渡邊利道 Toshimichi WATANABE






 本書は、イスラエル出身で現在は英国在住の作家ラヴィ・ティドハーが二〇二二年に刊行し、翌年のローカス賞でファイナリストになった長編小説Neomの全訳である。英国の作家で優れた批評家でもあるアダム・ロバーツは、本書をティドハーのベストだと述べているそうで、たしかにシリアスな歴史認識とロマンティックな物語が、いかにもSF的なきらびやかなアイディアの数々に彩られた、これまでのティドハー作品の中でも随一のストレートに面白い小説だ。

 緒言にある通り、原題になっている「ネオム」とは、サウジアラビアが二〇一七年に構想を発表した紅海沿岸の砂漠地帯に建設予定の革新的な未来都市のことである。再生可能エネルギーで電力を百パーセントまかない、インターネットとAIを活用したインフラが円滑な生活をサポートする、いわゆるスマートシティとして構想されている壮大な計画だ。
 現在は砂漠に空港と工事現場が点在するだけの土地を、ティドハーは人類の行動範囲がオールトの雲にまで達し、太陽系の少なくとも地球・火星・金星の三つの惑星では高度な文明社会を築いた未来世界の、もはや盛りを過ぎ、やや頽落しかかった象徴的な黄昏の都市として描き出している。二十一世紀では最新テクノロジーである安定発電を実現したソーラーシステムも、小説内ではすっかり古びてどこかノスタルジーすら感じさせる風物と化しているのが印象的だ。

 物語は二人の人間と一台のロボットを中心に展開する。
 一人目はネオムに住む女性マリアム・デラクルス。エジプト人の父親とフィリピン出身の母親の間に生まれ、早くに亡くなった父親への思慕を抱えながら、老人施設で暮らす認知症の母親の介護費用を賄うためにいくつもの仕事を掛け持ちしている。もっとも、本文を読む限りでは、単に生活のためだけでもなく、基本的に働き者で、お人好しで頼まれたら断れない性格のためもあるだろうと感じられる。ネオムは富裕層と多くはアジア・アフリカからの移民で構成される労働者階級にはっきり二分された社会になっており、この物語では基本的に後者の世界だけが舞台となる。マリアムがその仕事の一つである掃除人として見聞きした人生の断片の他は一切富裕層の姿が描かれないので、まるで世界に薄いヴェールがかかっているように、つねにそこはかとなく閉塞感が漂っているのが、現代の富裕ならぬ都市生活者の実感をよく写しているように思えるのも皮肉だ。マリアムは自身がもう若くはないと考えており、とくに現在の状況に不満を抱いているわけではないが、漠然とした孤独と、この後の人生についての不安を感じている。
 物語の焦点となるもう一人の人物は、第四次世界大戦の後、砂漠に放置されたままの戦争機械を発掘し売り捌く流浪民(ベドウィン)の少年サレハ。発掘中に再起動した戦争機械によって家族を皆殺しにされた彼は、かつて破壊と殺戮を芸術であるとして活動したテラー・アーティストの遺物である時間膨張爆弾の殻を持って、それを高く買ってくれるお客を探し、象の群れを駆って砂漠を移動する隊商団(キャラバン)に身を寄せる。所属する集団を失い、隊商団にも溶け込めない彼は、大金を手に入れて宇宙へ旅立つ日を夢見ている。この小説を濃密に満たしているのは世界がすでに古びてしまっているという感覚だが、それは都市の問題であり、砂漠を行くサレハは少年らしい瑞々しさと率直さで世界を眺めている(砂漠に埋まっている戦争機械が暗い過去の亡霊のように視界をよぎっていく)。この、都市と砂漠、そして宇宙というトポスが、それぞれ強い象徴性を帯びているのも本作の魅力の一つだろう。
 最後に登場するのが古い人間型(ヒューマノイド)ロボットで、かつて戦争機械として人間に作られ、地球での戦争が終わった後も宇宙で人間の命令を受けて戦い続け、身体のあちこちが故障したり破壊されレプリカに交換されたりして、いまやすっかりボロになっている。自分たちで作っておきながら、戦争が束の間終息すると過去の遺物(ゴミ)あるいは危険物扱いで戦争機械を忌避する人間に対して、辛辣な皮肉をもって対する成熟した知性の持ち主でもある。こうした人間の歴史へのアイロニカルな視線はティドハー作品の定番だ。地球に舞い戻った彼は、マリアムの働く花屋に現れて一本のバラを購う。そして砂漠に向かい、地下深くに埋もれていた黄金のロボット、ゴールデンマンを発掘する。
 物語は、このゴールデンマンをめぐって、マリアムに想いを寄せる警官のナセルや、成り行きでサレハの道連れになる人間の言葉を話すジャッカルのアナビス、ゴールデンマンの製作者であるテラー・アーティストのナスなど、様々なキャラクターを巻き込んで進んでいく。果たして、ロボットはバラの花を誰に贈るのか?

 本作はとくに他の作品を参照する必要がない独立した長編だが、二〇〇三年から作者が継続的に発表している〈コンティニュイティContinuity〉という未来史のシリーズに属している。基本的には前述したように太陽系の全域に文明が広がった世界に、カンバセーションと呼ばれるデジタル通信のネットワークが敷かれ、それにバイオテクノロジーで常時接続された人類と、その延長であるサイボーグや過激な遺伝子改変を施した超人間、知性と意識を持つデジタル生命体(分類外、アザーズ)やさまざまな自律型機械、オールトの雲の中に潜むと噂される異星人もしくは異星人が作った機械生命体まで、多種多様な存在が散らばっていて、それぞれの事情に従って生きている姿を群発的に描いたものだ。
 物語は地球(Earth)、太陽系(Solar System)、太陽系外(Exodus)という三つの空間セクションに分かれており、シリーズタイトルのContinuity(継続性)とは、デジタル生命体の進化や身体改造した人類が太陽系外の未知の星に向かって宇宙船で出発することから名づけられたという。また、デジタル生命に関連して、シリーズ内ではオンラインゲームの仮想宇宙が巨大な存在感を持っており、これも重要な物語の舞台の一つと言えそうだ。
 シリーズの長編は本書を含めて二作あり、一作目のCentral Stationは、それまでに描いた相互に関連する連作短編群をまとめて加筆修正を施し二〇一六年に刊行したもので、ジョン・W・キャンベル記念賞を受賞するなど高い評価を受けた。そのためか、本書は〈コンティニュイティ〉シリーズというよりも、Central Stationの続編と紹介されているケースが多いが、タイトルになっているセントラル・ステーション(中央駅)がイスラエルに実在するバスターミナルで、作者がその未来を宇宙港として描き作品の舞台としている、という実在の場所を想像力で変容させ未来史の中に登場させている点と、社会の成り立ちの背景が共通しているだけで、登場人物やメインストーリーは重なっていない。というか、Central Stationの大きなテーマの一つが「家族」であるのに対し、本作は家族的なつながりから切り離された孤独な者たちの物語になっている。

 シリーズに属する日本語に翻訳されている作品は、新刊で入手可能なものとしてはまずシェルドン・テイテルバウム&エマヌエル・ロテム編『シオンズ・フィクション イスラエルSF傑作選』(竹書房文庫)に収録されている「オレンジ畑の香り」(小川隆訳)がある。のちに長編Central Stationに統合された連作の一編で、本書にもパレスチナの詩人ダルウィーシュの作品が引用されているが、この短編で印象的に描かれる失われたオレンジ畑のイメージには、三十六歳で暗殺されたパレスチナ人のジャーナリストで作家のガッサーン・カナファーニーの短編「悲しいオレンジの実る土地」(黒田寿郎・奴田原睦明訳『ハイファに戻って/太陽の男たち』河出文庫に所収)の記憶が強く喚起され、イスラエル北部のキブツで育ち、十代でアパルトヘイト(人種隔離政策)で知られる南アフリカに家族で移住し、最初はヘブライ語で創作を始めるが、ほどなくして英語に変えたというティドハーの経歴を想起しないではいられない(アジア系の登場人物が多いのも、ラオスやバヌアツで暮らした経験が反映していると思われる)。ちなみに本作を含むシリーズの世界ではイスラエルとパレスチナは破滅的な戦争の後デジタル統合され連邦国家となっている。
 また、ティドハーが二〇一九年にゲスト・オブ・オナーとなったコンベンション「はるこん」の際に刊行された『金星は花に満ちて』(はるこん実行委員会)には、表題作(崎田和香子訳)のほか「地球の出」(大串京子訳)「世界の果てで仮想人格(ゴースト)と話す」(木村侑加・大串京子訳)の三編が収録されている。これらはすべて太陽系が舞台の作品で、ティドハーの宇宙SFの魅力を伝えてくれる貴重な邦訳だ。またシリーズとして紹介されていないが、本作の第一章「いにしえの街」の初出ヴァージョン「ネオム」(山本さゆり訳)も収録されていて、長編に組み込むにあたってどう書き直されているかを確認しても面白いかもしれない。
 他に、早川書房の雑誌〈SFマガジン〉二〇一三年九月号に、短編「ナイト・トレイン」(小川隆訳)が掲載されている。タイのバンコク―ノーンカーイ間を走る遺伝子改造された巨大ナメクジが動力となった夜行列車で、トランス女性のボディガードが暗殺者と戦う物語で、「進化」というシリーズのメインテーマがくっきり現れた作品だ。

 基本的に近現代史に関する基礎知識が必要なこれまで紹介されてきた歴史改変ものの長編や、一種のモザイク・ノベルとでもいうべき複雑な構造を持つCentral Stationに比べて、本書は非常にシンプルな愛の物語だ。ロボットの不穏な行動からだんだんとサスペンスを盛り上げていって、緊迫したクライマックスと、一転してなんとも心温まるラストシーンに雪崩れ込むエンターテインメントSFの妙を、巻末の用語集による世界の広がりと深みを隠し味にして、ぜひ楽しんで読んでいただきたい。


本稿は2月13日発売の『ロボットの夢の都市』巻末解説を転載したものです。


■ 渡邊 利道(わたなべ・としみち)
1969年生まれ。作家・評論家。2011年、「独身者たちの宴 上田早夕里『華竜の宮』論」で第7回日本SF評論賞優秀賞を受賞。2012年、「エヌ氏」『ミステリーズ!』vol.90掲載)で第3回創元SF短編賞飛浩隆賞を受賞。


ロボットの夢の都市 (創元海外SF叢書)
ラヴィ・ティドハー
東京創元社
2024-02-13