十九世紀初頭のナポレオン戦争に、もしドラゴンを使った空戦が行われていたら。二〇〇六年に開幕したナオミ・ノヴィク《テメレア戦記》(那波かおり訳 二三〇〇円+税)は、そんな大胆な設定でファンタジイはもとより、改変歴史や架空戦記小説の読者をもうならせ、ローカス賞の第一長編部門も受賞。ピーター・ジャクソンが映画化権を獲得し、翌〇七年には翻訳刊行もスタートした。しかしその後映画化が頓挫(とんざ)し、翻訳も一五年に刊行された六巻で途絶えてしまった。それから八年。出版元を静山社に移し、『テメレア戦記7 黄金のるつぼ』がついに刊行された。


 竜疫の特効薬をフランスに渡した国家反逆の罪で、死刑宣告を受けた主人公ローレンス。その後戦功によって流刑に減刑された彼は、ドラゴンのテメレアと共にオーストラリアの内陸を開拓し、静かに暮らしていた。ところがそこに旧知の外交官ハモンドが現れ、ローレンスは対ナポレオン外交の最前線である南米へと連れ出される。英国を離れ、中国、アフリカ、オーストラリアと進んだ物語は太平洋をわたる。この世界ではインカ帝国が滅びることなく続いていることにまず驚かされるのだが、度重なる疫病によって人口が激減し、人がドラゴンによって庇護(ひご)されながら暮らすという、英国人にとっては主格逆転の現象が起きているところがミソ。
 
 ファンタジイにおけるドラゴンは、本来、自然や大いなる力の象徴であり、近代化とは相容れない存在だった。しかし《テメレア戦記》のドラゴンは、百年早く導入された航空戦力である。人々は繁殖によってドラゴンを人間の支配下に置きながら増やし、戦局を有利にしようと画策する。そんな中、並外れた強大な力を持ちながら、己の意のままに行動するテメレアという存在は、社会に何をもたらすのか。戦記物として始まった物語は、世界各地のドラゴンと人の結びつきの姿や歴史や文化を描くことで、共生の在り方を模索する方向に大きく舵(かじ)を切った。本国では既に九巻で完結しており、残すところあと二巻。ここまで広げた物語をいかにしてたたむのか。次巻の冒頭は江戸時代の日本が舞台とのことで、ドラゴンと江戸時代をどう融合させているのかが楽しみだ。
 
『クォークビーストの歌』(竹書房文庫 ないとうふみこ訳 一四八〇円+税)は、《文学刑事サーズデイ・ネクスト》のジャスパー・フォードによるユーモア・シリーズの二巻目。こちらも前作『最後の竜殺し』の翻訳刊行から三年ぶりと、ずいぶん間が空いての刊行となった。


 物語の舞台は現代のイギリスだが、この英国は大小さまざまな国が乱立する不連合王国(アン・ユナイテッド・キングダム)であり、魔法が存在し、ドラゴンやトロールも実在するという、《サーズデイ・ネクスト》ともまた異なる、別の時間軸にあるもうひとつのイギリスなのだ。魔法が動力源として使われてはいるが、魔法の源(みなもと)は衰え、かつては栄華を誇った魔術師も激減。力も失い、配線修理や、魔法の絨毯(じゅうたん)でのピザ配達、予知魔法を使って球根の花色を当てるといった、ささやかな便利技で糊口(ここう)をしのいでいる。世界は悪(あ)しき資本主義にすっかり染まり、大量の捨て子や孤児が施設で育てられ、それが安い労働力として経済を回している状態にも誰も疑問を抱いていない。主人公のジェニファーも孤児院育ちの十六歳だ。十二歳で魔術師を斡旋(あっせん)するカザム魔法マネジメント会社に年季奉公で入るも、社長に失踪され、今はひとりでこの会社を切り盛りしている。第一巻ではその彼女が、最後のドラゴンを屠(ほふ)るドラゴンスレイヤーとなってしまった顚末(てんまつ)が描かれたが、本書はその事件の二ヶ月後が舞台。崩落した橋の再建という大仕事を受注したカザム社に対し、悪しき資本主義の体現者たるスノッド国王がライバル会社を使って、合併吸収を仕掛ける。一連の嫌がらせの背景には、国王が推進する携帯電話ネットワークの利権が絡んでいるという設定の世知辛(せちがら)さ。魔法は枯渇(こかつ)からゆっくりとした回復の兆(きざ)しにあると、景気も経済も魔法も同じ口調で語る、独特の話術がこのシリーズならでは。悪代官と戦うロビン・フッド的な単純明快さと、対資本主義というシニカルな視点とのバランスも絶妙だ。ノイズのように見えていた断片的エピソードが、ぱちんぱちんと嵌(はま)っていく怒濤(どとう)の終盤も見事だ。

 A・F・ステッドマン『スカンダーと幻のライダー』(潮出版社 金原瑞人・吉原菜穂訳 二二〇〇円+税)は、ユニコーンと絆(きずな)を結び、ユニコーンライダーとなることを夢見る少年たちが、ユニコーンや仲間と共に共同生活を送りながら、試練に立ち向かい成長していく姿を描い《SKANDAR》シリーズの第二巻。一種の魔法学校もので、主人公が異端であると同時に唯一無二の存在であり、過去の因縁に打ちのめされながらも懸命に前に進もうとする姿や、競技会を一年のクライマックスに据えた展開はまさに《ハリー・ポッター》の直系。試練がゲーム的というあたりも受け継いでおり、大人にはそこが物足りないものの、箒(ほうき)をユニコーンに代えたことでバディものとしての面白さが加わっている。



■三村美衣(みむら・みい)
書評家。1962年生まれ。文庫解説や書評を多数執筆。共著書に『ライトノベル☆めった斬り!』が、共編著に『大人だって読みたい! 少女小説ガイド』がある。

紙魚の手帖Vol.12
ほか
東京創元社
2023-08-12