人はよく、自分とは関係ない立場の人をラベリングして、「こういう人はこうだ」と決めつけがちだ。たとえば、ヤングケアラーと聞けばすぐ「家族の世話をする可哀相な子」と想像してしまうように。
前川(まえかわ)ほまれ『藍色時刻の君たちは』(東京創元社 一八〇〇円+税)には宮城県の港町で同じ高校に通う三人のヤングケアラーが登場する。統合失調症を患(わずら)う母と祖父と三人で暮らす小羽(こはね)は、母の世話と家事を一身に引き受けている。双極性障害の祖母を献身的に介護して暮らす航平(こうへい)は、希死念慮(きしねんりょ)を示す祖母にほの暗い気持ちを抱いている。アルコール依存症の母と幼い弟の面倒を見ている凜子(りんこ)は、やりたいことを諦(あきら)めている。周囲の無理解や安易な同情を嫌う彼らが打ち解けるのが、街の中華店で働き始めた青葉(あおば)という若い女性だ。だが、彼女にもなにか事情がありそう。そんな様子が三人の視点から語られていく第一部の舞台は二〇一〇年から二〇一一年だ。その第一部の終盤で、彼らは大震災に見舞われる。
第二部の舞台は二〇二二年。震災後、離れ離れになった彼らは異なる道を歩んでいるが、ひょんなことから再会する。震災に対しても故郷に対しても抱く思いはそれぞれ。なかでも東京で看護師となった小羽は、後悔に苛(さいな)まれ、故郷に帰れずにいる。
同じ経験をしていても、感じ方やその濃淡はまったく違う。三人の主人公を描くことでそのありようを丁寧(ていねい)に描き出し、かつ、ヤングケアラーの支援や震災後の人々の人生について深く考えさせられる内容。現役の看護師であり、宮城県出身で故郷も被災した著者ならではの繊細に構築された世界には、はっとさせられる言葉、場面がたくさんある。
地方の町に暮らす十七歳の鬼島鋼太郎(きしま・こうたろう)は、夏休みのバイト帰りに「アストラル神威(かむい)」と名乗る奇妙な少年と出会い、面倒に巻き込まれたくなくて逃げる。新学期、クラスに留学生として転入してきたのはなんとその神威。天真爛漫(てんしんらんまん)な彼は鋼太郎と親友になりたがり、「せいしゅん」を謳歌(おうか)したいと主張。最初は変わり者扱いされていたが、次第にクラスに受け入れられていく。個性豊かなクラスメイトたちの会話もコミカルで、前半は学園コメディの様相。鋼太郎もノリのよい少年だが、ただし彼には秘密がある。心臓を患う妹が長年入院生活を送っており、彼はなにかと理由を作っては友人らとの付き合いを断り、病院に通っているのだ。周囲に妹の存在を隠す理由は、同情されたくないからである。
本書の序章にはダークファンタジーのような不穏な世界が描かれている。その秘密が明かされる後半は愕然(がくぜん)としてしまう。なかでも鋼太郎と神威のそれぞれの立場での主張が衝突する場面は言葉を失う。終盤は号泣しながら読み進めた。自分は彼らそれぞれに、どんな言葉を投げかけられるのだろう? その答えはまだ見つからない。
■瀧井朝世(たきい・あさよ)
フリーライター。1970年東京都出身。文藝春秋BOOKS「作家の書き出し」、WEB本の雑誌「作家の読書道」ほか、作家インタビューや書評などを担当。著書に『偏愛読書トライアングル』『あの人とあの本の話』『ほんのよもやま話 作家対談集』、編纂書に『運命の恋 恋愛小説傑作アンソロジー』がある。