『ハンティング・タイム』(文藝春秋 二八〇〇円+税)は、ジェフリー・ディーヴァーの《コルター・ショウ》シリーズ第四弾。前作『ファイナル・ツイスト』までで、〝懸賞金(けんしょうきん)ハンター〞コルター・ショウの父親の死の謎を巡る三部作が一段落し、本書からまた新たにショウが走り始める。


 ハーモン・エナジー社で原子炉(げんしろ)に関する画期的(かっきてき)な発明を成し遂げたアリソン。彼女の発明を奪(うば)い取ろうとする勢力の計画をショウが阻止(そし)するなか、アリソンが一六歳の娘と共に姿を消す。アリソンへのDVで投獄されていた元夫のジョン・メリットが、刑期満了を待たずに早期釈放(しゃくほう)されたのだ。かつては優秀な刑事だったジョンは、その能力と裏社会を含む人脈を駆使(くし)し、自分を刑務所に送り込んだアリソンの行方(ゆくえ)を追う。ショウはハーモン・エナジー社のCEOから、ジョンより先にアリソンを見つけて欲しいと依頼され、追跡を始める……。

 ディーヴァーは、ショウ、アリソン、ジョンなど、様々な視点を切り換えながら、この逃亡劇/追跡劇をテンポよく描いていく。そのスイッチングの冴(さ)えはさすがに抜群。追っ手であるショウやジョン、あるいはジョンが呼び寄せた二人のプロの殺し屋と、アリソンと娘とが、ギリギリの距離感で交錯(こうさく)を回避し、あるいは交錯するのだ。逃亡者の機転と追跡者の経験のつばぜり合い――そんな逃亡劇/追跡劇を綴(つづ)るディーヴァーの筆致(ひっち)は実に伸びやかだ。おそらく、三部作という大きな構想から解放されたが故(ゆえ)の自由奔放(ほんぽう)さであろう。結果として読者はスリル満点のストーリーを堪能(たんのう)することになる。しかもそこにディーヴァー得意のどんでん返しが鏤(ちりば)められているのだ。頁(ページ)をめくる手が止まるはずもない。本書ではさらに、ショウの恋愛感情らしきものも読むことができる(それが本当に恋愛なのかは、著者が著者だけに最終頁に至[いた]るまで確信できないのだが)。また、最後に見えてくる全く予想だにしなかった絵柄も鮮やか。シリーズ作でありながら、ノンシリーズ長篇のような〝やりたい放題〞を満喫(まんきつ)出来る一作である。現時点でのシリーズ最高作だ。

 ユン・ゴウン『夜間旅行者』(カン・バンファ訳 ハヤカワ・ミステリ 二〇〇〇円+税)は、韓国人作家の二〇一三年の作品。二〇二一年に英国推理作家協会賞Crime Fiction in Translation Dagger(最優秀翻訳小説賞)を受賞した。過去にヘニング・マンケルが『スウェーディッシュ・ブーツ』で受賞し、東野圭吾『新参者(しんざんもの)』や伊坂幸太郎『マリアビートル』も候補になったことのある賞だ。


 ベトナムの南にある済州(チェジュ)島ほどの大きさの島国ムイ。そこがヨナの目的地だった。被災地を巡るダークツアーを扱うソウルの旅行会社〈ジャングル〉に勤めるヨナは、砂漠のシンクホールを目玉とするツアーの収益悪化に伴(ともな)い、その査定を行うために現地に赴(おもむ)いたのだ。視察を終えて空港に向かう途中で彼女は体調を崩(くず)し、パスポートも財布も失った状態でムイに一人取り残されてしまう。現地の人々には、韓国語はもとより英語も通じない。携帯電話も充電が切れた……。

 そんな危機に陥(おちい)ったヨナが、ムイで異様な体験を重ねていく様を綴った小説である。事件があり謎を解くというタイプのミステリではないが、ジワジワとよじれていくストーリーは予断(よだん)を許さず刺激的で、物事の裏側が徐々に見えてくる静かな驚きで愉(たの)しませてくれる。また、ダークツアーという悪趣味な商品について、その市場競争力の向上施策が検討されていたりカスタマーサービスが提供されていたりと、事業として語られている点も興味深い。それが事業であるが故の、必死の挽回(ばんかい)策にも要注目。秘密裏(ひみつり)に進行し、一部の人々に不幸を与えてしまうプランではあるが、一発逆転を目論(もくろ)む商品の〝製造ライン〞としてきちんと設計されている様子が記されていて、なんとも不気味なのだ。そしてそんなダークツアービジネスにきっちりと組み込まれていたヨナは、本書を通じて立場を変化させていく。その変化は、兆(きざ)しから最終形に至るまで、おそらくは周到に計算して書かれたのだろう。ヨナがムイで描く変化の曲線はなめらかで美しいが、その先にある最終形は非情で無機質で怖ろしい。『夜間旅行者』――カテゴライズが困難な一冊だが、間違いなく記憶に残り続ける小説だ。


■村上貴史(むらかみ・たかし)
書評家。1964年東京都生まれ。慶應義塾大学卒。文庫解説ほか、雑誌インタビューや書評などを担当。〈ミステリマガジン〉に作家インタヴュー「迷宮解体新書」を連載中。著書に『ミステリアス・ジャム・セッション 人気作家30人インタヴュー』、共著に『ミステリ・ベスト201』『日本ミステリー辞典』他。編著に『名探偵ベスト101』『刑事という生き方 警察小説アンソロジー』『葛藤する刑事たち 警察小説アンソロジー』がある。

紙魚の手帖Vol.14
千早 茜ほか
東京創元社
2023-12-11