ディストピアといえば、全編まったくもって悪夢的なイメージが横溢(おういつ)するのが谷口裕貴(たにぐち・ひろき)『アナベル・アノマリー』(徳間文庫 一一〇〇円+税)だ。ゼロ年代に雑誌掲載された二編に書き下ろしで二編加えた、二十年越しで完成した連作短編集。人為的に超能力者(サイキック)を作り出す実験から生まれた少女アナベルは、あらゆる物質を変容させてしまう能力を発現させ、世界をあっという間に混沌(こんとん)に陥れる。アナベルはその能力を恐れた研究者たちによって瞬時に撲殺されたが、彼女にゆかりのある事物情報をきっかけにして復活し、大量の破壊と殺戮(さつりく)をもたらす。生き残りの研究者によって作られた対アナベル組織であるジェイコブスは、サイキックを駆使して異常事態を鎮静化する、というのが基本的な構図で、テレパスの「わたし」を中心に視点を移動させつつ黙示録的な物語が展開する。とにかく過剰なまでに膨大な情報を凝縮された文章に詰め込み、異常な速度と矢継ぎ早に増殖する絢爛(けんらん)たるイメージで進んでいくので、冒頭から数行は何が起こっているのかも判然とせずただ圧倒される。登場人物は全員頭がおかしいかあるいはおかしくなりかかっており、その狂気が世界の悪夢性をいや増しに増す。読了後に襲われる寂寥感(せきりょうかん)はちょっと他に経験したことがない種類のものだった。巻末に伴名練(はんな・れん)による、作品が発表された詳細な背景と作者の経歴を含む読み応え抜群の解説がある。
海外作品からまず小説を。イアン・マクドナルド『時ありて』(下楠昌哉訳 早川書房 二〇〇〇円+税)は、二〇一八年の英国SF協会賞を受賞した中編小説(ノヴェラ)。川名潤(かわな・じゅん)による落ち着いた装丁の一六〇ページほどの瀟洒(しょうしゃ)な本の佇(たたず)まいが素晴らしい。古書ディーラーのエメットが、閉店する書店の在庫から手に入れた古い詩集に一通の手紙を見つけたことから、時を超えて戦時下の恋人たちの冒険を辿(たど)り直すことになる。全体のベースとなるエメットの視点と、恋に落ちる若き詩人トムの視点、そして手紙の三つのパートが綾(あや)なすミステリ仕掛けの迷宮的物語は、馥郁(ふくいく)たる文学の香気に包まれてひたすら心地いい。
続いて評論。アメリカニューウェーヴきっての知性派トマス・M・ディッシュの『SFの気恥ずかしさ』(浅倉久志・小島はな訳 国書刊行会 四二〇〇円+税)は、正統派の教養と鋭い知性に裏付けされた辛辣(しんらつ)で皮肉なユーモアで、SF作品のみならず作家・読者・批評家で形作られる共同体をも批判する評論集。俎上(そじょう)に載せられるのはアシモフやブラッドベリ、レムなどの大御所から七〇年代末の新世代作家たち、さらにアメリカポストモダン文学やフェミニストなどにまで及ぶ。他にも、アブダクション体験記の書評執筆中にエイリアンに遭遇してしまう「ヴィレッジ・エイリアン」をはじめオカルトや宗教などの超越への志向に対する批判など、複雑な愛憎を込めた鋭利で歯に衣(きぬ)着せぬ抱腹絶倒の悪口の芸が楽しめる。思わず誰かレムとディッシュの架空対談を書いてくれないだろうかと妄想してしまった。もちろんディックやジーン・ウルフの作品などを取り上げた、的確な分析と賛辞を惜しまない書評も収録されている。
■渡邊利道(わたなべ・としみち)
作家・評論家。1969年生まれ。文庫解説や書評を多数執筆。2011年「独身者たちの宴 上田早夕里『華竜の宮』論」が第7回日本SF評論賞優秀賞を、12年「エヌ氏」で第3回創元SF短編賞飛浩隆賞を受賞。