――男が女を犯せぬ国があるという。 高殿円(たかどの・まどか)『忘らるる物語』
(KADOKAWA 一九〇〇円+税)は、まるで謎掛けのような一文から始まる。主人公の環璃(ワリ)も、その話を聞いたときには、おとぎ話だと思った。
(KADOKAWA 一九〇〇円+税)は、まるで謎掛けのような一文から始まる。主人公の環璃(ワリ)も、その話を聞いたときには、おとぎ話だと思った。
遊牧民の女王である環璃は、六歳で婚約、十三歳で結婚し、十六歳で母となった。ところが彼女の人生は、十八歳になったとき、国の占い師によって「皇后星」に選ばれたがために一変する。
燦(サン)帝国の皇帝は世襲ではなく、四人の藩王(ジヨグル)の中から選ばれる。その選定システムとして使用されるのが皇后星だ。皇后星になるのは、出産経験のある若い女性。一族は根絶やしにされるが、唯一、幼い子どもだけが人質として生かされる。皇后星は、四人の藩王の元へ順繰りに送られ、各国に二ヶ月間滞在。その間、藩王と閨(ねや)を共にし、孕(はら)めばその子の父親が次の皇帝となる。しかし八ヶ月後、誰の子供も懐妊していなければ、人質の子供諸共に殺され、次の皇后星が選ばれる。
一族も尊厳も全てを奪われながら、環璃は赤ん坊のために従うしかない。そんな絶望の淵(ふち)で彼女は、男が女を犯せぬ場所からやってきた女性チユギとめぐりあう。環璃の眼前で、チユギに触れた野盗の身体は次々に破裂し、一瞬で灰燼(かいじん)へと帰した。男が女を犯せぬ国は、確かに存在したのだ。
というのが冒頭、僅(わず)か一〇頁ほどの展開。その後あっさりと、チユギたちの力は子宮に宿る確神(ゲゲル)のおかげであると説明される。確神は子宮に寄生する菌のような存在で、宿主は特殊な力を与えられる。確神にとって男は生存環境を害する存在としてすべからく攻撃されるのだ。この共生の発想は、ファンタジーというよりもSF的だろう。チユギは環璃を同士に迎えようとするが、環璃は皇后星の立場を利用して皇帝に近づき、その座を簒奪(さんだつ)することを決意、自らの意思で旅の続行を選択し、物語は始まる。
高殿円の作品は『銃姫(じゅうひめ)』を筆頭に、自ら戦うことを選択する強いヒロインが登場する。環璃にはなんの力もないが、柔軟な思考力と明晰さがずば抜けている。環璃の国の神は鹿の姿をとる。女王である彼女は祭祀(さいし)的な役割も担ってきたのだが、皇后星となった彼女と一族に神が何もしてくれないと知ったときから、神の化身である鹿の肉を口にするようになった。絶望と引き換えに彼女はある種の自由も手に入れているのだ。ヒトの社会は家父長制を基盤とし、女が産み、男が支配する。そんな不平等なシステムに、なぜ、環璃のような強くて聡明な女までもが組み込まれてしまうのか。その疑問の先に『忘らるる物語』というタイトルの意味が待つ。テーマは厳しく重いが、リーダビリティは非常に高いので、臆することなく手にとって頂きたい、今年一番の必読書である。
『地下図書館の海』(東京創元社 市田泉【いちだ・いづみ】訳 三四〇〇円+税)は、『夜のサーカス』でデビューしたエリン・モーゲンスターンの第二長編。ファン投票によって選ばれるドラゴン賞のファンタジー長編部門を受賞した作品であり、冒頭の惹きの強さは、エンデの『はてしない物語』に匹敵する。
ビデオ・ゲームのデザインを研究する大学院生のザカリーは、図書館でふと手にした本を読んで愕然とする。『甘い悲しみ』と題されたその本に描かれていたのは、彼自身が幼い頃に体験した出来事だったのだ。その日、ザカリー少年は路地のレンガの壁に描かれた扉を発見した。彼にはそれが物語の始まりを意味する扉だということはわかっていた。わかっていながら、それを子供じみた空想だと否定し、扉を開くことなく立ち去ってしまったのだ。そして翌日、同じ路地に戻ってみたが、扉は既に塗りつぶされたのか影も形もなかった。異世界への道を永遠に閉ざされてしまったという後悔を抱える彼の前に、再びあの扉が、今度は一冊の本の形をとって現れたのだ。奥付もなければ著者名すらも記されていないその本について調べはじめたザカリーは、やがて謎の男に導かれ、物語に埋め尽くされる巨大な地下迷宮図書館へと迷い込んでしまう……。『甘い悲しみ』は、無数の物語の断片が同時に進行し、入れ子細工のような構造を持ち、ザカリーの現実を物語の一部として内包している。一方でザカリーの現実には、『ライ麦畑でつかまえて』や『風の影』、センダックの『かいじゅうたちのいるところ』などなど、我々も知る(時には偏愛する)物語が無数にちりばめられている。物語と現実がリンクし、それが別の物語の一部となる。物語を糧(かて)に物語を自動生成する、物語ダンジョンに潜るかのような至福が味わえる、本好きのための冒険譚だ。
■三村美衣(みむら・みい)
書評家。1962年生まれ。文庫解説や書評を多数執筆。共著書に『ライトノベル☆めった斬り!』が、共編著に『大人だって読みたい! 少女小説ガイド』がある。