のっけから私事で恐縮だが、先日父親が新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で死んだ。ボルヘスが愛好した直線でできた迷路のように、父と息子の関係は基本そっけなく至って単純なのに、しかし他人に説明しようとすると言葉を失ってしまうところがある。

 そんなことをふと思ったのは、今回のイチオシ、長谷敏司(はせ・さとし)の『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』(早川書房 一九〇〇円+税)の大きな要素の一つが、父と子の関係性だったからだ。本作は二〇一六年にダンスカンパニー大橋可也(おおはし・かくや)&ダンサーズとのコラボ企画で書かれた中編をもとに、ダンス公演(ウェブで動画が見られる)をふまえて練り直された長編小説。物語の中心は、将来を嘱望(しょくぼう)されるコンテンポラリーダンスの若手ダンサーだった護堂恒明(ごどう・つねあき)が、バイク事故のために片足を失い絶望しかけるが、起業家の友人谷口(たにぐち)に誘われ、AI制御の義足を装着しロボットと人間が共演する新たなダンスカンパニーの立ち上げに加わるというもの。谷口は、感情や知性は脳という内臓の働きであり、それゆえ可塑(かそ)性が保証されているのだという。片足を失い一度壊れてしまった恒明のダンスを、AI義足などを用いて再構築していくありようをモニターすることで、ロボットのダンスとは異なる人間のダンスに現れる人間性がどのような「手続き(プロトコル)」によって可能になっているのかを知りたいのだと。絶望から這(は)い上がり、新しい肉体にふさわしいダンスを見つけなければならない恒明は、人間性のプロトコルを見つめ直す試行錯誤を始める。それが軌道に乗り始めた矢先、世界的ダンサーで、恒明の憧れでもある父親の運転ミスによる交通事故で同乗していた母親が死亡、父親自身も重傷を負う。そればかりか、事故のショックのためか認知症の兆候が現れる……。冒頭から一瞬の緩みもなく緊張感が持続し、主人公の怪我(けが)からの回復、リハビリはもちろん、父親を介護する生活はひたすら重苦しく深いドロドロした闇の中に沈み込んでいくようなシビアな描写の連続で、それがAI制御による義足やロボットのクールで精密な記述と相俟(あいま)って作品のリアリティを倍増させている。一個一個論理を積み上げていく鍛錬と、一つ一つ目の前の問題を片付けていく生活を経て描かれるクライマックスのダンスシーンは圧巻だ。結末も一切容赦がなく読み終えたときには放心してしまった。

 一方、すっきり爽やかな読後感が気持ちいい、松崎有理(まつざき・ゆうり)三年ぶりの短編集『シュレーディンガーの少女』(創元SF文庫 八六〇円+税)は、「ディストピア×ガール」というコンセプトで書かれた、一種の未来史を構成する六編を収録。六十五歳前後ですべての人間が死亡するように設計された未来社会で、ある非合法な「施術」で生計を立てている老婆が、スラム街の少女と出会ったことから始まるハードボイルド「六十五歳デス」、肥満撲滅を目指す政府によって太った人間を集めて行われるデスゲームを描く諧謔的(かいぎゃくてき)な「太っていたらダメですか?」、数学嫌いの女子高校生が数学が禁止されている異世界に転生する数学ファンタジー「異世界数学」、夏休みの自由研究で絶滅した秋刀魚(さんま)の「味」を再現しようと奮闘する「秋刀魚、苦いかしょっぱいか」、南の島に漂着した少年が少女と出会う切ない現代パートと、超大質量回転ブラックホールからエネルギーを取り出す高度な文明を持つ宇宙種族の少女が現代パートの情報を読む遠未来パートが並行して進む「ペンローズの乙女」、感染者をゾンビ化させるZウイルスによるパンデミックが起きた渋谷(しぶや)で、量子ロシアンルーレットで生き残りを賭ける少女たちを描く書き下ろしの表題作と、どの作品もシンプルなアイディアをとびきり活(い)かす舞台設定とキャラクターが用意されて、ぐいぐい読ませる。過酷な世界を描いているのにどの作品も結末の後味が素晴らしくよく、物語を支える冷静な文明批評的視点が絶妙なスパイスになっている作品集だ。


■渡邊利道(わたなべ・としみち)
作家・評論家。1969年生まれ。文庫解説や書評を多数執筆。2011年「独身者たちの宴 上田早夕里『華竜の宮』論」が第7回日本SF評論賞優秀賞を、12年「エヌ氏」で第3回創元SF短編賞飛浩隆賞を受賞。

紙魚の手帖Vol.09
ほか
東京創元社
2023-02-13