川上未映子(かわかみ・みえこ)の新作『黄色い家』(中央公論新社 一九〇〇円+税)に打ちのめされた。一級のクライム小説である。

 二〇二〇年、四十歳の伊藤花(いとう・はな)は、とあるネット記事に目を留める。吉川黄美子(よしかわ・きみこ)という六十歳の女性が二十代の女性を監禁し暴行した疑いで逮捕され、その裁判が行われたという内容だ。どうやら花は十代の頃の一時期、黄美子や他の二人の少女と一緒に暮らしていたらしい。昔の仲間と連絡をとり交わした会話から、彼女たちは犯罪を犯していたと読者にはわかるのだが、では一体なにがあったのか。物語は一九九〇年に遡(さかのぼ)り、花と黄美子との出会いからが語られていく。

 当時の花は十五歳。東村山(ひがしむらやま)でスナック勤務の母と二人で暮らしていたが、母が姿を消した夏、代わりにやってきたのが母の同僚だという黄美子だった。母が戻ってきて黄美子とは会えなくなるが、十七歳になって偶然再会、そのまま家出して彼女についていき、一緒に三軒茶屋(さんげんぢゃや)でスナックを開く。花は未成年ながらマメに金の管理もし、さらには蘭(らん)や桃子(ももこ)という同世代の少女と親しくなって、四人で暮らすようになる。しかし不運な出来事で店を続けることができなくなった時、花は黄美子の知人の裏社会の男に、カード詐欺(さぎ)を働く女性を紹介してもらうのだ――。

 最初は花の目を通して大人の女性に見えた黄美子も、次第に頼りない存在に思えてくる。それくらい、花がしっかり者なのだ。もう職業小説の主人公として応援したくなる。

 しかし、である。四人での暮らしがうまくいっていた頃は、花も青春を謳歌(おうか)しているが、やがて「家」を守るために彼女は詐欺に加担し、家の中では厳しいルールを作っていく。そんな花の姿は、まるで一家の主(あるじ)のよう。犯罪が絡むこともあり、女性同士であってもそこに家父長制的考え方が入ってくると、何が起きるかがよくわかってスリリングだ。

 読み進めながら、何度か泣いた。というかマジ嗚咽(おえつ)(特に実の母親が花を訪ねてくる場面)。当時の詐欺の手段を含め九〇年代の世相を存分に盛り込みながら、こんなふうに生きるしかなかった少女の内面と成長を、ここまで克明に描く筆致に感嘆した。

 スリリングといえば、吉川(よしかわ)トリコ『あわのまにまに』(KADOKAWA 一七〇〇円+税)もそう。こちらは十年刻みで時を遡り、ある家族の秘密が明かされていく連作だ。

 第一章は二〇二九年、小学三年生の木綿(ゆう)という少女が語り手だ。年の離れた兄シオン、仲がいいのか悪いのか分からない母と叔母、母方の祖父が二人いたこと、祖母の葬式で号泣していたおばあさん……。家族の歴史を知らない少女の視点を通しつつ、「この家族、なにか事情があるのでは?」と感じさせる。第一章で言及されたさまざまなことは伏線だったのだと、読み終えた時に実感する。

 十年ずつ時が遡る章ごとに語り手も替わるが、どれもみな、木綿の母親、いのりの周辺の人物である。シオンと木綿が二十三歳もの年の差があるのはなぜか、いのりと叔母との間にある確執は何か、周囲が呆れるほどマイペースないのりにはどんな過去があったのか。各章で少しずつ驚きの真実が明かされていく。ただし、最重要人物である、いのりが視点人物となる章はない。彼女のまわりで何が起き、周囲の人がどう人生を選択したのかが語られるなかで、いのりの人物像が立ち上がってくる。他の脇役的人物たちの内面も直接描写されることはないが、だからこそ、彼らの言語化しにくい複雑な部分まで読者は想像できてしまう。この書き方がもう、絶妙。

 時代ごとに異なる世相や流行や人々の価値観も面白い。昨今の日本社会が見つめ直すべき問題を盛り込みつつ、一人一人の人生の切り取り方、浮かび上がらせ方に唸(うな)った。


■瀧井朝世(たきい・あさよ)
フリーライター。1970年東京都出身。文藝春秋BOOKS「作家の書き出し」、WEB本の雑誌「作家の読書道」ほか、作家インタビューや書評などを担当。著書に『偏愛読書トライアングル』『あの人とあの本の話』『ほんのよもやま話 作家対談集』、編纂書に『運命の恋 恋愛小説傑作アンソロジー』がある。

紙魚の手帖Vol.10
ほか
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2023-04-11