こんにちは翻訳班のKMです。
寒さ厳しい冬が去り、代わりに春の悪魔カフン(デモンと同じ発音)が大暴れするこの頃、皆様はいかがお過ごしでしょうか。やつらに鼻呼吸を奪われて以来、私はスギとヒノキを追い払うため額に「シロアリ」と書いて寝ています。

最上階の殺人

アントニイ・バークリー『最上階の殺人』(藤村裕美訳/創元推理文庫)が新訳刊行されたのも冬と春の境界、2月29日のことでした。うるう日の誕生です。四年に一度しか歳をとらないので寿命も四倍、長く読み継がれることが確定しています。かように縁起のいい本書ですが、タイトルから察せられるとおり冒頭から殺人事件が起き、探偵と警察が推理を戦わせるわけで……まずはあらすじをどうぞ。

◆あらすじ◆
閑静な住宅街、四階建てフラットの最上階で女性の絞殺死体が発見された。現場の状況から警察は物盗りの犯行と断定し、容疑者を絞り込んでいく。一方、捜査に同行していた小説家ロジャー・シェリンガムは、事件をフラットの住人の誰かによる巧妙な計画殺人と推理し、被害者の姪を秘書に雇うと調査に乗り出す! 心躍る謎解きの先に予測不能の結末が待ち受けるシリーズ屈指の傑作。エッセイ=真田啓介/解説=阿津川辰海

本書は『毒入りチョコレート事件』の著者アントニイ・バークリーが生み出した名探偵〈ロジャー・シェリンガム〉シリーズの逸品です。本シリーズは謎解きと独創的な発想とが組み合わされたミステリ史に輝く傑作群であり、なかでも本書は屈指の傑作。そんな傑作中の傑作(!)が、このたび藤村裕美先生の活き活きとした新訳で創元推理文庫から刊行となりました。

読みどころは第一に、推理の道のりの面白さにあります。住人のなかに殺人犯がいるとにらんだシェリンガムはまず各戸を訪問して話を聞いて回ります。限定された空間の、限定された人数の容疑者に「ちょっとお話を……」としていく手続きは、いかにもミステリミステリした面白さに満ちています。

そんな各戸の住人ほか、キャラクターの楽しさも堪能できます。本書でシェリンガムは被害者の姪ステラを秘書として雇い、犯人探しに挑みます。自由奔放なシェリンガムが、助手ステラを振り回す――という単純な構図にはならず、ステラは彼の言動に飄々と切り返し、ときにはばっさり切り捨てます。この痛快さが謎解きの行程をさらに胸躍るものにしています。

第三の読みどころは――思い切ってずばり述べると――結末です。そこでは、上述した推理の面白さとキャラクターの楽しさが渾然一体となって襲いかかり、まさに最上階から窓の外に放り出されるような衝撃に打たれます。どうぞ本書をお手にとって、この無類の読後感を味わってください。

最上階の殺人とグリーン家殺人事件

巻末には真田啓介様のエッセイ「バークリーvs. ヴァン・ダイン」を収録させていただきました。両巨匠が志向したミステリが対比され、『最上階の殺人』でバークリーが行ったヴァン・ダインへの「挑戦」が指摘されています。今年一月にはヴァン・ダイン『グリーン家殺人事件』が新訳刊行されたところ。真田様の本論を手引きとしつつ、どうぞ両作を読み比べていただけますと幸いです。

また、解説は阿津川辰海先生にお寄せいただきました。本作との出会いを語る冒頭から、本作を「探偵小説としても離れ業を為し得ている」と評される後半まで、読み応えたっぷりです。本書と同じ二月刊行『黄土館の殺人』にて、「名探偵」という存在をこのうえなく魅力的に描かれている阿津川先生による「名(迷)探偵」の読み解きを、どうぞお読み逃しなく。

カバー装画は、小社バークリー作品にいつも素敵な顔を与えてくださる牛尾篤様。キーパーソンのシェリンガムとステラ、背景には「最上階」を想起させる階段が描かれています。カバーデザインは折原若緒様、カバーフォーマットは本山木犀様です。このたびも英国ミステリの香気漂うデザインに仕上げていただきました。

以上、隅々までミステリの魅力に満ちた著者屈指の傑作をぜひぜひお楽しみください。そして現在、アントニイ・バークリー『地下室の殺人』(佐藤弓生訳)の文庫化企画が進行中! タイトルの対比が示すように〈ロジャー・シェリンガム〉シリーズにおいて『最上階の殺人』と対をなす傑作ですので、どうぞ本書を楽しみつつ刊行をお待ちいただければ幸いです。


最上階の殺人 (創元推理文庫)
アントニイ・バークリー
東京創元社
2024-02-29


レイトン・コートの謎 (創元推理文庫)
アントニイ・バークリー
東京創元社
2023-08-31


ジャンピング・ジェニイ (創元推理文庫) (創元推理文庫 M ハ 3-6)
アントニイ・バークリー
東京創元社
2009-10-30


毒入りチョコレート事件 (創元推理文庫)
アントニイ・バークリー
東京創元社
2012-10-25