いきなりだが、少し前に流れていたパンのCMが好きだった。人気(ひとけ)のない道に置かれた水色のキッチンカーで、サンドイッチを作るパンの出張料理人というシリーズだ。三十秒だけ切り取られた状況のわからない居心地の良い風景と、来歴のわからない料理人(深津絵里)の魔女っぽい風情、饗(きょう)されるパンの香ばしさがもたらす癒やし効果は、お店ものファンタジーの基本だ。
そのジャンルの名手である村山早紀の新作『不思議カフェ NEKOMIMI』(小学館 一六〇〇円+税)も、街の一角に忽然(こつぜん)と出現する不思議なカフェがもたらす、ささやかな奇跡の物語だ。ただし「迷える人に、美味(おい)しい料理と紅茶と幸せを届けてくれるその不思議な店には、黒い猫を連れた素敵な魔女がいる」と都市伝説に語られるようになった後ではなく、ひとりの人間の女性がいかにして魔女となり、移動するカフェを開くことになったかという、来歴の部分が順に描かれている。
主人公は印刷所に勤める中年の女性の律子だ。ずっと実直に働いてきたが、街の印刷所にもはや需要はなく、近々、廃業が決まっている。街自体も老いて活気がなく、シャッターをおろしたままの店舗や空き家が目立つ有様だ。そんな場所に独身で一人住まいを続ける彼女は、飼い主がいなくなり路頭で迷う元飼い猫を見つけては、自宅に連れ帰り、その最期を看取(みと)ることを自らの使命と感じていた。ところがある日、律子の方が突然の病に倒れてしまう。取り壊し寸前のアパートで暮らす彼女は助けを呼ぶこともできず、諦めかけたそのとき、なんと近所の占い師のおばあさんにもらったランプからランプの精が現れ、彼女を人ならざる存在「魔女」に変え、永遠の命と魔法の力を与えたのだった……。律子のおかれていた境遇の生々しさと、猫が喋りランプの精が現れるおとぎ話の世界。ギャップの激しいふたつの世界を、律子の頑(かたく)なな生活スタイルと料理が上手に繫いでいる。
アマンダ・ブロック『父から娘への7つのおとぎ話』(吉澤康子訳 東京創元社 二五〇〇円+税)は、一冊の本を手がかりに、二〇年前に失踪した父親を探す、家族の絆を描いた物語。新人作家の第一長編だが高い評価を受け、英国のライフスタイル・マガジンで二〇二一年度のベストブックにも選出された。
ある朝、建築事務所で働くレベッカの元にニュースサイトの記者だと名乗る男が訪ねてきた。彼は、二〇年ほど前に放送され、熱狂的なファンを生んだ子ども番組「密航者」の主演俳優であったレベッカの父レオの行方を追っているというのだ。家で父の名前が口にされることはなく、レベッカはその番組を観たことすらなかったのだが……。物語は父の失踪とその生い立ちを解き明かすミステリだが、物語世界を彷徨(ほうこう)する「密航者」というドラマの構造と、タイトルも著者名もない一冊の本に収録された幻想的なおとぎ話が、物語の展開に密接に絡んでいる。
二〇一八年に没したアーシュラ・K・ル=グウィンは、晩年、二冊の評論書を刊行している。二〇一六年に刊行された本書『私と言葉たち』(谷垣暁美訳 河出書房新社 二九五〇円+税)と、その翌年の『暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて』(谷垣暁美訳 河出書房新社)で、二〇一七年、二〇一八年と連続でヒューゴー賞の関連書籍部門を受賞している。先に翻訳された『暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて』はブログに発表した文章を収録したエッセイ集だが、本書は二〇〇〇年から二〇一六年にかけての講演やスピーチ、評論や書評がまとめられており、SFやファンタジイ読者にとっては、ル=グウィンのエッセイの中ではとっつきの良い一冊となっている。特に書評のパートの、博識によって裏打ちされた深い洞察と鋭い評価は、そのままル=グウィン本人の作品と共鳴する。実は翻訳においてはこの書評の一部が割愛されている。完訳版で出ていたら、その分厚さにも価格にも怯んだとは思うが、バラードのKingdom Comeなど未訳分の書評も読みたかった。
■三村美衣(みむら・みい)
書評家。1962年生まれ。文庫解説や書評を多数執筆。共著書に『ライトノベル☆めった斬り!』が、共編著に『大人だって読みたい! 少女小説ガイド』がある。