心に沁(し)みる時代小説の名手として高い評価を受けている西條奈加(さいじょう・なか)だが、第十七回日本ファンタジーノベル大賞(二〇〇五年)を受賞したデビュー作『金春屋(こんぱるや)ゴメス』は、SFともファンタジイとも分類し難いかなり奇天烈(きてれつ)な小説だった。舞台は江戸だが、この江戸のある場所は北関東で、時代は近未来なのだ。
月に人が住めるような漠然(ばくぜん)とした未来。北関東の一角にまるでテーマパークのような独立国〈江戸〉が作られた。移住者はここで、電気はもちろん、最新医療も捨てて、江戸時代と同じ生活を送っている。江戸なので、当然のことながら鎖国をしており、旅行者も受け入れていない。大学生の辰次郎(しんじろう)は、競争率三百倍の難関を潜(くぐ)り抜けて江戸の永住ビザを手に入れ、東京から帆掛け船(ほかけぶね)に乗って入国する。そして勤め先として長崎奉行所出張所を斡旋(あっせん)された彼は、長崎奉行「ゴメス」の下で働きはじめる。折も折、江戸では謎の感染症が流行しており、どうやら辰次郎はその解決の鍵を握っているために、永住ビザがおりたらしいのだが……。
というのがその受賞作『金春屋ゴメス』のあらまし。さらに翌二〇〇六年に、江戸から海外への阿片(あへん)流出事件を扱った『芥子(けし)の花』が刊行された後は、西條奈加の小説の舞台は、普通の江戸時代の江戸に移行してしまった。ところがこのたび、既刊二冊が新潮文庫nexから再刊され、新刊『因果の刀』(新潮文庫nex 八五〇円+税)が刊行されたのである。
前巻で描かれた阿片流出事件を受け、江戸に日本からの査察団が入国する。しかしそれは方便にすぎず、彼らの真の狙いは、江戸の地中に眠るレアアースの独占だった。開国と江戸国消滅の危機に、ゴメスをはじめ長崎奉行所の面々が奔走(ほんそう)する。お奉行様のゴメスは、女性ながらとてつもない巨漢で大飯食らいで怪力の持ち主。江戸入りする前は科学者で、頭脳明晰(めいせき)。神話から抜け出た英雄さながらだが、女に裏切られるという英雄伝説特有の急所もなく、江戸の犯罪者たちの扱いは祟(たた)り神か怪獣さながら。一般的な時代小説やファンタジイを期待すると茫然とするが、あっけらかんとした神話的笑い満載で、十七年たった今もその面白さは減ずるところなし。怪作揃いの旧ファンタジーノベル大賞だが、その中でも極めつけの異色作。新版表紙の丹地陽子(たんじ・ようこ)が描く童子っぽいゴメスも抜群にかわいいので、ぜひこの機会に一巻からお読みいただきたい。
この世は神獣の夢の中であり、神獣が目覚めれば消えてしまう――。
村一番の踊り手である景(けい)は、ある日、太政(だじょう)神官にその才を見初(みそ)められ、神獣を祀まつる夢望宮に召し上げられてしまう。景と結婚の約束を交わしていた童樊(どうはん)は、彼女を諦(あきら)めることができず、立身出世することで景を取り戻そうと軍に志願する。目論見(もくろみ)どおり、童樊はめきめきと出世していくが、しかし一方で景もまた、夢望宮一の舞手となり、その距離は一向に縮まらない。好きな男女が互いを求めあう、ただそれだけのことなのに、引き裂かれた二人が運命に抗(あらが)おうとすればするほど、周囲の軋轢(あつれき)は膨れ上がり、やがてそれは国の命運すら傾ける事態へとつながる……。この二人に限らず、登場人物は皆、視野が狭く妄信的で、頑(かたく)なに己が信じる道を守ろうとする。その真っすぐさが愚かしくもあり、愛しくもあり、滅びに向かって転がり落ちていく姿は、生々しくドラマチックだ。
そんななか、ただ一人、童樊の同郷で弟分の神官縹(ひょう)だけは、カタストロフィに加担することなく各地を放浪する。彼は、繰り返し夢に現れる異国の風景を探し続けているのだ。この世は神が見る夢であるというアイデアは、『ペガーナの神々』や《クトゥルー神話》などでもお馴染みだが、夢見る神が自分の夢の中で現身(うつしみ)を有し、現世で夢に見た場所を探す旅をするという、倒錯した構造が独特で面白い。ところが情緒に訴える人間ドラマの迫力に比べて、この設定がいまひとつ曖昧(あいまい)で、最後まで彼が本当に神獣であるということに確信が持てないまま終わってしまった。ここを突き詰めていれば、ファンタジイとしても凄みのある作品になったと思うだけになんとももったいない。
■三村美衣(みむら・みい)
書評家。1962年生まれ。文庫解説や書評を多数執筆。共著書に『ライトノベル☆めった斬り!』が、共編著に『大人だって読みたい! 少女小説ガイド』がある。