続いては『死体狂躁曲』(小林晋訳 国書刊行会 二四〇〇円+税)を紹介しよう。山口雅也(やまぐち・まさや)が製作総指揮を務める《奇想天外の本棚》の第一期全一二巻の第三弾として刊行された本書は、クリスチアナ・ブランドの友人というパミラ・ブランチ(偶然だが、ダウドと同じく四七歳の若さで亡くなっている)が一九五一年に発表した作品だ。

 英国はチェルシーの屋敷で共同生活を送る二組の芸術家夫婦。彼等は隣家の紹介でベンジャミン・カンという人物を下宿人として迎え入れたのだが、翌朝、カンは死体となって発見された……。

 思わぬ経緯で死体を抱え込むことになった人々が右往左往する様(さま)を描く一冊で、ブラック・ユーモアを基調としている。ブランチは、この《死体を抱えて右往左往》という定型をあの手この手で料理し、実に起伏に富んだ作品に仕上げていた。まずは、カンを紹介した隣家の設定がとんでもない。その屋敷には、執事や使用人たちとともに五人の男女が暮らしているのだが、アスタリスク・クラブを名乗る彼等はいずれも法廷で無罪となった殺人犯なのだ。カンもまたクラブの入会資格を有していた。そんなカンを紹介された芸術家夫妻は、初動を誤ってしまう。死体となったカンを発見した段階で、〝身内に彼を殺した者がいるかもしれない〞という疑念から警察に通報しなかったのだ。かくして素人(しろうと)四人が、殺人に長(た)けた者たちの目と鼻の先で死体を抱えて困ってしまうという状況が生じたのである。この十分に魅力的な初期設定のうえで、ブランチは次々と矢を放ってくる。その矢のバリエーションが愉しいので本稿での詳述は避けるが、例えば闖入者(ちんにゅうしゃ)が割り込んでくるなどして、あれやこれやと引っかき回すのだ。その珍騒動を、読者が最もワクワク出来るように、芸術家夫妻やアスタリスク・クラブのメンバーの視点を使い分けて、著者は立体的に描いている。そのうえで、誰がなぜ殺したのか、という謎でもきっちり読者を牽引(けんいん)している。犯人当てタイプのミステリではないが、それでも真犯人の意外性(特にその動機)は十分に感じられるように作られている。また、登場人物たちの人間関係の変化も興味深く描かれていて、とにかく多面的に《死体を抱えて右往左往》を堪能させてもらった。

 最後に紹介する『イラク・コネクション』(黒木章人訳 ハヤカワ文庫NV 一二八〇円+税)は、米国陸軍ヘリパイロットやFBI特別捜査官という経歴を持つドン・ベントレーの作品。マット・ドレイクという米国防情報局員を主人公とするシリーズの第二弾だ。

 マットは、イラクへの潜入を決意した。テキサスで自分自身が殺されそうになったことを契機に、襲撃を指示した者を探るべく。そしてもう一つ、性的人身売買組織の被害者を救出すべく……。

 前作『シリア・サンクション』は、四日後に迫る米国大統領選挙を背景として描きつつ、シリアに潜入したマットの活躍を描くという多層構造の軍事アクション小説だったが、この第二弾は、マットの視点に絞った小説となっている。つまり直線道路をひたすらに走り続けるわけで、単調になるリスクが増すわけだが、そこを著者は見事に走破した。次々と降りかかる危機を、マットは、機知と胆力に加え、必要な情報を得るための交渉力や、殺される前に敵を殺害する戦闘力と決断力(これは好き嫌いが分かれる点かも)などの能力を駆使し、一つずつ乗り越えていく。その姿をドン・ベントレーはスピーディーに力強く描き、退屈さとは無縁の小説に仕上げたのだ。マットの造形――戦場で心に深い傷を負いながらもへらず口をたたき、諦(あきら)めずに前進を続ける――も、こうした小説の主人公に相応(ふさわ)しいし、彼を現地で、あるいは遠隔から支援する脇役陣にも存在感がある。敵役が明確で、凶悪でクレバーな点にも好感が持てる。つまりは、イラクという生ぬるくない舞台を突っ走るエンターテインメントを成立させるに十分な筋骨が、本書には備わっているのだ。なお、本国では第三弾が既に刊行されていて、第四弾の刊行も決まっているという。まだまだマットは酷い体験をさせられそうだが、読者としては期待しかない。


■村上貴史(むらかみ・たかし)
書評家。1964年東京都生まれ。慶應義塾大学卒。文庫解説ほか、雑誌インタビューや書評などを担当。〈ミステリマガジン〉に作家インタヴュー「迷宮解体新書」を連載中。著書に『ミステリアス・ジャム・セッション 人気作家30人インタヴュー』、共著に『ミステリ・ベスト201』『日本ミステリー辞典』他。編著に『名探偵ベスト101』『刑事という生き方 警察小説アンソロジー』『葛藤する刑事たち 警察小説アンソロジー』がある。