからまあ、読解するときの作業として、今回はかなり必要だったかなと思いました。
田 ああそうですか。
杉 三つもあるからですよ。三つもあるって文化的資産だから。文化的資産はやっぱりある程度こう、骨までしゃぶる感じで味わわないといけないかなとは思うんですよ。
●翻訳の難所、ワイズクラックについて
杉 翻訳についてもう少し伺います。難所ってありましたか。
田 とくに難所ってすぐには思いつかなかった。だけど……やっぱり1章かな。出だしってのは大切じゃないですか。
杉 入り方が。
田 そうそうそう。1章でけっこうその、マーロウのキャラが出てくるわけですよ。酔っぱらいになんでそんな関わってるのかってことも含めてね。ただひとつ気になることとして……駐車場係がいますよね。いいお店なんかだと、駐車場まで(車を)もってってくれるんですね。で、その駐車場係が、「あんな酔っぱらいなんかに関わっちゃいかん、いいことはないから、それがおれの人生哲学だ」みたいなことをマーロウに言うと、マーロウが「それで今の君の地位があるわけだ」みたいな嫌味を言う(笑)。皮肉を言うわけだ。それってさ、おれなんかは面白いとは思うんだけど……いやまてよと。今のこの時代、それってパワハラじゃないか。上から目線。そんなふうなものが、今どう思われるかってのも考えちゃったりして、だからどうこうってわけでもないけどね、実際に訳文として、すごく変わるってわけでもないんだけど、けっこう気にはしました。
杉 あー。
田 チャンドラーを知らない人にも読んでほしいわけだから。フィリップ・マーロウがどんな探偵かも知らないで読んでくれる人もいるかもしれない。たくさんいてほしいわけだ。そういうときに、しょっぱなから「こいつ、やなやつだ」と思われたくないとかね。そんな意味では、1章が一番、あれこれ考えた。考えたからどうってわけでもないかもしれないけど。
杉 今おっしゃったところって、チャンドラーの小説の特徴の〝ワイズクラック〞というのは、その、チャンドラリアンにとってはたまらないわけです。要するに減らず口ですね。
田 そう、減らず口だよね(笑)。
杉 口が悪いとも言いますけど、そこんところが、会話の妙として、好きな人もいるわけじゃないですか。
田 そうそうそうそうそう。
杉 ところが、チャンドラーの模倣作家は、ワイズクラックを書くとですね、やっぱり浮くというか、ワイズクラックのためのワイズクラックになるんです。田口さんがおっしゃったところはそこだと思うんです。そこで働いているブルーカラーの彼を、へこますだけの台詞になっちゃまずいわけですよね。そこにマーロウなりの人物が出ないといけない。物語の中に入ってくる主人公を魅力的に見せるために、その台詞をどう読ませるかという難しさがあるはずなんです。田口さんの中で、マーロウ像が、固まったのってどのぐらいまで訳したときでしたか。
田 ハードボイルドとか私立探偵小説を訳すときに、常に、まず考えるのが、そのー……かっこいいかかっこよくないか(笑)。
杉 はい(笑)。はいはい。「かっこいいか」問題ですね。
田 かっこいい、じゃなきゃ駄目じゃないか、というのがまず刷り込みみたいにあるんですよ、いかにかっこよく見せるかってことが。「それは翻訳者の仕事じゃない」って言う人もいるかもしれないけど、やっぱり〝エンタメ翻訳者〞としてはよく見せたいっていうのは、当然あるわけでね。悪いことじゃないと思ってるんですよ。で、まず一番出てくるのは、どんな話しことばにするか。日本語と英語の間の大きな壁として、タメ語、タメ語でない、これが日本語ではすごい違いですよ。英語はないじゃないですか、そういうの。まあ敬語はもちろんありますよ。でも、そんなタメ語、タメ語でないみたいな、この鋭い線引きはないわけですよ。それで、私立探偵の苦み走った男であれなんであれ、そういう中で自然にやろうとしたら、「ですます」で話しかける、それが自然だと思うんだ。でも、その「ですます」で自然なんだけれど、いかにも営業マンみたいな、もみ手してるような喋(しゃべ)り方にはしたくない。かっこよくしなきゃならないんだから。だから、基本、「である」で喋らせたいわけなんだ、探偵には。
杉 なるほどなるほど。
田 でもどこかで無理が出て来るけど、それを出来るだけ……。要するに「である」だと威張ってる感じ、ただ単に。それで野卑(やひ)な感じ、それしか出てこない。それを、なんとかそうでなく見せる。それがいちばん苦労するところだね。
杉 そこなんですね。
田 そうそう。
杉 面白いですね。そうかそうか。
田 ひとつの手段としては、だいたい勝手に決めちゃって、アメリカ人は最初からタメ語で話すんだって決めつけちゃうわけ。で、片っぽが「ですます」で話してるのに、マーロウがタメ語だと変、なんかえらそうに見えてしまう。そこはうまくやらなきゃな、ってそれは一番考えるとこなんですよ。喋り方。探偵の喋り方。
田 とくに難所ってすぐには思いつかなかった。だけど……やっぱり1章かな。出だしってのは大切じゃないですか。
杉 入り方が。
田 そうそうそう。1章でけっこうその、マーロウのキャラが出てくるわけですよ。酔っぱらいになんでそんな関わってるのかってことも含めてね。ただひとつ気になることとして……駐車場係がいますよね。いいお店なんかだと、駐車場まで(車を)もってってくれるんですね。で、その駐車場係が、「あんな酔っぱらいなんかに関わっちゃいかん、いいことはないから、それがおれの人生哲学だ」みたいなことをマーロウに言うと、マーロウが「それで今の君の地位があるわけだ」みたいな嫌味を言う(笑)。皮肉を言うわけだ。それってさ、おれなんかは面白いとは思うんだけど……いやまてよと。今のこの時代、それってパワハラじゃないか。上から目線。そんなふうなものが、今どう思われるかってのも考えちゃったりして、だからどうこうってわけでもないけどね、実際に訳文として、すごく変わるってわけでもないんだけど、けっこう気にはしました。
杉 あー。
田 チャンドラーを知らない人にも読んでほしいわけだから。フィリップ・マーロウがどんな探偵かも知らないで読んでくれる人もいるかもしれない。たくさんいてほしいわけだ。そういうときに、しょっぱなから「こいつ、やなやつだ」と思われたくないとかね。そんな意味では、1章が一番、あれこれ考えた。考えたからどうってわけでもないかもしれないけど。
杉 今おっしゃったところって、チャンドラーの小説の特徴の〝ワイズクラック〞というのは、その、チャンドラリアンにとってはたまらないわけです。要するに減らず口ですね。
田 そう、減らず口だよね(笑)。
杉 口が悪いとも言いますけど、そこんところが、会話の妙として、好きな人もいるわけじゃないですか。
田 そうそうそうそうそう。
杉 ところが、チャンドラーの模倣作家は、ワイズクラックを書くとですね、やっぱり浮くというか、ワイズクラックのためのワイズクラックになるんです。田口さんがおっしゃったところはそこだと思うんです。そこで働いているブルーカラーの彼を、へこますだけの台詞になっちゃまずいわけですよね。そこにマーロウなりの人物が出ないといけない。物語の中に入ってくる主人公を魅力的に見せるために、その台詞をどう読ませるかという難しさがあるはずなんです。田口さんの中で、マーロウ像が、固まったのってどのぐらいまで訳したときでしたか。
田 ハードボイルドとか私立探偵小説を訳すときに、常に、まず考えるのが、そのー……かっこいいかかっこよくないか(笑)。
杉 はい(笑)。はいはい。「かっこいいか」問題ですね。
田 かっこいい、じゃなきゃ駄目じゃないか、というのがまず刷り込みみたいにあるんですよ、いかにかっこよく見せるかってことが。「それは翻訳者の仕事じゃない」って言う人もいるかもしれないけど、やっぱり〝エンタメ翻訳者〞としてはよく見せたいっていうのは、当然あるわけでね。悪いことじゃないと思ってるんですよ。で、まず一番出てくるのは、どんな話しことばにするか。日本語と英語の間の大きな壁として、タメ語、タメ語でない、これが日本語ではすごい違いですよ。英語はないじゃないですか、そういうの。まあ敬語はもちろんありますよ。でも、そんなタメ語、タメ語でないみたいな、この鋭い線引きはないわけですよ。それで、私立探偵の苦み走った男であれなんであれ、そういう中で自然にやろうとしたら、「ですます」で話しかける、それが自然だと思うんだ。でも、その「ですます」で自然なんだけれど、いかにも営業マンみたいな、もみ手してるような喋(しゃべ)り方にはしたくない。かっこよくしなきゃならないんだから。だから、基本、「である」で喋らせたいわけなんだ、探偵には。
杉 なるほどなるほど。
田 でもどこかで無理が出て来るけど、それを出来るだけ……。要するに「である」だと威張ってる感じ、ただ単に。それで野卑(やひ)な感じ、それしか出てこない。それを、なんとかそうでなく見せる。それがいちばん苦労するところだね。
杉 そこなんですね。
田 そうそう。
杉 面白いですね。そうかそうか。
田 ひとつの手段としては、だいたい勝手に決めちゃって、アメリカ人は最初からタメ語で話すんだって決めつけちゃうわけ。で、片っぽが「ですます」で話してるのに、マーロウがタメ語だと変、なんかえらそうに見えてしまう。そこはうまくやらなきゃな、ってそれは一番考えるとこなんですよ。喋り方。探偵の喋り方。
●『長い別れ』の構造
杉 この小説はフィリップ・マーロウの一人称小説です。一人称「I(アイ)」で進んでいく小説なんですけど、マーロウは、ふたつの出会いをするんですよね。最初に出会うのが、今お話に出た駐車場で泥酔して酔いつぶれていたテリー・レノックスという男性です。彼とたまに酒場に飲みにいくような仲になって、親交の深まったときにレノックスがある事件に巻き込まれて、メキシコに今から行かなければならないということでマーロウが飛行場まで送り届ける。その後……ここまで言っていいと思うんですけど、レノックスの訃報(ふほう)を聞くという。
そのあと、レノックスがなんらかの事件に巻き込まれたということもあり、マーロウが警官に痛めつけられるという挿話がありまして、そこから話が第二フェーズに入るんですけども。ここがこの小説の面白いところで。レノックスにまつわるマーロウの評判を聞いた人から、さっき話に出たロジャー・ウェイドというアルコール依存症の作家を探してくれないか、と頼まれる。その依頼主のエージェントと、もう一人、作家の妻に頼まれて、マーロウがその作家を探しに行く。解説にも書いたんですけど、レノックスとロジャー・ウェイドが重なるような形で書かれていて、さっきのその23章の会話のところもそうなんですけども、「I」、主人公のフィリップ・マーロウはそのふたりをどうも重ねて見ている節がある。この重なっている人物が、マーロウの胸の中にいつもあるということが、この小説の特徴になっていると思います。最初はレノックスの悲劇的な終わり方をした運命。そのあとロジャー・ウェイドという、どう見ても破滅的に見える人物に対して、フィリップ・マーロウが、何かをしてやるべきなのかと考えている。その流れが、第一フェーズ、第二フェーズでくるという構造です。で、ここで面白いのが、最初にその、レノックスからロジャー・ウェイドのフェーズに入るときに――私立探偵小説の基本形は、依頼人がきて人を捜すというのが、ひとつの基本形になっているんですけども――どこかでお酒を抜いてるはずのロジャー・ウェイドを捜しまわるという挿話が出て来ます。ここの部分が、小説としては、このパーツを抜いても実は話は成り立つんですけど、面白いところですよね。ウェイドがかかっていそうな医者を訪ね歩くという。
田 そうそう。これは単なる訳者の感想にすぎないんだけど、やっぱりチャンドラーは、ミステリは書くけど本格ものみたいなものは極めて嫌いだった、それで、そういうものとして有名なシャーロック・ホームズみたいにペン先かなんか拾って、そんなものから事件なんか解決しないと。とにかく足を使うんだというようなことを言ってますよね。
杉 だってクロフツが好きですからね、この人。
田 (笑)。だから、彼を捜して、実際にあちこち行くわけですよ。それでその三人ぐらい医者を訪ねるところ、全部面白いんだよね。
杉 ばらばらなんですよね、キャラクターが。面白いですあれは。
田 よく書けてて。まあ無駄で成り立つのも小説ということでいえば、極めて記憶に残る無駄だなと思うんですね。
杉 そうですね。あの〜僕はこの小説をかなり若いころに読んで、その後、チャンドラーは短編を長編化するのがうまかったという情報を聞いたんで、このウェイドを捜し歩くくだりがあったせいで、長いこと『長い別れ』も、短編を長編化したものだと思い込んでたんですよ。そのぐらい、ここがひとつの作品として成立してる感があったもんだから、テリー・レノックス話とロジャー・ウェイド話をこう……
田 ああ、くっつけたような(笑)。
杉 そう、合体させたもんだとずっと思い込んでたんですよ。で、後で調べて、そうじゃないことがわかって。それもあって、ウェイド捜しパートの独立性が面白いなと。これだけで、私立探偵小説のひとつの型をやっている。三人の医師を訪ね歩くとこだけで、と思いましたね。そのあとロジャー・ウェイド話に入っていくと、ちょっと面白いことが起きる。この小説にはテリー・レノックスと、ロジャー・ウェイドという作家のふたりが出てくるといいましたが、それ以外にもですね、テリー・レノックスにはシルヴィアという妻がいて、ロジャー・ウェイドにはアイリーンという妻がいます。そして、テリー・レノックスにはもうひとり、リンダ・ローリングというシルヴィアの姉にあたる人物がいまして、女性と男性のキャラクターが対称形になっているところがあるんですね。それがあるんで、登場人物たちとマーロウとの関係が二重写しみたいになっていく面があって、そこが小説の大きな特徴になっていると思います。で、後半から、ある程度話が進行したところから……マーロウが、何を考えているのかが、読者には把握しきれなくなってくるポイントがあるんですよね。マーロウとほかの登場人物との会話の部分が、あえての取り違えを狙(ねら)っているかのような印象を、僕は昔から受けていました。これは清水訳で読んだときから、村上訳で読んでも、田口さん訳で読んでもやはりそうで、マーロウと登場人物たちとの会話が、うまく成立しない――これを僕は「ちぐはぐな印象」と書いたんですけど――これがすごくこの小説のひとつの特徴かなと思うんですよね。そのあと、レノックスがなんらかの事件に巻き込まれたということもあり、マーロウが警官に痛めつけられるという挿話がありまして、そこから話が第二フェーズに入るんですけども。ここがこの小説の面白いところで。レノックスにまつわるマーロウの評判を聞いた人から、さっき話に出たロジャー・ウェイドというアルコール依存症の作家を探してくれないか、と頼まれる。その依頼主のエージェントと、もう一人、作家の妻に頼まれて、マーロウがその作家を探しに行く。解説にも書いたんですけど、レノックスとロジャー・ウェイドが重なるような形で書かれていて、さっきのその23章の会話のところもそうなんですけども、「I」、主人公のフィリップ・マーロウはそのふたりをどうも重ねて見ている節がある。この重なっている人物が、マーロウの胸の中にいつもあるということが、この小説の特徴になっていると思います。最初はレノックスの悲劇的な終わり方をした運命。そのあとロジャー・ウェイドという、どう見ても破滅的に見える人物に対して、フィリップ・マーロウが、何かをしてやるべきなのかと考えている。その流れが、第一フェーズ、第二フェーズでくるという構造です。で、ここで面白いのが、最初にその、レノックスからロジャー・ウェイドのフェーズに入るときに――私立探偵小説の基本形は、依頼人がきて人を捜すというのが、ひとつの基本形になっているんですけども――どこかでお酒を抜いてるはずのロジャー・ウェイドを捜しまわるという挿話が出て来ます。ここの部分が、小説としては、このパーツを抜いても実は話は成り立つんですけど、面白いところですよね。ウェイドがかかっていそうな医者を訪ね歩くという。
田 そうそう。これは単なる訳者の感想にすぎないんだけど、やっぱりチャンドラーは、ミステリは書くけど本格ものみたいなものは極めて嫌いだった、それで、そういうものとして有名なシャーロック・ホームズみたいにペン先かなんか拾って、そんなものから事件なんか解決しないと。とにかく足を使うんだというようなことを言ってますよね。
杉 だってクロフツが好きですからね、この人。
田 (笑)。だから、彼を捜して、実際にあちこち行くわけですよ。それでその三人ぐらい医者を訪ねるところ、全部面白いんだよね。
杉 ばらばらなんですよね、キャラクターが。面白いですあれは。
田 よく書けてて。まあ無駄で成り立つのも小説ということでいえば、極めて記憶に残る無駄だなと思うんですね。
杉 そうですね。あの〜僕はこの小説をかなり若いころに読んで、その後、チャンドラーは短編を長編化するのがうまかったという情報を聞いたんで、このウェイドを捜し歩くくだりがあったせいで、長いこと『長い別れ』も、短編を長編化したものだと思い込んでたんですよ。そのぐらい、ここがひとつの作品として成立してる感があったもんだから、テリー・レノックス話とロジャー・ウェイド話をこう……
田 ああ、くっつけたような(笑)。
田 松恋さんが解説に書かれた、この小説の肝(きも)は30章という。
杉 ええ、30章だと思います。
田 あれ、はじめ読んだときよくわからなかったんだ(笑)。なに言ってんだろうと思った、正直(笑)。で、今回、もう一回ちゃんと読み直しましたよ。そしたら……すごい! きみはえらい、ほんと。ここはすごいところ。おれは恥ずかしいぐらい気づかなかったんだが、この30章で、実は、ミステリとして――伏線と言ってもいいのかもしれないけど――探偵がいつ気がつくか、犯人に気がつくか、というのを重視するのが最近の傾向なんですか?
杉 そうですそうです。
田 それ知らなかったんですが。当然、いつ気がつくかというのは、本格の場合は最初から犯人がわかってるみたいな探偵が出てきたりするけれど、そういうのはさすがに、私立探偵小説、ハードボイルドでは出てこない……そんなのは読者によって違っていいんじゃないかぐらいに思ってたんですよ、正直。
杉 はいはい。
田 でもこの、お手本とすべき、マーロウの、『長い別れ』で、杉江さんが言った30章のところ、極めて重要ですね、ミステリとして。というのは、マーロウと、アイリーンという作家の奥さんがやりとりする場面なんですけど、ふたりが言ってる話が、実は別々のことを話してるんじゃないかというところで。突き詰めると、これはリンダ・ローリングの話なのか、シルヴィア・ローリングの話なのか、ということですよね。
杉 そうだと思います。
田 それをお互いが取り違えていて、自分が喋り始めて相手に伝わったと思うんだけど、話していくうちに「あれ? これ別のこと話してるんじゃない?」ということに気づくシーンなんだよね。で、そこから先にはいかない。で最後のところで、「きみが心に描いている別の女がリンダ・ローリングならなおさら」みたいな、曖昧(あいまい)な台詞で終わるという。でもこれたしかに謎解きの伏線にはなってると思うんですよ。ちょっとついでに言っちゃうと、マーロウがいつ気がつくのかという話なんですけど、ふたつの事件の、ふたつの殺人事件のつながりみたいなもの、関連があるんじゃないかとマーロウが気づくのが、実は、28章のわけのわかんない、ロジャー・ウェイドが、酔っぱらって書いたとこあるでしょ。あのなに書いてんのかわかんないところで、「善(よ)き男が私のために死んだのだ」ってところがあるんですよ。
杉 大事な文章ですね。
田 唐突に出てくるんですよ。これは誰のことを言ってるのか。最後までじっくり読めば誰のことなのかピンとくると思うんですよ。善き男、ロジャー・ウェイド、テリー・レノックスにはつながりがあるのではないか、というところからじゃないのかなと思うんですね。「善き男が私のために死んだのだ」っていうのが、「A good man died for me」なんですね。「died for 〜」は、たとえば「祖国のために死ぬ」とかそういう意味にもなるし、「〜が理由で死ぬ」というのもある。
杉 for が〝理由〞のfor になるんですね。
田 そう。もうひとつ、「代わりに」という意味にもなりうる。だから「私の代わりに死んだ」となる。died for me。「私のために死んだ」。もっといえば「私のせいで死んだ」。全部ありうる。
杉 すべてのfor の意味がありうるわけですね。
田 そう。おれの解釈でいえばこれは「おれのせいで死んだ」なんですよ、言いたいのは。でも、はっきりロジャー・ウェイドも言うわけにはいかない。告白しちゃうことになるから。
杉 酔っぱらっているとは言えど。
田 隠してることがばれる。彼は実は、自分が真実を知ってるんじゃないかと、知ってると思ってるんだけど酔っぱらってるから自信がない、と。ここのところは、おれは「善き男が私のせいで死んだ」と訳すのもありかなと思ったんですけど、そしてそれが正しい、というか言いたいことなんだけど、でも、そこまでやっちゃうとぼかしてやる意味がなくなっちゃうので、それで、これもぉ〜のすごく迷ったんだけど。
杉 迷ったとこなんですね。
田 村上さんも「私の代わりに」ってやってたんだけど。
杉 そうですね。
田 でもよく考えると、「私の代わりに」って「自分が死ぬ代わりに」ってことになるわけですよね。そうするとすごく漠然としちゃって。もっとはっきりしたことを言ってると思ったの。で、「私のせいで」ってやっちゃおうかとも思ったけど、ここはぼかす感じで「私のために死んだ」っていうふうにしたんですよね。
杉 なるほど。まだお読みになってない方も大丈夫です、今の田口さんの発言はネタバラしにならないので。あとで振り返って、また戻ってきて読んでみてください。
田 ここを思い出してくだされば、「けっこう田口いいこと言ってたんだ」って絶対思うはずだから。
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*本記事は『紙魚の手帖』vol.7(2022年10月刊)掲載の記事を転載したものです。
■レイモンド・チャンドラー(Raymond Chandler)
1888年、アメリカ合衆国シカゴ生まれ。両親の離婚後、母親とともにイギリスに渡り、ロンドンのパブリック・スクールで教育を受ける。英国籍を取得し、海軍省勤務、新聞記者を経て、1912年にアメリカに戻る。第一次世界大戦後に小説を書き始める。1933年に〈ブラックマスク〉誌に「脅迫者は射たない」を発表したのを皮切りに執筆活動に専念。1939年に発表した長篇第一作『大いなる眠り』は、フィリップ・マーロウものの第一長篇でもある。同書並びに『さらば愛しき女よ』、『長い別れ』はチャンドラーの傑作長篇として名高い。1959年没。 ■田口俊樹(たぐち・としき)
1950年生まれ、早稲田大学第一文学部卒。英米文学翻訳家。主な訳書、D・ハメット『血の収穫』、R・マクドナルド『動く標的』、R・チャンドラー『長い別れ』、B・テラン『その犬の歩むところ』、L・ブロック『死への祈り』他多数。 ■杉江松恋(すぎえ・まつこい)
1968年東京都生まれ。慶應義塾大学卒業。国内外のミステリをはじめとする文芸書やノンフィクションなど、幅広いジャンルの書籍について書評・評論活動を展開。読書会・トークイベントの主催も精力的にこなす。主な著書・共著に『バトル・ロワイアルⅡ 鎮魂歌』『東海道でしょう!』『読み出したら止まらない!海外ミステリーマストリード100』がある。