人の小さな善意を素直に肯定できるって、なんて心地よいのだろう。津村記久子(つむら・きくこ)『水車小屋のネネ』(毎日新聞出版 一八〇〇円+税)を読んでそう思った。



 これは四十年間の物語である。一九八一年、子供をないがしろにする母とその婚約者から逃れ、十八歳の理佐(りさ)と小学三年生の妹、律(りつ)は山間(やまあい)の町にやってくる。理佐は地元の夫婦が営むそば店で働き始める。店で使うそばの実は水車小屋の石臼(いしうす)で挽(ひ)いており、その小屋にはお喋(しゃべ)りなヨウムのネネがいる。そのネネの世話も、理佐に任された仕事である。新しい小学校に通いはじめた律も小屋に顔を見せ、姉妹は歌とお喋りが大好きなネネと交流を深めていく。姉妹の成長や周囲の人間模様、町そのものの変化が、理佐や律、後にここに越してくる青年の目を通して描かれていく。

 そば店の夫婦をはじめ町の人々は姉妹の事情を知り、見守る。特別な援助はしない。唯一、律の学校の担任教師が進学のための資金援助を申し出るが、理佐はそれをきっぱり断る。姉妹はあくまでも、自分たちの力で自立を獲得していくのだ。

 章ごとに十年、時は進む。やがて律も進路を選択し、そば店も閉店の日を迎えて理佐も転職する。周囲の善意に支えられてきた姉妹は、時に自分たちも周りの人々を支えるようになる。そんな彼女たちのそばにいつもいるのが、ネネなのだ(ヨウムは長生きなんだそうだ)。姉妹がネネの世話をするが難しい時は、他の手の空(あ)いている誰かがその役割を担い、助け合う。閉じた仲間内の話ではなく、去る人も来る人もいる人間関係の中で、それぞれのささやかな親切が相互作用していくところが、冒頭でも述べたように沁しみるほど心地よい。愛すべき、人々と鳥の物語だ。

 一方、桜庭一樹(さくらば・かずき) 『彼女が言わなかったすべてのこと』(河出書房新社 一七〇〇円+税)は、善意や個人の正義について考えさせられる内容であった。


 三十二歳の小林波間(こばやし・なみま)はある日大学時代の友人、中川(なかがわ)くんに再会。LINEのIDを交換して後日待ち合わせをするが、互いにその場に来ているのに会えない。どうやら彼はパラレルワールドの東京に生きており、あの日会えたのは奇妙な偶然だったようなのだ。

 互いの住む東京は、街並みや流行が少しずつ異なっている。中川くんの住む世界では、ほどなく新型コロナの感染が広がっていく。波間の住む世界では東京オリンピックも予定通り開催されるが、彼女は個人的な事情を抱えている。胸に腫瘍(しゅよう)が見つかった彼女は、摘出(てきしゅつ)手術に備えて腫瘍をなるべく小さくするために半年間の点滴治療を受けている最中なのだ。会社を辞め、副作用に悩まされる日々を送りつつ、元勤務先の後輩が設立した会社を手伝ってシェアオフィスに通い、その建物のゲストハウスの小さな部屋に居を移す。そうやって、彼女は新たな生活を築いていく。

 感染症の広がる世界に住む中川くんに、波間はかける言葉がない。また、自分の病状も彼には伝えない。コロナ禍の非当事者として、闘病の当事者として、彼女の胸にはさまざまな思いがよぎる。同じ病と向き合う女友達もいるが波間とは人生観が異なる様子も描かれ、当事者といってもさまざまだ、ということも盛り込まれている点に配慮を感じる。

 なんらかの困難を抱える当事者に、非当事者が示そうとする善意、病人を周囲の人間の気づきのために登場させるフィクションにする人々の善意、SNSで若い女性を叩く人人が信じている正義……。作中に描かれるそれらは一体なんだろう、と考えてしまう。全方位的に〝正しくあれ〞と強要されているような社会のなかで、その複雑さ、難しさを、たんたんとした日常の描写のなかでじっくりと描いた作品だ。


■瀧井朝世(たきい・あさよ)
フリーライター。1970年東京都出身。文藝春秋BOOKS「作家の書き出し」、WEB本の雑誌「作家の読書道」ほか、作家インタビューや書評などを担当。著書に『偏愛読書トライアングル』『あの人とあの本の話』『ほんのよもやま話 作家対談集』、編纂書に『運命の恋 恋愛小説傑作アンソロジー』がある。