渡邊利道 Toshimichi WATANABE


IMG_2525

IMG_2524


 本書は、北アイルランド出身でオーストラリア在住のジョナサン・ストラーンが編んだ二〇二二年刊行のアンソロジーTomorrow’s Parties: Life in the Anthropoceneを、ショーン・ボドリーのイラストとエッセイを割愛し訳出したものである。アントロポシーン(人新世)とは、人類の活動が地球に地質学的なレヴェルで影響を及ぼしている時代のこと。そのテーマにふさわしく、イギリス、アメリカ、ナイジェリア、中国、バングラデシュ、オーストラリアといったさまざまな地域に出自を持つ作家たちの短編十編と、気候変動をテーマとする作品を多く執筆してきたアメリカの作家キム・スタンリー・ロビンスンへのインタビューを収録する。
 MITプレス(マサチューセッツ工科大学出版局)が、同じくMIT系列の科学技術誌〈MITテクノロジーレビュー〉と提携して年一回刊行するSFアンソロジーシリーズTwelve Tomorrowsの一冊で、現実の科学情報に基づき、近い将来可能になるかもしれないテクノロジーの、社会における役割や人々の生活に与える影響を想像するというのがシリーズのコンセプト。本書もいわゆる〝ハードSF〞的な緻密な細部の記述と社会の構想、そこで生きる人間の感情のゆらぎを繊細に描いたサイエンス・フィクションの醍醐味を感じさせる作品集で、ローカス賞のアンソロジー部門のファイナリストにも選出された。

 人新世という言葉が使われはじめたのは一九八〇年代に遡ることができるそうだが、ひろく一般に流布したのは二〇〇〇年にメキシコで開催された地球圏生物圏国際共同研究計画(IGBP)の会議席上での、オゾンホールの研究でノーベル化学賞を受賞したオランダの科学者パウル・クルッツェンの発言がきっかけだという。本来それは厳密な学問としての地質学の用語ではなく、科学をめぐる政治を意識したレトリックという側面が強かったそうで、科学者の中にも異論が多く、この原稿を書いている最中に入ってきた報道によれば、国際地質科学連合(IUGS)の小委員会において地質時代区分としての「人新世」の創設は否決されたらしい。
 人新世という用語が提起されたのは、南極やグリーンランドの氷床から採取した試料の研究によって十万年単位で寒冷な氷期とやや寒さが緩まる間氷期が交互に繰り返されていることが明らかとなり、さまざまなデータから産業革命以後、ことに二十世紀後半からは急速に地球が温暖化していると確認され、人間の活動が地球に与える影響が地質学という巨視的スケールで観測できると考えられたからである。ことに一九五〇年代からの変化は急激で、IGBPはその変化を「大加速時代」と呼んだ。地質時代区分の名称として「人新世」が妥当であるかどうかはともかく、地球温暖化に人類の活動が影響を与えていることそれ自体は、現在ほぼすべての科学者の共通認識となっている(もちろん、少数派はどの分野にだって存在するけれど)。
 人新世という概念は地球科学のみならず、二十一世紀の人文学にも多大なインパクトを与えた。簡潔にまとめると三つの論点が挙げられる。

1 人間中心主義への批判。人間が、この惑星(地球)に生きる他の生物種や、鉱物、気候現象などの無生物まで含めた「人間ではないもの」との関係において生存しているという存在の条件を見直すこと。
2 グローバリズムへの批判。工業化と資本の増大に伴う多国籍企業とサプライチェーンによって、世界が均質化すると同時に階層化が強化され、差別と搾取が横行する政治経済状況を改善すること。この論点から人新世は「資本新世」と呼ぶべきだという意見もある。
3 高度に数学化された科学・技術のブラックボックス化への批判。そもそも気候変動の根拠となるのも古環境学などの自然科学によるデータに基づく現状把握であり、その計算の過程が専門知識のない人間には理解しづらいアポリアを抱えている。電子メディアや画像技術によってネットワーク化された情報の真偽の判定しづらさもこれに含めていいだろう。

 批判とは否定ではなく、現状の不可避性を認めながら未来をより良くするために問い直す、というほどの意味だ。本書の作品にはこれらの論点が組み込まれ、オルタナティヴな生へと開く思弁を促している。
 人新世といえば気候変動を連想することが多いと思うが、本書ではそれはどちらかといえば後景に引き、むしろ2の論点、すなわち資本主義と所得格差の問題が物語の中核を占めて
いる。アンソロジーの最後(原著では巻頭)に置かれたキム・スタンリー・ロビンスンのインタビューでも、気候変動問題は、その解決も含め資本主義の問題として捉えられている。またロビンスンはマルクス主義者として有名だが、本書での未来の労働を描く多くの物語の中でも、差別や搾取に対抗するコミュニティがユートピア的に描かれる作品がいくつかあるのは注目に値するだろう。

 そうした観点から各編を紹介してみる。
「シリコンバレーのドローン海賊」は、父親がドローン配達の巨大通販物流企業に勤めている若者が、ドローンの飛行情報を利用して学友と盗みを働くのだが、仲間の一人が貧困層の出身であることを知り、富裕層による搾取は盗みではないかという問題に直面する。
「エグザイル・パークのどん底暮らし」では、プラスチックのゴミでできた島に暮らす人々のコミュニティで犯罪が増えていることを調査してほしいと頼まれた主人公が、ユートピア的な島の社会を体験する。政府やメディアが島の実情を隠蔽し、無価値なものと宣伝するのがミソだ。
「未来のある日、西部で」は、オンライン診療する医者が巨大山火事の煙の中で行方不明になった認知症患者を探し、一方投機に夢中になって火災の危険に気付かない人物が登場する。自動運転車やトム・ハンクスの流出映像といったガジェットが伏線になる巧みな物語だ。
「クライシス・アクターズ」の主人公は陰謀論者で、気候変動による破局を言い立てる連中が自然災害の被害を大きく見せかけているペテンを暴くために災害ボランティアに潜入する。陰謀論者こそが科学的であることを何より重んじ、善意の人である皮肉が冴えている。
「潮のさすとき」は、大企業が運営する海底農場で過酷な労働に就きながら、海中で自由に活動できるための人体改造を夢見る主人公が、利益を独占する大企業に抵抗するテロ組織に誘われる。
「お月さまをきみに」で描かれるのは、すでに破局が訪れた後の世界で、主人公はカニ型のロボットなどで海洋を浄化する仕事に従事し、その子供はヴァイキング体験への参加を目指している。
「菌の歌」では、中国の奥地にある村に物理世界とデータ空間をつなぐネットワークを導入し、人工知能を使って気候変動に対処するプロジェクトへの参加を促すという社命を帯びた女性が、村の生活に魅了されていく。ややスピリチュアルな社会的つながりのユートピア性などに「エグザイル・パーク〜」と一脈通じるものがあり、ナイジェリアと中国という非西欧が舞台であることが影響しているのかもしれない。
「〈軍団〉」は、女性の安全を確保するため、常時撮影のカメラを携帯し、ネットワークを通じて共同監視と時には防衛のための実力行使も可能にするシステムを開発した人物への、海中に作られたスタジオでのインタビューを描く。自由と安全が保証され、社会的に優位にある人たちの鈍感さを告発する彼女らに、悪意のある男性インタビュアーが苛だっていくのと同時にだんだんサスペンスが盛り上がっていく。
「渡し守」は、富裕層に事実上の不死が実現している世界で、忌避される死を迎えた中間層から必須の存在でありながら憎まれる、最下層に属する死体回収人の秘密の物語。
「嵐のあと」は、失業した父親によって田舎の祖母に預けられた少女が、海の侵食を防ぐマングローブの植林に囲まれた再生地での植樹プロジェクトに参加しながら、孤独に苦しむ物語。少女がどんどん追い詰められていくので、最後にやってくる巨大な嵐がまるで一種の救いのように感じられるのが恐ろしい。この作品を読んで暗い気持ちに沈みながらロビンスンの未来への希望と熱意に溢れた快活なインタビューを読み、ホッと一息つくことができる。
 これらの物語を読んでいると、「人新世」という言葉とは裏腹に、地球環境に影響を与え続ける「人類」と、個々の生活を営む「人間」とはまったく異質な存在であるかのように感じられる。序文にあるように、編者はこれから訪れるだろう激変を楽観も悲観もせず、ただこれまでと同じように先が見えない中を手探りで、知恵と愛情で受け止めて生きるしかないと示唆しているのだろう。


本稿は5月11日発売の『シリコンバレーのドローン海賊 人新世SF傑作選』巻末解説を転載したものです。


■ 渡邊 利道(わたなべ・としみち)
1969年生まれ。作家・評論家。2011年、「独身者たちの宴 上田早夕里『華竜の宮』論」で第7回日本SF評論賞優秀賞を受賞。2012年、「エヌ氏」『ミステリーズ!』vol.90掲載)で第3回創元SF短編賞飛浩隆賞を受賞。


シリコンバレーのドローン海賊 人新世SF傑作選 (創元SF文庫)
ジェイムズ・ブラッドレー
東京創元社
2024-05-11