訳者あとがき

 バディやコンビものの作品はふたりの設定にギャップがあればあるほど、いい。
 まじめ君とうっかり君、手練れの先輩と初々しい後輩(この形容は入れ替わるとまた味わいがある)、侵略した側とされた側。本書『スリー・カード・マーダー』は正反対の姉妹が語り手で、姉は警官、妹は詐欺師だ。
 しかも、本書の特徴はそれだけではない。不可能犯罪の巨匠ジョン・ディクスン・カーのファンにもぜひぜひ読んでいただきたい密室殺人ものでもあるのだ。

 舞台はイギリス有数の海辺の行楽地ブライトン。最初の被害者はなんと空から降ってくる。地面にたたきつけられたその男は、バス停前のフラット五階の自室から飛び降り自殺を図ったかと思われたが、喉がぱっくりと切り裂かれていた。それなのに被害者の部屋を調べると、そこには誰もおらず、玄関ドアは内側から封じられているなど、逃走ルートも見当たらない。さらには血痕らしきものもなく……。
 捜査を担当するのは重大犯罪班(イースト・サセックス州、ウエスト・サセックス州、さらにはサリー州において、主に殺人事件の捜査を担うスペシャリスト)のテス・フォックス警部補だ。三十代後半、正義感の強いまじめな性格である。彼女はさまざまな事情で家族や友人と疎遠になっており、この行きづまりを打開するには仕事で成功するしかなかった。しかもこれは昇進間もない彼女が初めて指揮する事件で、さらに正式な警部へと昇進する格好のチャンスでもあった。
 しかしそんなテスを打ちのめす事実が判明する。被害者は彼女が記憶から消したいあの事件――警察に入る動機となったうえ、どうしても明るみに出すことはできない事件の関係者だったのだ。そして本件は捜査陣にとって悪夢のような不可能犯罪であるという予感。こうなると、捜査を進めるには絶対に話を聞くしかない人物が頭に思い浮かぶ。縁を切った腹違いの妹、セアラ・ジェイコブズである。
 三十二歳のセアラは父フランクが率いる詐欺師集団の中核メンバーだ。すりかえ、早業なんでもござれ、変装も得意なイリュージョニストである。古典ミステリが好きで謎解きが大好き、頭の回転が速く、陽気でふざけてばかり、人生はゲームといったふうに生きている。テスのように善悪について悩むこともない。司令塔として大がかりな詐欺の指揮を執るようにもなっているが、街なかで当たり屋のペテンを仕掛けたり、会計時にいんちきしたりといった現場のスリルこそが詐欺の醍醐味だと思っている。自由に生きているように見える彼女だが、秘密厳守の稼業のため交友範囲はほぼ身内だけで、じつは孤独だ。幼い頃に母を亡くしている彼女は十五年前に、それまで存在を知らなかった姉テスと出会って大喜びした。けれど、みずからの軽率な行動が原因で、姉とは袂を分かつことになってしまった。自分が悪いとわかっていても、〝姉に捨てられた〞と思わずにいられない。でもいまとなっては、稼業の掟として警官の姉とかかわるわけにはいかないのだ。
 一方のテスもあの犯罪王フランクが父だなどと警察内部の者たちに知られれば、いや、今回の被害者と自分とのかかわりが暴露されただけでも、昇進どころか人生の終わりだ。セアラに接触するのもリスクになるが、背に腹はかえられない。
 かくしてふたりは再会を果たすが、刑事と詐欺師では考えかたがあまりにも違っておたがいに反感を覚える。しかし、事情を知ったセアラも、それならば自分たちを守るために協力するしかないという点では意見が一致し、姉妹で事件に取り組んでいく。

 本書の読みどころはなんといっても、ミステリ好きなら誰でも心躍る〝密室もの〞の部分だ。正反対の立場にある姉妹の設定が効いていて、しっかり者のテスが警察ならではの捜査力を生かして証拠固めをし、才気煥発でひらめきに優れたセアラが推理をするという役割分担になっている。不可能犯罪にしか見えない事件をこの姉妹がどう解いていくのか、読者のみなさんもぜひ推理してみてほしい。それから密室だけではなく、思いもよらない展開も待っているのが『スリー・カード・マーダー』の鍵でもあるので、お楽しみに。
 謎解きと同じくらい、セアラのおこなう何種類もの詐欺のシーンもミステリファンには楽しんでもらえそうだ。本書の状況は主人公の姉妹にとって結構危機的なのだけれど、セアラの言動のおかげで大笑いのシーンもある。
 テスは不器用で、友人と呼べるのは直属の部下で癖の強いイケメン部長刑事くらいだ。そのうえ手がけるのは透明人間による犯行とささやかれる難事件なのに、昇進のライバルであるもうひとりの警部補は隙あらばテスの気持ちを削ろうとしてくるなど、味方がほぼいない状況である。一方、怖いものなしのセアラは信頼できる〝ファミリー〞にかこまれているが、友人らしい友人はおらず、孤独を感じている点では姉と同じ。ふたりとも相手の生きかたには感心していないけれど、交流を続けるうちにいつしか互いに影響を受けていく。そんな姉妹のかかわりの変化についても、注目だ。
 舞台であるブライトンという街にもご注目いただきたい。個人的に地方色の豊かな話が好みなので、街のさまざまな描写は文字で読んでも観光気分になれて、訳出に際して調べものが楽しいったらなかった。
 そんな本書はすでにテレビ放映権がアメリカを拠点とする製作会社ガスピン・メディアに購入されており、連続ドラマ化が予定されているから、そちらも大いに期待したい。

 このように愉快で新しい不可能犯罪ミステリを送りこんできた著者J・L・ブラックハーストは、八冊の心理サスペンスを上梓しているジェニー・ブラックハーストの別名義だ。
 彼女はブライトンからは少し離れた中西部の内陸の町シュロップシャーで生まれ育った。読書、それも古典ミステリと不可能犯罪ものが大好きで、ミステリ談義を楽しみ、自分でも創作しながら成長したようだが、作家というのはロックスターのような夢の存在で、地に足の着いた職につかねばと考えていたそうだ。職業心理学の修士号を取得し、衣料品店のマネージャーに。ところが二〇一一年、息子が生後一カ月のとき人員整理され、自分のアイデンティティを取りもどしたくて、本格的な執筆活動を開始。努力は実り、消防署の管理アシスタントとしてふたたび働いていた二〇一四年にHow I Lost Youでデビューを果たす。同作はニールセン賞銀賞に輝き、イギリス国内におけるKindleのナンバーワン・ベストセラーとなったほか、ドイツではシュピーゲル誌のベストセラー・リストにランクインした。その後、専業作家となり、現在もシュロップシャーで夫、ふたりの息子、二匹のビーグル犬と暮らしている。

 本シリーズは、今年の九月、本国で第二弾のSmoke and Murdersの刊行が予定されている。イギリスには十一月五日、十七世紀の火薬陰謀事件に由来して各地で焚き火と花火の祭典ボンファイア・ナイト(ガイ・フォークス・ナイトとも)を催す伝統があり、テスの管轄には国内最大規模の祭典で有名な街ルイスがある。この祭典において焚き火で燃やされたガイ・フォークス人形のなかから遺体が発見され、ふたたびテスとセアラが謎解きに取り組む、という内容とのこと。なにそれおもしろそう。あとがき後派のみなさんはうなずいてくださるだろうが、訳者も続きが気になって仕方がないので、この二作目を読める日を心待ちにしているし、読者のみなさんにも早くお届けしたいところだ。
 最後に、今回も的確なサポートでお世話になった東京創元社の編集者の桑野崇氏、本作を象徴する三枚のカードが踊る素敵なカバーをデザインしてくださった中村聡氏、日本版の本作りにかかわったみなさんに心からの感謝を捧げる。

 二〇二四年二月



本記事は2024年3月刊のJ・L・ブラックハースト/三角和代訳『スリー・カード・マーダー』(創元推理文庫)訳者あとがきを全文転載したものです。(編集部)



■三角和代(みすみ・かずよ)
西南学院大学文学部外国語学科卒。英米文学翻訳家。カー「帽子収集狂事件」、ブラウン「シナモンとガンパウダー」、グレアム「罪の壁」、タートン「イヴリン嬢は七回殺される」など訳書多数。

スリー・カード・マーダー (創元推理文庫)
J・L・ブラックハースト
東京創元社
2024-03-29