お友達のジャン=ジャック・ニャン吉(以下J=J・N)がなんだか混乱した顔つきで、文庫本を読んでいるけど、あっちを開いたりこっちを開いたりしているので、どうしたのかニャと思って訊いてみたニャ。
「ああ、くらりくん。この本、面白いんだ。ある夜の出来事を書いた物語なんだけど、そこには9人の人がいて(老人ホームの8人の入居者とひとりの寮母さん)、9つの章に分かれてる。一人ひとりそれぞれ同じページ数で書かれているんだ。で、それぞれの章の、例えば3ページ目の3行目を見ると、その時の同じ場面なんだけど、それぞれの人の視点で描かれているわけなんだよ」
「?」
「たとえばさ、くらりくんが今日の今のことを日記に書くとするだろ? そうすると、『J=J・Nが怖い顔をして変な本の読み方をしていたから心配になったニャ。読んだところをすぐに忘れちゃうのかニャ……? 大丈夫かニャ? おそるおそるぼくは訊いてみた。するとJ=J・Nは、その本の面白さを説明してくれたニャ』とか書くよね?」
「うん」
「でも、その時のことをぼくが日記に書くとしたら、『ぼくがB・S・ジョンソンの《老人ホーム》を大いに楽しみながら読んでいたら、くらりくんが、妙に怯えたような顔をして訊いてきた。まるでぼくがおかしくなって、読んだことをすぐに忘れてしまうから、行ったり来たりして本をひっくり返して読んでいるんじゃないかと心配しているようだった。これは滑稽千万。でも、彼は彼なりに、ぼくのことを案じてくれているというわけか……それにしても笑えるよ、くらりくんは。そしてこの小説も実に面白い』」
「ふーん」
「この場面を友人の編集者が見たとしたら彼女はこう書くかも。『あっ、生意気にもJ=J・NはB・S・ジョンソンの《老人ホーム》なんて読んでる……。ちゃんと楽しみ方を知ってるようだ。あっちこっち行きつ戻りつしながら面白そうに読んでいる。そこにやって来たくらりが、何か怖いものでも見たような顔をして、彼に質問した。もしかしたらJ=J・Nが変になってしまったとでも思ったのかも。くらりはJ=J・Nが大好きだから心配になったんでしょうね』とかね。
これをふたりを知らないよその人が見ると『目つきの悪い猫が二匹、〈おわあ。こんばんは〉、〈おわあ、こんばんは〉とかいい合っていた。おかしなことに一匹はまるで本を読んでいるかのように文庫本をもてあそんでいる。いったいあれは何だったんだ?』とかね。同じ時に同じ場所にいて、同じものを見たってそれぞれ感じたり考えたりすることは別だからね。
つまり、この小説は同じ夜のある時間帯に同席していた9人が、それぞれどう思っていたか? 何を考えていたか?(何も考えていなかったか?)を書いたものなんだ。
老人たちはそれぞれ健康状態も、認知度も異なっていて、ほとんど普通に生活している人もいれば、言葉が出てこない人もいる。ほとんど、眠っているような人もいる……という状況なんだって。
この本は今度創元ライブラリに入ったんだけど、以前は海外文学セレクションという単行本だったんだ。前に出た時は、ほとんど眠っているような意識が飛んでいる(?)人のページは、単語がポツンポツンとしか書かれていなかったり、真っ白なページもあったりで、これは乱丁ではないか? という問い合わせもあったんだって。
同じものを見ていても、まあ素敵と思っている人もいれば、なんだこれは?と思っている人もいる。何も感じない人も、眠っている人もいる……。人生そのものだね、くらりくん」
「なんだか、悲しいようなおかしいような複雑な気持ちになったニャ。でも人生は面白いね。あ、またぼくたちでも《人生》と言っていいのかにゃ? という疑問にぶち当たってしまったニャ」