*『シェフ』は元ミシュランガイドの編集部員だったゴーティエ・バティステッラの書いた、フランスのシェフたちの星をめぐる、熾烈な闘いや愛憎劇を描いた小説です。読むだけで、涎の垂れそうな美味しそうな料理もたくさん出てきます。でもこわーい話も……。
友人のジャン=ジャック・ニャン吉がこの間、編集者の鞄(かばん)に入ってこっそり行こうとしていた、小説『シェフ』の著者、ゴーティエ・バティステッラさんのトーク・イベントに、ぼくはこっそりではなくて、ちゃんとスタッフとして行ってきたんだニャ。
まず2月3日土曜日の夜、御茶ノ水(駿河台)の素敵なブック・カフェ、エスパス・ビブリオであった、ゴーティエ・バティステッラさん(以下GBさん)と、訳者の田中裕子さんと、『ビストロ・パ・マルのレシピ帖』の著者でもある料理研究家・小川奈々さんの鼎談(ていだん)。
ぼくは、ちゃんと本を売るお手伝いをして、いざイベントが始まったら、お三方の前で録音する係でテーブルの上に陣取っていたニャ。証拠写真もあるニャ。
エスパス・ビブリオって、本がたくさん並んでいて、ソファや、大きなテーブルがあって、庭もあるんだニャ(地下のお店なのに……)。とても素敵でコーヒーも美味しいし、本好きは是非行くべきだニャ。
なまなましい、料理界の愛憎、陰謀など、すべてミシュラン編集部にいたからこそ知る事実だとか……。怖い世界だニャ。
でも最後の質疑応答の時に一人の女性が「生々しいちょっと怖いくらいのことが書かれているけれど読み終わると温かい気持ちが心に残るのは、主人公のおばあ様の思い出、おばあ様との交流がその中核にあるからかな、と思いました……」と、感想を述べられたら、GBさんは、我が意を得たりという感じで「今のマダムが言われたように、そう、祖母の思い出はとてもこの作品の重要な要素です。朝、目覚めた時、家に漂うパンが焼ける匂い、コーヒーの香り、そういう祖母がいた時代の私自身の思い出がしっかりあって、そういうものを書いておきたかったのです」と答えていらっしゃったニャ。
小川奈々さんがフランスで、あるレストランの厨房に勤めたとき、3日働いて、3日休みというシフトだったので、「『これは、ラクチン、遊ぶ時間もある……』と思ったらとんでもない、朝は5時から、夜は夜中の1時2時になることなどザラで、休みの3日間なんと、なーんにもできないほど疲れ切っていた」というようなエピソードを披露されたら、GBさんは「僕が三年かけて書いたことを、三分で話してくれちゃった!」だって。おかしかったニャ。
ねえねえ、ミシュランの調査員って家族にもその身分は明かしてはいけなくて、ミシュラン・タイヤの営業マンとして全国を飛び回っていることになっているんだって。
それに一日に二軒のレストランに行かなくてはいけないというのがノルマなんだニャ。
一瞬、一日に二回も美味しいものを食べられるなんてうらやましいニャと思ったけど、仕事となったら、大変だニャ。フォアグラをとるためのガチョウになるみたいだニャ。
この日は、来日して2日目だったので、GBさんはかなりお疲れで、イベントが終わる頃はボーッとしていらしたニャ。トークの間にワインを飲んでいらしたせいもあるのかニャ。
GBさんは、『シェフ』が日本で出たことがとても嬉しい、なぜなら、世界三大料理はフランス料理、イタリア料理、日本料理なんだ……と言ってらしたニャ。
「日本のダシ(出汁)がとにかく美味しい、味噌汁もうどんも、鍋も……」
「ヒロシマで食べたオコノミヤキもおいしかったー!」
ふだん食べるフランス料理で好きなものは?という質問には「色んなものを入れて煮込む料理なら、だいたい美味しいですよ」ですって。
その話を聞いたからか、編集者はこの翌日にポトフを作ってフーフー食べていたニャ。
質疑応答も活発だったけど、パリに行った時に行くべきおすすめのお店は? なんて訊いちゃう人もいたニャ。
そうしたら、一軒、あまり高くなくていいお店(日本人シェフ)ですよって、マグマ(Magma)という11区のお店の名前を挙げてくださったニャ。
あとは、サイン・タイム……。とても丁寧に言葉を添えてのサインでしたニャ。
2月9日の金曜日は、フランス大使館の主催(東京創元社は協賛)で、六本木のリッツカールトン東京のマグノリアガーデン・ルームというところで、レストラン・リューズの飯塚隆太オーナー・シェフと、リッツカールトンのレストラン、タワーズの料理長・中野琢治シェフとの鼎談。共に日本を代表するシェフのお二人だニャ。
ぼくはここでも、本を売るお手伝いをして、終わってから、バティステッラさんと一緒にシェフお二人と写真を撮ってもらったニャ。
【本を売っているぼく】
【左から飯塚龍太シェフ、GB氏とぼく、中野琢治シェフ】
中野シェフは、本にいっぱい付箋を貼って、「読み込んだことをアピールしなくちゃね」だって!
シェフたちもみんな孤独を抱えていて、GBさんは調査員ではなく編集者だったから、夜中にいろんなレストランのシェフたちから電話がかかってきて、悩みをせつせつと訴えられたりしたんだって。調査員たちはシェフと接触してはいけないから、編集者の彼にまるでカウンセラーに対するように様々なことを打ち明けるのだ、と言ってらしたニャ。
そうそう、この時も、3日に話されたようにおばあ様との温かい思い出は、この小説の根幹にあるのでそこも読み取ってほしい……みたいなことを強調していらしたニャ。
ミシュランの星って、一つ星は一人の調査員の評価だけでも取れるんだって。
二つ星は、5人の調査員がOKしなければ駄目。三つ星は全調査員……なんだって。知らなかったニャ。
鼎談が終わると、中野シェフが『シェフ』から想を得たというカナッペを数種出してくださって、みんなでつまんでシャンパンをいただいたんだニャ。もちろんくらりは子供だから、シャンパンは飲まなかったけどね。編集者が嬉しそうにしていたニャ。エゾシカのパテ・アンクルートがすごーく美味しかったニャ。
いろんな人に(大使館のフランス人参事官とか、ほかのお客さんとか)に、可愛い……と言われたニャ。どうしてウサギになりたいのか? とか訊かれたりね……。
編集者は困って「自分じゃないものになりたいんですよ」モゴモゴと答えていたニャ。
「くらりはこれからの人生(?)で、三つ星レストランに行くことなんてあるかニャ?」
「編集者の鞄に隠れていくんだよ」とジャン=ジャック・ニャン吉がニヤリとして言ったニャ。
「でも、あの編集者が三つ星レストランに行くとは思えないニャ」
「それはわからないよ、くらりくん」
「そうかニャア……」
「果報は寝て待てだよ、くらりくん」
「あ、うん、わかったニャ。おやすみなさいだニャ」