大学時代に親しくなり、親交を保ってきた民子(たみこ) 、理枝(りえ) 、早希(さき) 。民子は作家となり、理枝はイギリスの金融会社に勤め、早希は専業主婦となっていたが、理枝が仕事を辞めて帰国し、新居を見つけるまでの間、民子が母の薫(かおる)と暮らす家に居候(いそうろう)することとなる。
視点人物は三人の他に、薫や、民子たちの家によく訪れる若い女性まどか、理枝の甥(おい)っ子の高校生、朔(さく)ら。世代が幅広い。
台風の目は理枝で、アクティブな彼女は帰国後すぐに車を購入して予告もせず早希の家を訪ねたり、講師を務めたセミナーで声をかけてきた男性と親しくなったり。それに比べてほぼ家で仕事をしている民子や、義母のいる施設に通う早希の生活は地味かもしれないが、それでも彼女たちの生活にもさまざまな起伏がある。まどかや朔の恋愛模様も気になるところだし、民子の学生時代の恋人で、結婚して家事に目覚めた百地(ももち)も話に絡んできて、実ににぎやかだ。
もちろん江國作品なので、ディテールの面白さも格別。大きな事件は起きないけれども、ちょっとしたおしゃべり、ちょっとした出来事、ちょっとした人と人との繫(つな)がりが、どれだけ人生を豊かにしているかを再認識させてくれる。
表題作の主人公のミィは、五歳の時に医者から、骨の成長が途中で止まり体が大きくならないと告げられる。そんな折、いとこのモトが彼女のドッペルゲンガーを目撃。以来、それは時折現れるようになるのだが、ミィ自身はどうしても遭遇できない。でも窮地の時こそ現れる「わたし=ドッペルゲンガー」は、ミィを励ましてくれる存在になり……。
〈私はここにいる。「あなた」の中にいる。〉という一文から始まり、〈あなた〉の人生が語られていく「あなたの中から」、VIO脱毛を始めた女性が、それが〈黒いものだけを燃やす〉施術だと聞いて意外な方向へ想像をめぐらせていく「VIO」、乳がんと宣告され両方の乳房を切除したグラビアアイドルが深い気づきを得ていく「あらわ」等々。もともと西作品は身体に意識的な印象はあったが、本作は自身の乳がんの治療体験が反映されたと思われるものも多く、よりその傾向が強い。どれも世の中の既存の価値観にさりげなく疑問を呈して、読者もはっとさせられる。自身の体験はノンフィクション『くもをさがす』(河出書房新社)で綴(つづ)られており、あわせて読むとよいかも。
「ブルーチーズと瓶の蓋(ふた)」では、夫の赴任先に息子がついていくことになり、と同時に勤め先の社員食堂の閉鎖が決まり、人のために料理をする習慣が途切れた女性が主人公。料理への意欲を削がれた彼女が、少しずつ自分自身の食の楽しみに目覚めていく。他には、長期にわたって続けていた妊活をやめ、ジムで身体を鍛(きた)え始めた主婦や、身体が弱いため引き籠(こも)っていたが風俗で働き始めた女性、失敗続きで落ち込んでいたところ先輩女性に誘われ登山を始め、次第に活力を取り戻していく新入社員、仕事は低調、夫からは離婚を言い渡され人生の窮地に陥っているさなか、ネタ探しのために体験したブラジリアン柔術にはまっていく漫画家などが登場。どの女性も自分の身体との付き合い方に四苦八苦しているが、なんとか折り合いをつけていこうとする姿は共感度大。
■瀧井朝世(たきい・あさよ)
フリーライター。1970年東京都出身。文藝春秋BOOKS「作家の書き出し」、WEB本の雑誌「作家の読書道」ほか、作家インタビューや書評などを担当。著書に『偏愛読書トライアングル』『あの人とあの本の話』『ほんのよもやま話 作家対談集』、編纂書に『運命の恋 恋愛小説傑作アンソロジー』がある。