パキスタン人を両親にロンドンで生まれ、二三歳からの十年間をインドで過ごし、その後二〇〇六年にイギリスに戻ってからユニバーシティー・カレッジ・ロンドンの犯罪科学部門に勤務しているというヴァシーム・カーン。小説家デビューは二〇一五年だという。本書『帝国の亡霊、そして殺人』(田村義進訳 ハヤカワ・ミステリ 二三〇〇円+税)は、彼が二〇二一年に英国推理作家協会賞ヒストリカル・ダガー賞を受賞した作品だ。
物語の大枠は、一九四九年の大晦日(おおみそか)に起きた殺人事件を、インド初の女性警部であるペルシスが捜査するというものだが、この設定が絶妙に冴(さ)えている。一九四五年に第二次世界大戦が終わり、四七年に英国領インド帝国がインドおよびパキスタンとして分離独立、そしてインド憲法が四九年の一一月に制定され、翌五〇年の一月二六日に施行される。そうした揺れ動く変化の時代に起きた事件という設定なのだ。しかもだ。事件の被害者は英国外交官のジェームズ卿であり、捜査官ペルシスはインド人でありしかも女性だ。こうした権力関係のねじれを通じて、著者は、宗主国と植民地の関係が崩壊し、女性の社会進出が始まるという変化を、事件の背景や捜査の進展に巧みに重ねている。とはいえ、これらの史実の事前学習は不要。作中で著者が手際よく説明してくれるのだ。故(ゆえ)に、身構えずに読み始めて戴(いただ)ければと思う。
読み始めてから先は一気読みだ。女性であることの不利を跳ね返して捜査を進めるペルシスの活躍に喝采(かっさい)し、一方で彼女の少々意固地(いこじ)な性格にヤキモキする。ジェームズ卿の殺人事件の謎――何故(なぜ)かズボンをはいていなかったこと、凶器が消えていたこと――も興味深いし、その後明らかになっていく彼の素性もまた予想外でよい。ペルシスとともに地方への列車の旅も愉(たの)しめる。さらに、歴史の変化のなかで生じた酷(ひど)い出来事の数々に衝撃を覚え、また、不意に自分自身との関連を思い知らされる読者もいるかもしれない。そうした調査の果てに待つのが、関係者を一堂に集めた上での推理の開陳(かいちん)である。この見栄(みえ)もまた嬉しい。とことん素敵なミステリなのだ。
最後にもう一点。警察内部にあまり味方がいないペルシスの相棒を務めるのが、ロンドン警視庁付き犯罪学者であり、ボンベイにおいて犯罪捜査部の顧問であるアーチーだ。彼とペルシスの関係が変化していく様子もまた、チャーミングである。既に二作書かれているという本書の続篇も早く読みたいものだ。
■村上貴史(むらかみ・たかし)
書評家。1964年東京都生まれ。慶應義塾大学卒。文庫解説ほか、雑誌インタビューや書評などを担当。〈ミステリマガジン〉に作家インタヴュー「迷宮解体新書」を連載中。著書に『ミステリアス・ジャム・セッション 人気作家30人インタヴュー』、共著に『ミステリ・ベスト201』『日本ミステリー辞典』他。編著に『名探偵ベスト101』『刑事という生き方 警察小説アンソロジー』『葛藤する刑事たち 警察小説アンソロジー』がある。