『九月と七月の姉妹』訳者あとがき
市田泉  

 十か月違いで生まれた姉妹、セプテンバーとジュライ。我の強い姉は妹を支配し、内気な妹はそれを受け入れ、二人は他者を必要としないほど強く結びついています。学校で起きたある事件をきっかけに、姉妹と母親はオックスフォードからノース・ヨーク・ムーアズの海岸にぽつんと立つ古い家〈セトルハウス〉に引っ越してきますが、その家でジュライの身に異様なことが起こり始め――。
 姉妹のいびつな関係を描いた本作『九月と七月の姉妹』(原題Sisters リバーヘッド・ブックス、二〇二〇)は、英国の作家デイジー・ジョンソンの第二長編で、二〇二〇年のシャーリイ・ジャクスン賞長編部門の候補となり、ニューヨーク・タイムズ紙の「二〇二〇年の百冊」にも選出されています。
 デイジー・ジョンソンは一九九〇年英国デヴォン州生まれ。ランカスター大学で英語とクリエイティブ・ライティングの学位をとったのち、オックスフォード大学サマーヴィル・カレッジでクリエイティブ・ライティングの修士号を取得しました。オックスフォード大学在学中から短編を発表し始め、二〇一六年に短編集Fenをジョナサン・ケープ社から上梓。これは英国東部の湿地帯にある町で起こる出来事を描いた連作集です(ちなみに、本作で言及される映像作家のジャニュアリー・ハーグレイヴは架空の人物ですが、Fenの中の何作かにも名前が出てきます)。
 二〇一八年には初長編のEverything Underを同社から刊行、史上最年少のマン・ブッカー賞候補になりました。本作に登場する姉妹の母親、シーラと同様、オックスフォードのブラックウェル書店で働いていたジョンソンですが、候補になったことをきっかけに執筆に専念できるようになったそうです。パブリッシャーズ・ウィークリーの内容紹介によれば、Everything Underは、オイディプス王の神話を下敷きにしており、十代で母親に捨てられた娘が、十六年後に認知症を患った母親と再会するという物語です。
 ハロウィーンの日に生まれたジョンソンは、幼いころからスティーブン・キングを愛読し、ホラー映画に親しんできました。ガーディアン紙のインタビューによれば、『九月と七月の姉妹』はホラーというジャンルへのラブレターとして書き始めたものの、執筆中にあからさまなホラー要素は抜け落ちていき、残ったのは〝家庭内における脅威〞で、その点ではシャーリイ・ジャクスンの影響を受けているとのこと。そんな本作は、家族のあいだでの支配と被支配の関係、父母から姉妹へと続くその連鎖を、支配される側の視点から描いています。家庭という狭い環境の中で人の支配欲はどこまで大きくなるのか、そこに愛情は存在するのか、支配される側は何を思うのか――読み手の胸にはさまざまな疑問が渦巻きます。
 ホラーといえば、荒野にぽつんと建つ古家という舞台設定はいかにもホラー風ですが、本作の〈セトルハウス〉は、何かが起こる〝場〞にとどまらない、特徴的な描き方をされています。住人の営みを見つめ、熱を帯び、うめきをあげ、迫ってくる――まるで血肉と意思を備えた生物のように描写されているのです。シーラやジュライもそんな家の様子を敏感に受け止めており、〈セトルハウス〉は、物語のもう一人の登場人物として、怪しい存在感を放っています。この〝意思を持つ家〞というモチーフは、Fenに収められた短編にも登場し、作者にとって大きな意味があることがうかがえます。推敲を重ねるたびに短くなっていったという本作ですが、凝縮された語りの中に浮かび上がってくるものは鮮烈です。わけてもジュライの一人称によるパートは、悪い夢を見ているような不安と緊張を孕んでいて、読み手を先へと促さずにはおきません。その張り詰めた語り口を味わっていただければ幸いです。
 本作以外のジョンソンの作品としては、短編集Fenに収録された二編をいずれも岸本佐知子さんの翻訳で読むことができます。
 船乗りの夫からの音信が途絶えた妊婦の心情を描く「アホウドリの迷信(The Superstition of Albatross)」は雑誌『MONKEY vol. 23』(二〇二一)に掲載されたのち、同タイトルの単行本『アホウドリの迷信 現代英語圏異色短篇コレクション』(岸本佐知子・柴田元幸編訳、スイッチ・パブリッシング、二〇二二)に収録されました。また、食べるのをやめた姉の姿を妹の視点から描く「断食(Starver)」『MONKEY vol. 25』(二〇二一)に掲載されています。いずれこのFenの全訳やEverything Underの邦訳も読めるようになることを願っています。



*この記事は2023年6月刊の『九月と七月の姉妹』訳者あとがきの全文転載です。



■市田泉(いちだ・いづみ)
1966年生まれ。お茶の水女子大学文教育学部卒。英米文学翻訳家。訳書にジョーンズ『銀のらせんをたどれば』『チャーメインと魔法の家』、ジャクスン『ずっとお城で暮らしてる』『なんでもない一日』『処刑人』、ジョイス『人生の真実』、サマター『図書館島』『図書館島異聞 翼ある歴史』、ハンド『過ぎにし夏、マーズ・ヒルで エリザベス・ハンド傑作選』、モーゲンスターン『地下図書館の海』他多数。