まえがきにかえて
川出正樹
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、赤紫、深緑、群青、朽葉、ピンク、ラベンダー、カーキ、グレー、ターコイズブルー。
それはまさに色の洪水だった。ずらりと並んだ一枚一枚異なる色合いの美しい背表紙が作り出した横に長いモザイク画。そんなきらびやかな背景とは裏腹に、その上では禍々しい中ゴシックの文字が躍っていた。“墓場”、“棺”、“死体”、“血”、“闇”、“悪夢”そして “殺人”。
子供部屋に設えられた床から天井まである巨大な書架の一番下の棚に整列した“それ”は、二段ベッドの下段に横たわるとまるで狙っていたかのように頭と同じ高さとなり、否応なく幼い子供の眼に飛び込んできた。小学校低学年の児童にとって “それ” は、しばしば悪夢の引き金となった。
にもかかわらず完全に無視することはできなかった。埃よけのガラス戸の内に大切に収められ、親から触れることを固く禁じられていた“それ”が放つ怪しげな魅力に引き寄せられて、陽のあるうちに怖いもの見たさでそこに書かれた文字を読み、想像を巡らせてゆく。
『閉ざされぬ墓場』には幽霊が蠢(うごめ)いているのかな? 『首のない女』はどんなオバケなんだろう? なんで『棺のない死体』が放置されているんだ。『雪の上の血』は怖いけれど綺麗だろうな。『闇からの声』なんて聞きたくない! 『黒い羊の毛をきれ』って言われたってどうすりゃいいんだ、等々。
なんともはや。まだポプラ社版の【少年探偵 江戸川乱歩全集】によってミステリを発見する前の子供には、背表紙に書かれた“推理小説”という文字は“大人が読む怖い本”を意味しているとしか思えなかったのだ。
こうしてミステリの“ミ”の字も知らないうちからミステリ叢書の代表ともいえる東京創元社の【世界推理小説全集】との邂逅を果たしてしまった小学生は、じきに《少年探偵団》シリーズに熱中し、ようやく“推理”の意味を知る。けれども人殺しが出て来る話なんて怖くて読めなかったので、父親の蔵書を振り返ることもなく名探偵と怪盗が対決する怪しくも居心地のよい世界に入り浸っていた(ゆえに死体が出て来る『蜘蛛男』を読んだときには裏切られた気がしたものだ。人は殺さないんじゃなかったのかよ!)。
そんなナイーブな少年も、やがて《刑事コロンボ》と出逢い、一九七〇年代後半の横溝正史ブームの洗礼を受け、強烈なインパクトを放つ杉本一文によるカバー画の “黒い本” を通学鞄に常備するませた中学生となる。立派なミステリ・マニアの誕生である。やがて正史が愛読したというアガサ・クリスティやエラリー・クイーン、ジョン・ディクスン・カーという作家に興味を覚えたとき、初めて思い出したのだ。あの美しい背表紙の中にそれらの名前があったことを。
『アクロイド殺害事件』や『Xの悲劇』の面白さに圧倒され(『帽子蒐集狂事件』はイマイチだったが)、翻訳ミステリの魅力に目覚めた少年は、かくしてようやく“あれ”の偉大さを実感することになる。それまで背表紙でしか認識していなかった世界は、幼い頃にたくましくしていた妄想とはまるで異なる知的好奇心を刺激する魅力溢れるものだったのだ。
しかも作品の内容だけでなく、本そのものの作りもまた強く心を惹きつけるものだった。背も含めて全体の上半分を色紙で覆われた、ベージュ色のボール紙製のシンプルだけれども洒落(しゃれ)たデザインの外箱。それとは異なる色合いの表紙に原題のアルファベットがかっこよく配された本体。上下二段にびっしりと組まれた活字。月報に掲載されたミステリに関する情報や蘊蓄(うんちく)、見知らぬ作家の名前が連なる刊行予告、そして登場人物とあらすじが記された栞(しおり)。
金田一耕助の物語はもちろん抜群に面白くて、小遣いをやり繰りして買った文庫本はどれも大切な宝物だったけれども、そこからではうかがい知ることが出来ない〈ミステリの世界〉と〈本の世界〉があることを【世界推理小説全集】は初めて教えてくれたのだ。
そうしたまだ見ぬ沃野(よくや)を指し示し、数多くの面白い翻訳ミステリと――わずかではあるが肌に合わない作品とも――出会わせてくれた叢書や全集の魅力について語りたい。
そのためにまずは、戦後、翻訳ミステリの叢書・全集がどれだけ編まれたかを調べてみた。選出基準は以下の通り。
・翻訳ミステリによって構成されていること。SFのみ、ホラーのみといった他のジャンルに特化したものは対象外とする。ただし、東京創元社の【大ロマン全集】と【世界恐怖小説全集】の二つのシリーズは、当時同社が刊行した一連の叢書との関連からリストに残すこととする。
・ミステリとそれ以外のジャンルの作品とが混在する場合、一定以上の割合をミステリが占めること。具体的には三割以上を目安とする。ただし[ハヤカワ・ノヴェルズ](早川書房)、[海外ベストセラー・シリーズ](角川書店)、[Playboy Books](集英社)に関しては、広く小説全体を対象としており、いずれのジャンルも公平に扱っているため、結果的にミステリの占める割合が高く重要な作品も多数収録されてはいるが対象外とする。
・複数の作家の作品を収録していること。個人全集は対象外とする。
・一九四五年以降に編纂(へんさん)されていること。戦前に編まれたものは対象外とする。理由は、抄訳が多い上に入手困難で、かつ大半が戦後に完訳されているため。
・シリーズ名が謳(うた)われていること。ある出版社から一定の期間にまとめてミステリが出版された場合でも、出版の意図や目的が明示されていないものは除く。
・文庫は対象外とする。理由はシリーズとして出版することを第一義としていないため。
ただし、シリーズ名を謳い既に完結しているものは含めることとした。それ以外の翻訳ミステリ主体の文庫についても、参考までにリスト内に記載しておく。・雑誌は対象外とする。ただし【別冊宝石 世界探偵小説名作選】と【別冊宝石 世界探偵小説全集】の二点は、実態として翻訳ミステリの叢書であり、当時のミステリ・シーン及びその後の紹介史に果たした影響も大きいため、含めることとする。
以上七つの基準に照らしてリストアップしたのが【戦後翻訳ミステリ叢書・全集一覧】だ。一九四五年から二〇二三年までの七十八年間に、実に百近くものシリーズが編纂されている。
ただその中には、オールタイム・ベスト・クラスの名作を並べたシリーズや、さらにそれを再編集したものもある。こうした“名作全集”の意義は充分に認めよう。けれども既に評価が定まっている著名作品の集まりをあらためて訪れるよりも、編者の意図が強くうかがえる、方向性が明確なシリーズのもとを訪ねたい。言い換えると、個性豊かな顔立ちのものを掘り下げていきたいのだ。
それらが、いつ、どこの版元から、誰の手で、どんな目的で編纂され、どのような作品が収録されたのか。現在手軽に読めるのはどれで入手困難なのはどれか。そうしたあれやこれやを改めて調査・整理した上で各々の作品を読み返して、今読んで面白いものと、そっとしておいた方が良いものとを判別していく。さらには、年代を追って訪れることで、ある叢書が当時のミステリ・シーンやその後の翻訳ミステリの紹介にどんな影響を与えたのかといった全体としての意義も探りたい。
個別作品に対する書評兼ブックガイドとしての側面と、戦後の翻訳ミステリ紹介史という大きな存在に対するちょこっとした考察という側面をあわせ持ち、そこに少しばかり自分語りを加えたヌエのようなものを目指したい。
本書は、そんな構想に基づき、東京創元社の雑誌「ミステリーズ!」誌上に、二〇一一年十二月(vol.50)から一七年八月(vol.84)まで途中一回の休載をはさみ全三十三回にわたって掲載された「ミステリ・ライブラリ・インヴェスティゲーション――魅惑の翻訳ミステリ叢書探訪記」を単行本化したものである。
連載中は、その時々で気になった叢書・全集を気ままに探訪していたが、単行本化に際して各叢書の発刊順に並べ替え、加筆・訂正の上、全体を整えた。こうして時系列順に組み替えることで、叢書を通じて戦後に翻訳ミステリがどのように紹介され普及していったかを、より鮮明にすることができたと思う。
足かけ七年に及ぶ連載期間中にも、翻訳ミステリを巡る状況は変化し続けた。本書で訪れた叢書・全集は、二〇〇〇年以前に刊行されたもの――敢えて二十一世紀以降に踏み込まなかった理由は、あとがきに記す――なので、内容・論旨に影響はない。ただし、連載当時の翻訳シーン全体の状況説明や個別作家の紹介に関しては大きく変わっている点もある。それらに関しては、各編の末尾に[附記]として追記した。
*本記事は12月18日に東京創元社より刊行される川出正樹『ミステリ・ライブラリ・インヴェスティゲーション 戦後翻訳ミステリ叢書探訪』の「まえがきにかえて」を全文転載したものになります。
(東京創元社編集部)
1963年愛知県生まれ。慶應義塾大学卒。翻訳ミステリを中心に文庫解説や書評などを多数執筆、2009年からは〈翻訳ミステリー大賞シンジケート〉サイトにて「書評七福神」の一人としても活動、毎月翻訳ミステリの新刊ベスト1を紹介する。共著に瀬戸川猛資編『ミステリ・ベスト201』『ミステリ絶対名作201』、池上冬樹編『ミステリ・ベスト201 日本篇』、村上貴史編『名探偵ベスト101』、書評七福神編著『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』、杉江松恋監修『十四人の識者が選ぶ本当に面白いミステリ・ガイド』などがある。