潜水鐘に乗って
【装画=松倉香子/装幀=柳川貴代+Fragment】


    訳者あとがき

 まず告白すると、わたしが本書『潜水鐘に乗って』の原書Diving Bellesの英版ペーパーバック(ブルームズベリー)を手に入れたのは、美しい表紙に惹かれてのこと(いわゆるジャケ買い!)だった。だが、読み終わる頃には、独特の世界観を持ち、幻想的かつ胸が締めつけられるような短編の数々を、ぜひ日本の読者にも紹介したいと強く思うようになっていた。それから少し時間が経ってしまったが、ようやく形になって書店に並ぶことをしみじみ感慨深く、うれしく思う。

 本書に収められている短編は、どれも著者ルーシー・ウッドの出身地、イギリス南西部に位置するコーンウォール半島に数多く伝わる伝説や伝承が下敷きになっている。ある意味で特殊なこの土地なくして、本書は生まれなかっただろう。そこでは、ムーアと呼ばれる荒れ地が広がり、断崖絶壁に強い風が吹きつけ、小さな森には妖精が現れる泉がある。荒れ地や海岸では奇妙な形の巨石があちこちで眼をひき、かつて栄えた鉱山の廃墟には打ち捨てられた線路が延びている。どれも、本書に収録された短編の舞台になっている風景だ。さらに詳しく紹介すると、例えば「石の乙女たち」に似て円状に巨石が並ぶ、〝九人の乙女〟と呼ばれる遺跡や、巨人の骨が掘り出されたという、「巨人の墓場」を思わせる言い伝えのある城、「緑のこびと」に登場する、妖精が見えるようになる塗り薬の伝説が残る村も実在する。
 残念ながら、わたしは実際にコーンウォールを訪れたことはない。そのため、本書を訳出するにあたっては、井村君江氏の『コーンウォール 妖精とアーサー王伝説の国』(東京書籍、一九九七年)という書籍を参考にさせて頂いた。井村氏は、『妖精学大全』(東京書籍、二〇〇八年)をはじめ伝説、伝承関連の多くの著書がある、著名な英文学者、比較文学者、そしてケルト・ファンタジー文学研究者だ。『コーンウォール 妖精とアーサー王伝説の国』は、井村氏が現地で暮らした体験を元に、伝説や歴史への深い知識を駆使して書かれた、文字通り、コーンウォールの世界が詰まった一冊だ。カラー写真も豊富で、本書がどんな背景と自然を舞台に書かれたのかを知るために欠かせない資料だったことをここで述べておきたい。そして、コーンウォールについて知れば知るほど、ルーシー・ウッドが故郷の自然や風土、そこに息づく伝説を愛情深く生き生きと描き出していることがよくわかった。
 その上で特筆すべきは、本書のなかで、その不思議な伝説の物語中に身を置く登場人物たちはみな、特別な存在ではなく、わたしたちと同様に現実の世界で、様々な感情を抱えて生きる人々だということだ。現実と幻のあわいに立たされていても、彼らの心に生まれるのは極めてリアルな感情だ。喜び、悲しみ、嫉妬、不安、絶望、そして希望。もしかすると、彼らのそうした感情が幻を引きつけ、現実のなかに幻を呼びこんでしまうのかもしれない。だからこそ、本書の物語はどれも単なる伝説、伝承の域を超えて、わたしたちの心の奥深くまで響いてくるのだろう。
 あるインタビューのなかで、ルーシー・ウッドはこう話している。「――伝説や伝承には、人生のあらゆる問題に対する答えが詰まっています。それは、読む人が物語を現実の出来事に変換し、現実を理解するよう促しているのです。伝説や伝承には悲劇が秘められていますが、魔女や人魚や巨人たちの物語には、悲劇だけでなく美しさやユーモアも隠れています――伝説や伝承を元にそれらを再構築し、生まれ変わらせて新しい物語を作る。それがわたしのやりたいことです――」
 この言葉がとりわけ如実に表れているのが、最後の短編「語り部(ドロール・テラー)の物語」だろう。主人公である年老いた語り部は語るべき物語を失い、絶望しているが、その姿は悲劇的であると同時に、ユーモラスにも描かれている。「語り部の物語」は、何百年も生きてきた伝承上の存在ドロール・テラーの姿を通して、移りゆく時代に取り残された者の悲哀と、故郷の伝統文化の衰退に対する著者の嘆きが浮彫になった物語だ。
 かつてコーンウォール地方では、実際に語り部が各地をまわって伝説を語り伝えていたが、近年はそんな伝統もしだいに消えつつあるという。地域に根づく伝統が消滅してしまうとしたら、それもまた悲劇と言えるだろう。ただし、現地では独自の文化を後世に残そうとする運動もあり、祭りや様々なイベントを盛りあげる動きも起きているという。「語り部の物語」のドロール・テラーも、徐々に物語を取り戻していく。短編の最後の一節は、コーンウォールに根づく数々の物語への著者の愛情と、故郷がいつまでも変わらずにいてほしいと願う祈りにも思えた。本書の短編はどれも最終的には、どんなに淡く細くとも明るい光が差す。それは、ルーシー・ウッドが物語のなかの人々に、ひいては、ときに辛く苦しい現実に生きる人々に向ける温かな視線であり、励ましであるに違いない。

 ルーシー・ウッドは、コーンウォール半島の近隣デヴォン州にあるエクセター大学でクリエイティブ・ライティングを学んだ。
 二〇一二年に刊行された初の著書であるDiving Bellesは、サマセット・モーム賞(三十五歳以下の若手作家を対象とした文学賞。過去にサラ・ウォーターズも『半身』で受賞)、ホリヤー・アン・ゴフ賞(コーンウォールの民間団体が主催する文学賞)の二冠に輝いた他、国際IMPACダブリン文学賞、ディラン・トマス賞などの候補にも選ばれた。また、本書所収の「精霊たちの家」はBBC短編小説賞の次点に選出されている。
 その後、二〇一五年にはじめての長編小説Weathering、二〇一八年には二冊目の短編集The Sing of the Shoreを出版。新作が待たれるところだ。

 最後に、本書を世に送り出す手助けをしてくださった、東京創元社編集部の宮澤正之氏、編集部のみなさま、校正課のみなさまに心より感謝申し上げます。この本を手に取ってくださった読者の方々が、ルーシー・ウッドが生み出した美しい物語たちをどうか気に入ってくださいますように。そして、出来るなら二冊目の短編集であるThe Sing of the Shoreと長編小説Weatheringもご紹介できる日が来ますよう願ってやみません。

 二〇二三年十二月
木下淳子  




*本記事は2023年12月刊のルーシー・ウッド『潜水鐘に乗って』(四六判仮フランス装/単行本)訳者あとがきの全文転載です。(東京創元社編集部)



■木下淳子(きのした・じゅんこ)
英米文学翻訳家。慶應義塾大学文学部卒業。訳書に、ジェス・キッド『壜のなかの永遠』、レイ・ペリー『ガイコツと探偵をする方法』『ガイコツは眠らず捜査する』、ペネロペ・ウィリアムソン『運命の夜に抱かれて』などがある。

■ルーシー・ウッド(Lucy Wood)
イギリスの作家。コーンウォール出身、デヴォン在住。エクセター大学で文芸創作を学び、修士号を取得。2012年、『潜水鐘に乗って』を刊行しデビュー。同書でサマセット・モーム賞、ホリヤー・アン・ゴフ賞を受賞し、国際IMPACダブリン文学賞、ディラン・トマス賞の候補となったほか、収録短編「精霊たちの家」はBBC短編小説賞の次点に選ばれた。ほかの著作に長編Weathering(2015)、短編集The Sing of the Shore(2018)がある。

■書籍詳細
書名:潜水鐘に乗って(せんすいしょうにのって)
原題:Diving Belles
著者:ルーシー・ウッド Lucy Wood
訳者:木下淳子
装画:松倉香子
装幀:柳川貴代+Fragment
判型:四六判仮フランス装(単行本)
頁数:304ページ
価格:2700円+税

【内容紹介】
すべては、コーンウォールの地ゆえに。

48年ぶりに夫と再会するため、旧式の潜水鐘で海にはいっていく老婦人(表題作)、身体が石になる予兆を感じた女性が過ごす最後の一日(「石の乙女たち」)、やがて巨人になる少年と、人間の少女のなにげない日常のひととき(「巨人の墓場」)、数百年を生き、語るべき話を失いながらも再び物語を紡ごうとする語り部(「語り部(ドロール・テラー)の物語」)……

妖精、巨人、精霊、願い事をかなえる木、魔犬……さまざまな伝説や伝承がいまなお息づく現代の英国コーンウォール地方を舞台に、現実と幻が交錯する日々をあるがまま受け入れ、つつましく暮らす人々の姿を、新鋭ルーシー・ウッドが繊細かつ瑞々しい筆致で描く12編を収録した短編集。

【収録作品】
「潜水鐘に乗って」「石の乙女たち」「緑のこびと」「窓辺の灯り」「カササギ」「巨人の墓場」「浜辺にて」「精霊たちの家」「願いがかなう木」「ミセス・ティボリ」「魔犬(ウィシット)」「語り部(ドロール・テラー)の物語」

 

潜水鐘に乗って
ルーシー・ウッド
東京創元社
2023-12-18