まずは、各種ミステリ・ランキングにて四年連続一位を獲得(かくとく)しているアンソニー・ホロヴィッツの『ナイフをひねれば』(山田蘭訳 創元推理文庫 一一〇〇円+税)から。著者自身が視点人物となり、ロンドン警視庁の顧問(こもん)である元刑事ダニエル・ホーソーンによる事件捜査に同行し、その謎解きを小説にしていくという枠組みのシリーズで、著者を取り巻く現実が作中に色濃く投影されている点が特色。本書はその第四弾だが、冒頭で早速このコンビに動きがある。ホロヴィッツがホーソーンに対して、彼を探偵役とするミステリを書く契約を終わりにしようと申し入れたのだ。そんなホロヴィッツの目下(もっか)の関心事は、自作の戯曲(ぎきょく)『マインドゲーム』の公演である。五ヶ月に及ぶ地方巡業で好評を博したその戯曲が、いよいよロンドンのウエスト・エンドで上演されるのだ。当日劇場で観劇し、観客の反応が良好であると感じたホロヴィッツだが、その夜に不愉快な出来事を体験する。公演初日を祝うパーティに乗り込んできた著名な劇評家(げきひょうか)が、強烈な悪意に満ちた評を記したのだ。そればかりではない。翌日、その劇評家がホロヴィッツの持ち物である短剣で刺された死体として発見され、彼は殺人容疑で逮捕されてしまう……。
ホーソーンとのコンビ解消、戯曲の初日は観客の好反応から一転して劇評家による酷評(こくひょう)、さらに刺殺事件、なんとも目まぐるしい序盤である。しかも一人称の視点人物であるホロヴィッツが逮捕され、留置場(りゅうちじょう)に入れられてしまうのだ。物語は一体どう展開するのか。この大ピンチにおいて、ホロヴィッツは一度だけ許された電話の権利で〝友人〞に支援を求めた。こうした経緯でホーソーンは劇評家刺殺事件の捜査に乗り出すことになる。彼は、ホロヴィッツの逮捕に起因(きいん)するタイムリミットに急(せ)かされつつ、事件の関係者を(ときに列車で何時間もかけて移動して)訪ね歩き、捜査を進める。その過程で劇評家をはじめとする関係者たちの過去が徐々に明らかになっていくのだが、その過去と過去の結びつきが、あるいは過去と現在の結びつきが、実に刺激的なのだ。些末(さまつ)なものと思っていた情報が他の情報と結びつくことで重要な情報に化(ば)ける凄味(すごみ)であったり、そもそも、あの情報とこの情報を重ね合わせるというホーソーンの着想の(すなわち著者ホロヴィッツの設計の)凄味であったり、良質な謎解きミステリの醍醐味(だいごみ)を満喫できるのである。期待に違(たが)わぬ出来映(できば)えだ。そのうえで、このシリーズの一作となることを十二分に意識した謎解きを行うホーソーンの姿を読むこともできて、シリーズ読者として歓喜の極(きわ)みだ。また、〈ホーソーン&ホロヴィッツ〉コンビの行く末(ゆくすえ)が気になる方も多いだろうが、それについてもきちんと言及されているのでご安心を。
ボストンのミステリ専門店を訪れたFBI捜査官のグウェンは、店主のマルコムが一〇年ほど前に公開したブログ記事に言及した。その記事でマルコムは、〝完璧なる殺人〞を描いたミステリを八つ紹介していた。発表年代順に、ミルン『赤い館の秘密』、アイルズ『殺意』、クリスティ『ABC殺人事件』、等々(などなど)。グウェンによれば、これらのミステリと共通点があると思われる殺人が、現実に起きているのだという……。
『そしてミランダを殺す』『だからダスティンは死んだ』などで複数の視点を切り替えながら読者を巧妙に誑(たぶら)かしてきた著者だが、今回はマルコムの一人語りで物語を綴(つづ)っている。自分のリストに基(もと)づいて殺人が行われているらしいという、なんとも落ち着かない状況に置かれた彼は、グウェンに一応は協力するのだが、そこはさすがスワンソンのミステリの主人公である、すべてを語るわけではない。捜査官に隠し事をするのである。そんな彼の隠し事を知りながら読者は、グウェンの捜査の進展を――予想もしなかった方向にねじれていく様を――読み進むことになる。この著者に振り回される読書体験のなんと愉(たの)しいことか。しかも今回の作品には、バラエティに富(と)んだ八つのミステリが実際の殺人にどう反映されるかという興味も備わっているのだ。なかにはアイラ・レヴィンの戯曲『死の罠(わな)』のように模倣(もほう)が困難な作品もある。殺人の真相究明に加えて、著者が先達(せんだつ)の名作群をどう扱うかという魅力もある本書は、従来のスワンソンの著作(いずれも高評価だ)にも増して複雑な味わいを堪能(たんのう)できる良作だ。
なお、注意点が一つ。本書では、マルコムが選んだ八作品と、クリスティ『アクロイド殺害事件』の真相が明かされている。本書の性質上やむを得ないのだが、気になる方は、版元(はんもと)サイトでの立ち読み機能などを利用して、本書冒頭の注意書きを御一読戴(いただ)きたい。
■村上貴史(むらかみ・たかし)
書評家。1964年東京都生まれ。慶應義塾大学卒。文庫解説ほか、雑誌インタビューや書評などを担当。〈ミステリマガジン〉に作家インタヴュー「迷宮解体新書」を連載中。著書に『ミステリアス・ジャム・セッション 人気作家30人インタヴュー』、共著に『ミステリ・ベスト201』『日本ミステリー辞典』他。編著に『名探偵ベスト101』『刑事という生き方 警察小説アンソロジー』『葛藤する刑事たち 警察小説アンソロジー』がある。