本日6月19日発売のSF短編集『あなたは月面に倒れている』の刊行を記念して、
著者・倉田タカシさんのあとがきを公開します!

『あなたは月面に倒れている』
倉田タカシ(創元日本SF叢書/単行本)
定価:1900円(本体価格)
判型:四六判仮フランス装
ページ数:378ページ
初版:2023年6月16日
装画:大河紀
装幀:岡本歌織(next door design)

■目次
「二本の足で」
「トーキョーを食べて育った」
「おうち」 
「再突入」 
「天国にも雨は降る」
「夕暮にゆうくりなき声満ちて風」
「あなたは月面に倒れている」
「生首」 
「あかるかれエレクトロ」

 あとがき




 あとがき:自転車とツイッター


 あのころはツイッターというものがあり、世界中の人が使っていました。
 あのころは自転車というものがあり、これも世界中で使われていました。
 本書の収録作を書いてきた十年ちょっとのあいだ、これら二つがいつも私の生活の中心にありました。

 わが人生は自転車の鞍上(あんじょう)にあり、といえるほど、よく自転車に乗った歳月でした。子の送り迎え、遠方のスーパーへの買い出し、さらに遠くの飲食店で書き物をするための移動。自動車がなくても暮らしていけるぎりぎりの境目ぐらいの郊外に長く住みましたが、それはつまり、自転車がなければだいぶ不便な土地ということです。小説を書くことが自転車に乗ることとほぼセットになっている、そういう年月でした。

 ツイッター、辞書的な定義でいうと百四十字以内の短文を投稿するSNS、によく書き込みをした十年余りでもありました。
 ナンセンスな文章を書くのが昔から好きで、ネタを雑誌に投稿したり、自分のホームページに載せたりしていましたが、ツイッターはまさにそういう文を発表する場としてはうってつけだったのです。
 #twnovelというハッシュタグを付して、極小の小説を投稿するのがひとつの文化として広がったときに、私もそれに加わり、二〇〇九年に、ハッシュタグ作品を含む自分のツイートをまとめて「紙片50」と題し、文芸全般を対象とした同人誌販売イベントである「文学フリマ」で売りました。作家の円城塔さんが買ってくださり、書評家・翻訳家の大森望さんに見せ、大森さんが創元SF文庫の『量子回廊 年刊日本SF傑作選』に採録してくださって、これがデビューのきっかけになりました。

 本書に収められた作品の多くが、私自身のツイートを種として育ったものです。たとえば、「トーキョーを食べて育った」は、〝アトミックパンク〟なる架空のSFジャンルのアンソロジーを読みたいというツイートから生まれました。あらゆる機械が小さな原子炉を内蔵する世界を舞台にしたジャンルがあったらいいなと思ったのです。こんなことを書いています。〈スチームパンクの歯車コンピュータが摩擦熱を無視したように、アトミックパンクの原子力デバイスは放射線遮蔽の問題を無視していい〉。「トーキョー……」は短編小説と呼べる分量で書いた初めての作品で、これが小説家としての実質的なデビュー作だと思っています。
 結びのところには、広島の原爆死没者慰霊碑に書かれた「安らかに眠って下さい 過ちは繰返(くりかえ)しませぬから」の一文を忍ばせています。白い船は第五福竜丸(であったはずのもの)です。主人公の名前は、プリンスの名曲「Sign O’ the Times」の歌詞からいただきました。

 スパムメールについて、あと十年もすればこういったものが二本足で歩いてくるということなんですよ、とツイートしたのが「二本の足で」の原型です。作中での移民に対する日本の政府と社会の仕打ちはひどいものですが、現実の日本はこの未来には繫(つな)がらない、けれど違った意味でひどい道へ進んでしまったことを、ここにも書き残しておきたいと思います。

〈周回軌道上のピアノで、宇宙服を着た奏者が演ずる4分33秒(演奏直後にピアノは再突入)〉とツイートしたのを「再突入」の冒頭に仕立て、そこから〈再突入芸術〉というアイデアも生まれました。本書をまとめつつあるまさにそのときに、大規模言語モデルの急発展がおこり、AIの世界は一変しました。この中編がいまどう読まれるか、この先どう読まれるものになるか、そして、自分が生きているあいだに〝表現〟はどうなるのか、興味津々です。

〈ひとの笑い声をまねるのが上手(うま)いオウムに見えますが、鬼なのですよ〉
〈これはわたしの可愛(かわ)いがっているかたつむりですが、鬼なのですよ〉
〈駅のように見えますが、鬼なのですよ〉
 と続けてツイートしたことがありました。最後のひとつが「あかるかれエレクトロ」の一行目になりました。なお、作中に登場する猪猿(いのましら)公園というのは架空の公園で、井の頭公園を訪れたり、京王井の頭線に乗ったりするときには必ずこの猪猿公園または京王猪猿線にまつわる小咄(こばなし)をツイートするという個人的習慣があります。
「あかるかれエレクトロ」の初出は、作曲家・作家・翻訳家・アンソロジストの西崎憲さんが編集長を務めた『文学ムック たべるのがおそい』vol.3です。この号では〈Retold 漱石・鏡花・白秋〉という特集が組まれ、私は泉鏡花を再話するものとしてこの作品を書きました。
 原稿を提出してひと月ほど後に、妻の発案で金沢へ旅行しました。鏡花の生地だということはすっかり忘れていました。そして、白鳥路で、うさぎを抱いた作家の像にばったり出くわしたのです。あわてて予定を変更し、市内にある泉鏡花記念館を訪れました。寄っていきなさい、と作家に手招きされたかのようでした。

 台所で夕飯をつくるかたわら、小さな画面にフリック入力で打ちこんだナンセンスな文をツイートするのが、ここ十年ほどは日課のようになっていました。
 そんなふうにネタを打ちこむ気分のまま全文を書いたのが先述の「あかるかれエレクトロ」、そして「生首」「あなたは月面に倒れている」です。
 私の小説はどれもおおむねこの同じ気分から始まっていて、そこから先は作中の現実に対して作者が誠実であるか不誠実であるかでふたつに分かれるように思います。この短編集では、誠実なほうを前半、そうでないのを後半にまとめました。
「あなたは月面に倒れている」は、ツイートで書くようなネタだけを連ねて小説を作るという最初の試みです。読者がうんざりするくらいの長さにしようと思い、自分でもうんざりするほどの長さにできました。

「生首」には、ひとつだけ事実に基づくエピソードが含まれています。語り手がやる、視界の隅で人の顔がへんになるのを見るという遊びは、私自身が子どものころによくやったものです。
 SFアンソロジー『Genesis 一万年の午後』に収録された「生首」について、どこがSFなのかと訊(たず)ねられたらどう答えようかと、刊行当時に少し考えました。思いついたのは、ロジックによってなんらかの飛躍に至るものをSFと定義するなら、「生首」もSFの範疇(はんちゅう)であろう、ということです。一般的なSFと、「生首」のあいだには、飛躍を得るための方法がロジックの組み立てであるか、それともロジックの破壊であるかという些細(ささい)な違いしかないのである、と。その論でいえば、この短編集に収められた作品はすべて間違いなくSFです。

「夕暮にゆうくりなき声満ちて風」には、小説を書くようになる前に没頭していたグラフィック・デザイン系の表現の名残(なご)りがあります。書かれていること以上に、それぞれの見開きでデザインのロジックが異なる(たてよこに編む、中心へむかって渦巻き状になっている、曲がり角を多用する、など)ことが自分にとっては重要でした。ページの端はすべてほかのページの端につながるようになっています。
 先述の文学フリマで、この手法を使った組み立て式の立体小説を「紙片50」と併せて売ったのが始まりですが、大森望さんが『量子回廊』への収録と一緒に河出文庫のアンソロジー『NOVA2』への新作の寄稿も依頼してくださったので、同じ手法で平面作品として書いてみたのでした。

 ツイッターは、かわいい動物の動画をたくさん見られる場所でもありました。
「おうち」は、そういう動画を通じて感じた猫の心の不思議さを拡大し、エイリアンとしての未来の猫を描いた、猫と暮らしたことのない人間による猫小説です。本書の収録作は、だいたいどれもある種のエイリアンについての作品であるといえるかもしれません。

 二〇一六年、しばらく悩んだのちにツイッターの使い方を変えました。ナンセンスな文だけでなく、政治や人権にかかわるトピックについても積極的にツイートやリツイートをするようになりました。世の中を変えることはそう簡単でないとしても、連帯の表明は可能であるし、必要だと考えたのです。
 書き下ろしの「天国にも雨は降る」は、そういう方向転換から生まれたものです。現代のスナップショットとしてのSFであるとともに、〝インターネットの夢〟への挽歌(ばんか)でもあります。

 SFを好む人にとって、二十世紀末から二十一世紀初頭までの数十年は、ちょっと特別な時代だったと思っています。それまでの半世紀ほどのあいだに育まれた未来へのイマジネーションがつぎつぎに現実のものになるのを体験する年月でした。想像と現実のあいだによこたわる、ときに越えがたい溝についてもよく考えさせられました。
 二十一世紀についての小説をたくさん読んで育ったあとで二十一世紀に暮らし、SFのなかの印象的な年をひとつひとつ飛び石を踏むように生きながら、二十一世紀後半や二十二世紀についての小説を書いている、このことをしみじみ不思議に思います。

 街のどうでもいいとこ全部すきだな、といつだかにツイートしました。
 どこに住んでもその土地への愛着を育んでしまう性分で、ほかの人が見たらこれといって魅力を感じないであろう場所にも安らぎを覚えます。コンクリートの土台をさらした草ぼうぼうの空き地も、そっけないガードレールに囲まれた用途不明の一角も、なんだか好きなのです。
 そういった景色を眺めてペダルを漕(こ)ぐはてしない時間のエッセンスが、どの作品にも残っているような気がします。

 百万年ほどが過ぎ、ツイッターを覚えている人はいなくなりました。自転車や人類の姿もそうそう目にすることはなくなりました。けれど、宇宙に漂ういくつかの石つぶにその痕跡を見つけることができるかもしれません。




■倉田タカシ(くらた・たかし)
1971年埼玉県生まれ。2010年、「夕暮にゆうくりなき声満ちて風」が『NOVA2』に収録されてデビュー。13年に「わたしたちのこれからと、エアロック」が第4回創元SF短編賞の最終候補作となる。14年に第2回ハヤカワSFコンテストに投じた『母になる、石の礫(つぶて)で』は最終候補作となり、15年に長編単行本として刊行された。18年刊の『うなぎばか』で第1回細谷正充賞を受賞。



本記事は6月19日発売の『あなたは月面に倒れている』(創元日本SF叢書/単行本)あとがきの転載です。