本書B : A Year in Plagues and Pencils(Gallic Books, 2021)は、エドワード・ケアリーの画(え)と文章からなる初めてのスケッチ集である。
「疫病と鉛筆の1年」と原書のサブタイトルにあるように、英語版には1年分の365点の画が入っている。ところが実際には、ケアリーは500点もの鉛筆画を描いていた。2022年にイタリアで出版された本には500点すべてが収められている。本書もそれに倣(なら)ってすべての画を載せ、それぞれの画の配置もイタリア語版に準拠した。そのため本書には、英語版にはない135点の画と4篇のエッセイが追加されている。なお、英語版(そしてイタリア語版)の画の順番を尊重し、本書は右開きで横書きの体裁になった。「解説」で作家のマックス・ポーター(後述)が述べているとおり、ケアリーは新型コロナウイルス感染症が広がった2020年3月から1年のあいだ、毎日スケッチ画を1枚ずつTwitterに投稿することに決めた。実にささやかな試みとして始まった画を描く行為が、やがて大きな反響を呼び、こうして作品集にまとめられることになった。その画についてポーターは、「100日分、200日分、300日分の画は、時の流れと人の経験を刻みつけた根気強い紙の記念碑(モニュメント)のようだ」、「美しい仕事だ。この画のおかげで、Twitterという巨大で利己的な空間が、ほんの一瞬でも心地の良い場所に変わる」と書いている。家で過ごすのっぺらぼうの時間を区切るように、毎日ケアリーの絵をTwitter上で観られることは、世界中の人にとって大きな喜びであり、救いであった。
ちょうどこの頃ケアリーは、ピノッキオを創りだしたジュゼッペを主人公にした『呑み込まれた男』を書き終えたところだった。巨大魚の腹の中から抜け出すことができず、たったひとりで孤独と死と狂気と闘うジュゼッペはこう呟く。
「私はほんとうに絵を描くのが大好きだ。心がすり切れないでいるためには、物を創らなければならない」と。そしてケアリーはジュゼッペについて次のように述べている。「私がずっと考え続けていたのは、その孤独と、彼が正気を保つためにやらなければならないことについてだった。まず、彼は忙しくしていなければならない。忙しくしているために生活の記録を書く。さらに、作品を創らなければならない。なんといっても、彼は芸術家なのだから」
ジュゼッペの周りには闇しかなかったが、ケアリーにとってもだれにとっても、どこへも行かれず、人に会えないコロナ禍の日々は一種の闇に等しかった。毎日画を描いているうちに、息子のために描いてほしい、誕生日なので描いてほしいといったリクエストが届くようになり、ケアリーは愉(たの)しそうにリクエストに応えていった。そのため本書には、彼の描きたかったものと人から頼まれて描いたものが混在している。
また本書には、人の顔はもちろん、鳥や獣(けもの)や昆虫の姿、架空の生き物、物語の登場人物も、なにもかもがいっしょくたに収まっている。動物も静物も分け隔てなく並ぶページは、物も人も鳥も獣もすべてが同等で愛しいと主張しているかのようだ。これこそ彼の小説世界を支えている精神である。
描かれているのは英語圏やヨーロッパ大陸の人や物が多いが、日本のものも登場する。人では宮﨑駿と葛飾北斎。いずれも絵を描く人だ。人外では般若(はんにゃ)の面と妖怪垢舐(あかな)めが入っている。
彼の愛してやまない鳥は、日本オリジナル短篇集『飢渇の人』にも繰り返し登場した「大黒椋鳥擬(おおくろむくどりもどき)」で、本書には圧倒的な大きさで何回も登場してくる。「テキサス州が素晴らしいのは、大黒椋鳥擬がいるからだ」とすら述べている。鳥類は本書に40点入っている。そのなかの翡翠(かわせみ)は、彼が訳者のために描いてくれたものだ。「散歩をしているときに翡翠を見た」と訳者がTwitterに呟いたところ、2021年3月14日に翡翠の画が、「この画は私の大切な友人にして翻訳家の美登里へ」というメッセージとともに投稿された。その深い思いやりにはただただ感謝するしかない。
同じようにコロナ禍の日々に日毎の愉しみを与えてくれた人々のひとりにイギリスの俳優パトリック・スチュワートがいる。スチュワートは毎日シェイクスピアのソネットを朗読している動画をあげた。いまもその映像はネット上に残っている。ただ残念なことに、ソネットは154篇しかないので、深く心に響く彼の声を聴くことができたのは154日のあいだだけだった。
本書には、画のほかにエッセイが36篇掲載されている。コロナ禍を生きる作家の思いや、生活の様子が窺うかがえる貴重な記録である。タイトル『B』は彼の使っているトンボ鉛筆のBに由来しているが、トンボ鉛筆のBがどれほど好きかということを語っている文章もある。鉛筆だけではなく紙や鉛筆削りや消しゴムについても綴っている。道具へのそうした思いは、『望楼館追想』でアンナ・タップが語る「手袋の縫い方」を彷彿(ほうふつ)とさせる。また、子ども時代に夢中で読んだ本のことや、想像の翼を広げながらジョギングしているところも描かれている。親を思う息子として、子を持つ親としての姿も少しだけ窺(うかが)い知ることができる。後々、ケアリーの全体像を知るうえでも、本書はきわめて貴重な資料である。
エドワード・ケアリーの経歴と作品は彼のこれまでの小説のあとがきに詳しく書いているので、ここでは簡単に紹介しておく。彼は1970年にイギリスのノーフォークで生まれた。作家であり、ヴィジュアル・アーティストであり、戯曲家でもある。これまで『望楼館追想』(Observatory Mansions, 2000)、『アルヴァとイルヴァ』(Alve and Irva, 2003)、〈The Iremonger Trilogy アイアマンガー三部作〉の『堆塵館』(Heap House, 2013)・『穢(けが)れの町』(Foulsham, 2014)・『肺都』(Lungdon, 2015)、『おちび』(Little, 2018)、『呑み込まれた男』(The Swallowed Man, 2020)、2021年に日本独自に編んだ短篇集『飢渇の人』(Citizen Hunger, 2021)を上梓している。
マックス・ポーターは1981年生まれのイギリスの作家で、作家になる前はイギリスの文芸誌「グランタ」の編集などの職に就いていた。これまでに発表した作品は、The Greaf is the Thing with Feathers(2015)、Lanny(2019)、The Death of Francis Bacon(2021)、Shy(2023)の4 作。ケアリーが信頼している作家であることはもちろん、ジョージ・ソーンダーズも「私のいちばん好きな作家のひとり」とポーターの名を挙げている。詩の形式を取り入れたThe Greaf is the Thing with Feathersは27カ国で翻訳出版されている。この解説は原書では「序」として掲載されていた。
これまでエドワード・ケアリーの作品は気になっていたけれど読んだことはない、という方は、是非ともこの本からケアリー世界への旅を始めていただきたい。自由で豊かな鉛筆画と、愉しくてちょっと切ないエッセイがこの作家のなんとも言えない魅力を際立たせている。
*本記事は2023年7月刊のエドワード・ケアリー『B:鉛筆と私の500日』訳者あとがきの転載です。
■古屋美登里(ふるや・みどり)
翻訳家。訳書にエドワード・ケアリー『望楼館追想』(創元文芸文庫)、『アルヴァとイルヴァ』(文藝春秋)、〈アイアマンガー三部作〉『おちび』『飢渇の人』『呑み込まれた男』(以上、東京創元社)、M・L・ステッドマン『海を照らす光』(ハヤカワepi文庫)、B・J・ホラーズ編『モンスターズ 現代アメリカ傑作短篇集』(白水社)、デイヴィッド・マイケリス『スヌーピーの父 チャールズ・シュルツ伝』、カレン・チャン『わたしの香港 消滅の瀬戸際で』(以上、亜紀書房)ほか。著書に『雑な読書』『楽な読書』(以上、シンコーミュージック)。