作品の世界を「本」という形にして表現する職業、装幀家。
装画などを、普段どのように決めているのでしょうか。
月冱(さ)ゆる御手洗川(みたらしがは)に影見えて
装画などを、普段どのように決めているのでしょうか。
印象に残った装幀を数点取り上げ、装幀家の方々にそこに秘めた想いや秘密を伺うリレー連載です。
■柳川貴代
広告デザイン事務所、工作舎を経て1998年西山孝司と有限会社フラグメントを共同設立。主にブックデザインに携わる。最近の仕事にローラン・ビネ/橘明美訳『文明交錯』(東京創元社)がある。
月冱(さ)ゆる御手洗川(みたらしがは)に影見えて
冰(こほり)に摺(す)れる山藍(やまあゐ)の袖
――藤原俊成(ふじはらのとしなり)
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御輿(みこし)を海の中へ担ぎ入れる祭のある海岸から、七キロほど離れた里山沿いに、小学校まで毎日三〇分以上かけて歩いた道があります。
山葡萄(ヤマブドウ)や通草(アケビ)が蔓(つる)を伸ばしていた森が開かれ資材置き場になるなど、様子の変わった場所はありますが、いまも道端には雌日芝(メヒシバ)や烏麦(カラスムギ)や鬼牛の毛草(オニウシノケグサ)が群れ、夏には葛(クズ)や藪枯(ヤブガラシ)が生い茂り、その葉蔭では大きな土蝗(つちいなご)が触角を動かしているのでした。
コロナ禍で外出する機会が減った期間は、仕事のあいまに事務所の近所をよく散歩しました。道を四方八方あてもなく歩いたり、目的地だけ決めて地図は確認せず進んでみたり、高架下の幹線道路を辿ってみたり。
そうして歩きながら、工事や剪定(せんてい)が止まった場所の植物や虫を眺めていたある日、あちこちの道の隅から細い枝を伸ばし、切れ込みの入った扇状の葉を広げる、ひとつの植物に気がつきました。和紙の原料となる〈楮(コウゾ)〉です。梶の木(カジノキ)の葉とよく似た形の葉を持つ楮は、梶の木と姫楮(ヒメコウゾ)の交雑種といわれています。
現在の洋紙の原料は〈木材パルプ〉で、多様な樹木の幹の繊維が使われているのですが、楮・三椏(ミツマタ)・雁皮(ガンピ)の靱皮(じんぴ)繊維は和紙の三大原料で、古くから人間の身近にあった植物です。世界中で人間の活動が停滞していた時間に、楮がいっせいに萌えあがっていたことは、忘れることができません。紙に宿る根源的な生命力の輪郭を垣間見たようにも思えます。
今回は、植物とその物語へ思いをはせながら進めた、四冊を御紹介。
ユリイカ「総特集=J・R・R・トールキン」は表紙と片観音(かたかんのん)目次両面、扉と本文見出しをデザインしました。トールキンの作品世界と〈木〉、〈山〉、〈金属〉、〈ラファエロ前派〉など、さまざまなイメージを編集さんと一緒に組み立て構成しています。表紙の用紙は単行本のカバーで指定することも多い、ヴァンヌーボF‐FSのホワイトを選びました。
佐藤達夫(さとう・たつお)さんのエッセイ集『植物誌』は、真摯(しんし)に美しく描かれた一〇二点の挿画も収録した雪華社(せっかしゃ)版単行本の復刻文庫化です。見開きにひとつの草花が入るよう、編集さんと本文レイアウトを調整しています。文庫ではカバー表1のデザインだけを依頼されることが多いのですけれど、『植物誌』では帯表1もデザインを担当しています。
『世界の樹木をめぐる80の物語』『世界の植物をめぐる80の物語』は、色彩豊かな挿画の案内で、ヴェルヌ『八十日間世界一周』になぞらえた八〇種の植物と人々との関わりをめぐる旅となっています。原著の構成を生かし本文設計しました。ウクライナの街の〈マロニエ〉、トンガへ渡った〈カジノキ〉、藍(あい)の染料となるバングラディッシュの〈タイワンコマツナギ〉など、いくつもの植物が心に残りました。
この記事は紙魚の手帖vol.14(2023年12月号)に掲載された記事を転載したものです。