ミステリファンだけでなく、全国の小説好きに、この才能豊かな書き手と素晴らしい物語を知っていただきたい。そう強く念じずにはいられない、第三回大藪春彦(おおやぶ・はるひこ)新人賞作家である青本雪平(あおもと・ゆきひら)の新作『バールの正しい使い方』(徳間書店 一九〇〇円+税)は、連作形式で進む長編作品。
主人公の要目礼恩(かなめ・れおん)は、父親の仕事の都合で転校を繰り返している小学生だ。彼が各地を転々とする生活のなかで身に付けた処世術。それは、名は体を表す――ではないが、カメレオンのように世界に擬態し、違和感なく融け込むこと。
物語は、そんな鋭い観察眼と思慮深さを持つ礼恩が転校するたびに遭遇する、噓つきなひとびとが関わる事件や謎を描いていくのだが、なぜかそれとは別に、どこに行っても「バールのようなもの」を振るう何者かの噂(うわさ)が話題に上がるのだった……。
礼恩が想像と推理を巡らせることになる複数の〝噓〞。その意外な答えはいつも、幼い少年が受け止めるにはあまりに苦く、この世界の理不尽としか述べようのない残酷さを映し出す。保護色を作る努力をして馴染(なじ)もうとするこの世界は、噓をつかなければならなかったひと、噓をつかれたひとにとって、決してやさしいものではない。その現実に礼恩は、世界に擬態することをまず第一に考えてきた自身の姿勢を見つめ直すことになる。
語り過ぎない文章で描かれる、厳しい現実に抗い生きようとする子供の姿には、胸を締め付けられるだけでなく、何度も涙が込み上げ、視界が滲(にじ)んだ(「靴の中のカメレオン」と題されたエピソードではとくに)。
さらに本作の読みどころは、帯に記された〝スクールミステリ〞という要素だけではない。あるところ以降の展開は「そう来るか」と目を開くこと請け合いであり、礼恩がどこに転校しても話題が上がる「バールのようなもの」を振るう何者かの噂についての推理、タイトルにもなっているバールの正しい使い方の真相、そして物語を嗜好(しこう)するすべてのひとに見届けていただきたいラストまで、惚れ惚れするほどの美点が連続するからたまらない。どうか、お読み逃しなきよう。
戸田義長(とだ・よしなが)『虹の涯(はて)』(東京創元社 一七〇〇円+税)は、第二十七回鮎川哲也賞にて、受賞作『屍人荘(しじんそう)の殺人』、優秀賞『だから殺せなかった』に次ぐ評価を得た『恋牡丹(こいぼたん)』でデビューした、期待の時代ミステリ作家による初単行本作品。徳川斉昭(とくがわ・なりあき)の右腕として知られた藤田東湖(ふじた・とうこ)の息子にして、水戸(みと)藩尊王攘夷(そんのうじょうい)派による挙兵事件「天狗党(てんぐとう)の乱」の中心人物となる小四郎(こしろう)が主人公を務める、四つのエピソードが連作形式で収められている。
物語は、そんな鋭い観察眼と思慮深さを持つ礼恩が転校するたびに遭遇する、噓つきなひとびとが関わる事件や謎を描いていくのだが、なぜかそれとは別に、どこに行っても「バールのようなもの」を振るう何者かの噂(うわさ)が話題に上がるのだった……。
礼恩が想像と推理を巡らせることになる複数の〝噓〞。その意外な答えはいつも、幼い少年が受け止めるにはあまりに苦く、この世界の理不尽としか述べようのない残酷さを映し出す。保護色を作る努力をして馴染(なじ)もうとするこの世界は、噓をつかなければならなかったひと、噓をつかれたひとにとって、決してやさしいものではない。その現実に礼恩は、世界に擬態することをまず第一に考えてきた自身の姿勢を見つめ直すことになる。
語り過ぎない文章で描かれる、厳しい現実に抗い生きようとする子供の姿には、胸を締め付けられるだけでなく、何度も涙が込み上げ、視界が滲(にじ)んだ(「靴の中のカメレオン」と題されたエピソードではとくに)。
さらに本作の読みどころは、帯に記された〝スクールミステリ〞という要素だけではない。あるところ以降の展開は「そう来るか」と目を開くこと請け合いであり、礼恩がどこに転校しても話題が上がる「バールのようなもの」を振るう何者かの噂についての推理、タイトルにもなっているバールの正しい使い方の真相、そして物語を嗜好(しこう)するすべてのひとに見届けていただきたいラストまで、惚れ惚れするほどの美点が連続するからたまらない。どうか、お読み逃しなきよう。
戸田義長(とだ・よしなが)『虹の涯(はて)』(東京創元社 一七〇〇円+税)は、第二十七回鮎川哲也賞にて、受賞作『屍人荘(しじんそう)の殺人』、優秀賞『だから殺せなかった』に次ぐ評価を得た『恋牡丹(こいぼたん)』でデビューした、期待の時代ミステリ作家による初単行本作品。徳川斉昭(とくがわ・なりあき)の右腕として知られた藤田東湖(ふじた・とうこ)の息子にして、水戸(みと)藩尊王攘夷(そんのうじょうい)派による挙兵事件「天狗党(てんぐとう)の乱」の中心人物となる小四郎(こしろう)が主人公を務める、四つのエピソードが連作形式で収められている。
安政(あんせい)の大地震の際、逃げ遅れた母親を助けようとして屋敷の下敷きとなって亡くなったとされる父の死の秘密(第一話 「天地揺らぐ」)。
蔵の中で起きた、小四郎を罠に掛けるための殺人事件で、下手人が犯行現場に油を撒(ま)いた一番の理由とは(第二話 「蔵の中」)。
囲炉裏(いろり)から黒煙が盛んに上がる密室状況下の離れで、紙問屋の内儀(ないぎ)が背中を刺された事件の下手人と凶器の行方(第三話 「分かれ道」)。
ここまでの三編は、同じ手習所【てならいどころ】(寺子屋)で机を並べた仲である小四郎と見習医師の山川穂継(やまかわ・ほつぐ)のコンビが謎を解く、いわば蜂起(ほうき)前夜の物語となっている。そしてなんといっても白眉(はくび)は、全体のほぼ半分のページを費やして天狗党西上を描いた第四話「幾山河」だ。
京にいる徳川慶喜(よしのぶ)に尊王攘夷の志(こころざし)を伝えるべく上洛(じょうらく)を目指す小四郎たちだったが、そのさなか、なぜか死に掛けた隊士ばかりを狙い腹を裂く不可解な事件が続く。下手人〈化人(けにん)〉の動機と、その正体は――。
著者の仕掛けに対するスタンスは、あくまでそれを用いてドラマをより豊かにすることにある。そのため、前例のあるなしにこだわるような狭い読み方には向かないが、その分、設定との組み合わせ方や扱いの工夫を愉(たの)しむことができ、まだまだ時代ミステリならではの面白さは尽きないものだと痛感した。タイトルの真意、そして最後に用意された付記は、時代の転換期という多くの者が消えていった時期に、それでも受け継がれる光があったことを示し、大いに胸が熱くなった。
蔵の中で起きた、小四郎を罠に掛けるための殺人事件で、下手人が犯行現場に油を撒(ま)いた一番の理由とは(第二話 「蔵の中」)。
囲炉裏(いろり)から黒煙が盛んに上がる密室状況下の離れで、紙問屋の内儀(ないぎ)が背中を刺された事件の下手人と凶器の行方(第三話 「分かれ道」)。
ここまでの三編は、同じ手習所【てならいどころ】(寺子屋)で机を並べた仲である小四郎と見習医師の山川穂継(やまかわ・ほつぐ)のコンビが謎を解く、いわば蜂起(ほうき)前夜の物語となっている。そしてなんといっても白眉(はくび)は、全体のほぼ半分のページを費やして天狗党西上を描いた第四話「幾山河」だ。
京にいる徳川慶喜(よしのぶ)に尊王攘夷の志(こころざし)を伝えるべく上洛(じょうらく)を目指す小四郎たちだったが、そのさなか、なぜか死に掛けた隊士ばかりを狙い腹を裂く不可解な事件が続く。下手人〈化人(けにん)〉の動機と、その正体は――。
著者の仕掛けに対するスタンスは、あくまでそれを用いてドラマをより豊かにすることにある。そのため、前例のあるなしにこだわるような狭い読み方には向かないが、その分、設定との組み合わせ方や扱いの工夫を愉(たの)しむことができ、まだまだ時代ミステリならではの面白さは尽きないものだと痛感した。タイトルの真意、そして最後に用意された付記は、時代の転換期という多くの者が消えていった時期に、それでも受け継がれる光があったことを示し、大いに胸が熱くなった。
■宇田川拓也(うだがわ・たくや)
書店員。1975年千葉県生まれ。ときわ書房本店勤務。文芸書、文庫、ノベルス担当。本の雑誌「ミステリー春夏冬中」ほか、書評や文庫解説を執筆。