第二次世界大戦後に英国とインドとパキスタンの関係が変化したように、ドイツもナチスとヒトラーにより変化し、その後、敗戦でまた変化した。ナチの高官だった祖父を持つフェルディナント・フォン・シーラッハは、その変化の影響下で生きてきた作家である。それが垣間(かいま)見えるのが、『珈琲(コーヒー)と煙草』(酒寄進一訳 東京創元社 一六〇〇円+税)だ。

 この一冊には、彼がBeobachtung(観察)と呼ぶ四十八の文章が納められている。その四十八篇のなかには、「私」の一人称で語られるエッセイらしきものもあれば、三人称で綴(つづ)られる創作掌篇(しょうへん)らしきものもあり、さらに、数行から十数行で情報を書き連ねただけのものもある。それぞれに題名はなく、特にグルーピングもされないまま、1から48の番号が振られて並んでいるのだ。内容をいくつか紹介すると、祖父と自己の関係を語った文章を含むエッセイ〈18〉があり、スマホゲームと大統領の検索数の比較〈17〉がある。ヘミングウェイやカミュに言及したエッセイ〈10〉〈22〉もあれば、弁護士活動の一環でのブラジル行きを記したエッセイ〈14〉もある。ともすれば混沌(こんとん)と受け取られかねない構成なのだが、それでも各篇の内容は、切り詰められた行数や頁数に比して相当に深く――この著者の『犯罪』などを読んできた方は当然ご存じだろう――読者を強烈に魅了する。しかも、それらに魅了されて読み進むなかで、政治、法律、芸術、そして人間などに関する著者の意識が浮かび上がってくるのだ。純然たる小説ではないが、本誌読者にも是非目を通して戴きたい一冊である。ちなみに本書においてミステリ色が濃い一篇が〈36〉である。四人の子供が独立した後、夫婦に変化が生じた。妻は社交的になり、夫は自堕落になるばかりで、この落差が殺意を生んだ。その準備と実行、さらにその後を描いた一篇であり、殺人者のきっぱりとした心が読み手に新鮮な衝撃を与える。結末にはちょっとした驚きもある。淡々とした殺人者の佇(たたず)まいがなんとも不気味という良質な四頁の掌篇だ。そしてもう一点追記。シーラッハの他の作品との関係を語った〈訳者あとがき〉の充実も見逃せない。

 最後に紹介するロバート・ベイリー『噓と聖域』(吉野弘人訳 小学館文庫 一〇八〇円+税)は、フルスロットルで突っ走るリーガル・サスペンスだ。

 主人公は弁護士のボーセフィス(ボー)・ヘインズ。彼は、元夫を殺した容疑で逮捕された検事長(ゼネラル)ヘレン・ルイスの弁護士を務めることになる。ヘレンは、元夫を殺す動機を持ち、凶器の持ち主と疑われても仕方がなく、さらに、殺人の当日、彼に向かって「殺してやる!」と叫んだ姿を目撃されていた。圧倒的に不利な状況だった……。

 とまあかなり恣意(しい)的に本書を要約してみたのだが、これだけでも法廷ミステリ好きとしては心惹かれるのではなかろうか。その期待が、終盤の裁判シーンにおいてしっかりと満たされることを、まず述べておこう。

 そんな本書は、ボーの復活の物語としても読ませる。一九五センチ、一一〇キロの巨漢のボーは本書の序盤においては、失った弁護士資格がようやく戻ってきたばかりで事務所も開いておらず、私生活では息子と娘の養育権を亡き妻の親に奪われていた。そんな彼が、この困難な弁護活動を通じて新たに傷を負いながらも復活していく姿は、読み手の胸を強く打つに違いない。

 本書にはさらに、米国の抱える問題も織り込まれている。例えば人種差別だ。主人公のボーは黒人、そして作品の舞台であるテネシー州プラスキは、白人至上主義者の秘密結社クー・クラックス・クラン(KKK)が誕生した町だ。差別に敏感である様が本書では散見される。中絶禁止を巡る分断も、経済面での勝者の変化もまた然(しか)り。しかも、そうした〝米国南部の現在〞がプロットに密に絡んでいて、ミステリとして優れている。

 なお本書はボーを主人公とするシリーズの第一弾であると同時に、著者がロースクールの教授とその教え子を主役に描いた『ザ・プロフェッサー』に始まる四部作の後継シリーズ第一弾という位置付けでもある(ボーやヘレンをはじめとする本書の作中人物たちもそちらに登場する)。故に本書では四部作での出来事について、その重要な真実まで含めて語られているので要注意。とはいえ、四部作を未読の方が、まずは目先の本書から手に取るという読み方も否定はできない。終盤のとてつもない驚愕(きょうがく)の連続に至るまでノンストップで読ませるこの熱いエンターテインメントで、著者の虜(とりこ)になるのも〝あり〞だ。


■村上貴史(むらかみ・たかし)
書評家。1964年東京都生まれ。慶應義塾大学卒。文庫解説ほか、雑誌インタビューや書評などを担当。〈ミステリマガジン〉に作家インタヴュー「迷宮解体新書」を連載中。著書に『ミステリアス・ジャム・セッション 人気作家30人インタヴュー』、共著に『ミステリ・ベスト201』『日本ミステリー辞典』他。編著に『名探偵ベスト101』『刑事という生き方 警察小説アンソロジー』『葛藤する刑事たち 警察小説アンソロジー』がある。

紙魚の手帖Vol.10
ほか
東京創元社
2023-04-11


珈琲と煙草
フェルディナント・フォン・シーラッハ
東京創元社
2023-02-13