渡邊利道 Toshimichi WATANABE
本書は、イギリスの作家エディ・ロブソンEddie Robsonが二〇二二年に発表した長編小説Drunk on All Your Strange New Wordsの全訳である。
十代後半に思念通訳者としての素質を認められ西ヨークシャーの田舎町から脱出することに成功したリディアは、小説の現在時から数十年前に地球とファーストコンタクトを果たした異星文明ロジアの文化担当官フィッツウィリアムの専属通訳を務めていた。ロジ人はテレパシーで会話し、地球人が彼らと会話すると酩酊状態に陥るのだが、前任者が誰もが認める優秀な人物だったために、対抗してついつい無理をする癖がある彼女は、ある国際会議の翌朝目覚めると、ボスが書斎で射殺されているのを発見する。犯行時刻前後のセキュリティ・データはすべて消えており、会議後のバンケットの途中から記憶がなくなっている彼女が第一容疑者となる。混乱するリディアに、なんと死んだはずのフィッツウィリアムが話しかけてくる。頭がおかしくなったのかと自分を疑うリディアだったが、その声はロジ人は死んだ後しばらくは意識のみが残り、親しいものに語りかけることができるのだと言い、彼女が知らない情報を伝えてくるのだった。かくしてリディアは、ボスの幽霊を相棒に事件の真相を追うことになる。
いわゆる素人探偵のライトなミステリSFで、ヒロインのリディアが愚痴っぽくいつも苛立っていて不安定で、気が強いのに意志が弱くすぐ誘惑に流される、調子に乗っては自己嫌悪するを繰り返す、どこにでもいるような普通のちょっとダメな人間で、かなり毒のある語り口でトントン物語が進んでいくのがいかにもイギリス的なブラックユーモアを感じさせる作品だ。ファーストコンタクトを果たした近未来を舞台にしているのだが、社会的に大きく変わった部分はとくに描かれず、情報技術が進歩し監視社会化が進んでいること、自動運転が完全に実現していることなど、洗練されたテクノロジーは現在のほぼ延長線上にある。ロジ人がテレパシーで会話することから来るいろいろな制約や駆け引きはあるものの、いわゆる特殊設定ミステリのような特別なルールとして機能してはいない。推理が進むにつれ、事件の様相が百八十度変わってしまうタイプのミステリで、ちょっとばかり強引なところも、ヒロインのキャラと語り口でうまく乗り切っている。
謝辞にある通り、作者が通訳をめぐる物語を描こうと考えたのは、アカデミー賞で四部門を受賞した韓国映画『パラサイト 半地下の家族』の上映に際してポン・ジュノ監督が通訳を伴って質疑に答えていたのを見たからということだが、本作の基底にあるテーマの一つが、映画にも通じる格差の問題であることは留意していいだろう。
自分たちよりもずっと高度な文明を持つロジアと遭遇した地球は、様々な恩恵を受けながらもどこか閉塞感に覆われていて、ロジ人に取り入ろうとする者と、あからさまな反感や恐れを抱いている者に分かれている。現在よりもずっと情報量が増え、その信用度を自動で格付けするシステムが完備されたインターネットでは有象無象の異星人をめぐる陰謀論が溢れかえっていて、ボスの殺害も、そうした連中の誰か、もしくはそれに影響を受けた誰かの仕業かもしれない。また、ボスの幽霊はロジ人のなかに陰謀に関わっている者がいるかもしれないと示唆するので、事件の後処理のために同居することになったロジ人の外交官も信用できない。そんな状況で、前述したようにつねにくよくよとネガティヴに考えるくせに、わりと簡単にキレるリディアはとにかくアクティヴに動き回るので、物語のトーンがあまり暗くならず、心温まるブラックユーモアという撞着的な印象になるのが面白い。また、ロジアの大使館があるマンハッタンは、あえて異星人が訪れる以前のままで時間を止めてしまった、一種のテーマパークのようになっていて(それが作品の雰囲気をより未来っぽく感じさせない停滞感を醸成するのに一役買っているのだが)、数少ない手がかりを辿っていくリディアの視点からちょっとした観光を擬似体験できるのも本作の大きな魅力だ。
閉塞感ということでいえば、リディアの故郷ハリファックスのエピソードも強烈だ。ゲーム中毒の母親と工場で働く兄からはまったく未来が感じられない。とはいえここで暮らしていたときのリディアだって同じようなもので、兄に教えられた自動車の運転が数少ない楽しみだった。古い友人たちには出世したことを羨まれたり、ロジ人の通訳というのを地球から差し出された売春婦と思っている最低な男もいる。基本ニューヨークで進む物語に挟まれる故郷の場面は、世界の格差や距離感をよくあらわしていて、さらに小説後半でいろいろと効いてくる伏線にもなっている。
テーマパーク的マンハッタンもそうなのだが、本作ではいわば旧時代的な文化教養が世界観の大きなウェイトを占めていて、例えばロジ人はテレパシーで会話するためデジタル機器を信頼せず、紙の本を貴重品として扱っており、書籍を安価に生産できる地球から大量に輸入している、いわば大得意様となっている(前述した兄が勤めるのはそういった書籍を製造する工場だ)。フィッツウィリアムは読書家で、複数の言語が併存している地球の文化に非常な興味を持っており、地元で大量に生産している本を読んで育ったリディアを大切に扱ってくれるなど、いまやインターネットや電子書籍に押されて消え入りそうな紙の本が大いに重視されている。
そして本作でもっとも重要なテーマになっているのが演劇だ。まず冒頭からイプセンの『ヘッダ・ガーブレル』が上演される場面になっているのだが、この劇は、エキセントリックな美女のヒロインが、昔の恋人がずっと自由であるのに嫉妬し、彼の酒癖の悪さにつけ込んで破滅させるが、彼の死にざまが思い描いたような崇高なものではなく単に下劣な成り行きであったことを知って自分も自殺するという物語で、いろんな点で本作の物語と照応するところがある。たとえば、ヘッダはその複雑な性格造形から「女ハムレット」と呼ばれることがあるのだが、いうまでもなく、ハムレットは幽霊が殺人を告発する物語である、等々。
リディアはボスの幽霊について知られないように警察やロジ人たちを欺く演技をしなくてはならないし、素人探偵として自身の身分を偽ってさまざまな場所に赴く。そもそも田舎出身の結構な乱暴者である彼女は、都会のレディを装わなくてはならないのだ。いうまでもなく、警察だってロジ人だって、彼女に対して何かを隠し、意図を持って演技しているに違いない。誰かが殺人者、もしくはその協力者であり、さらには全体のシナリオを書いている者もいるかもしれない。そしてミステリの性格上、それは登場人物の誰かなのである。
SFとしては、リディアが自分の周囲にしか目が行っていないので、ロジ人の異星人としての生態についてさほど描かれないのが特徴的だ。ロジ人とのテレパシーでの会話で人間が酔っ払ってしまうという設定も、どちらかといえば物語に起伏をつける部分が大きく、二つの言語を使うアイデンティティの揺らぎとか、言語の本質的なディスコミュニケーションとか、そういった議論には立ち入らない。異星人が出てくるのに文化人類学的な部分がほとんどないのは最近のSFでは珍しいかもしれない。
インターネットでの異星人がらみの陰謀論の描かれ方は完全に現在の延長線上にあって、
異星人という象徴化された「外部」を利用してさまざまな「敵」を作り出す陰謀論の構造を寓話化しているように思える。リディアは最初からネットで見える自分自身の姿というものを強く意識して、オンラインとオフラインをどうやってうまく制御して自己像を保つかに腐心しており、くだらないが、しかし見逃せない攻撃性や脅威を持った陰謀論やデマに対して、それを根絶したりまたそれに反論したりするのはほぼ諦めている。社会の構造や、上司の態度、自分自身への評価といったものに対しても一貫して悲観的で、漠然とした不満をデフォルトとして生きているが、その中でいかにしてサバイバルするかを、ほとんどやけくそのようにしてごく些細な楽しみで息をつきながら最善を尽くす。うんざりするような嫌な情報が多い昨今、このヒロイン像に共感や慰めを得る読者は少なくないだろう。
最後に作者について。エディ・ロブソンは一九七八年、英国のヨーク生まれ。現在はランカスター在住。既婚。
さまざまなジャンルで執筆する多才な人物で、とくにラジオドラマやテレビドラマの脚本家として知られている。二〇〇〇年代の半ばから執筆した、BBCのテレビドラマ『ドクター・フー』に基づいたオーディオ・ドラマや、二〇一二年から一四年に同じくBBCラジオで放送された、バッキンガムシャーの村を侵略する異星人をめぐる騒動を描くシットコムWelcome to Our Village, Please Invade Carefullyが代表作。他にも、コーエン兄弟やフィルム・ノワールに関する著作があり、漫画原作や演劇など活動は多岐にわたる。さまざまなSF雑誌でフリーランスのジャーナリストとして働き、小説では、多くの短編のほか、長編は二〇一五年に木星を舞台にした陰謀スリラーSFTomorrow Never Knows、二〇年には建築家が主人公の奇妙な都市を舞台にしたSFファンタジーHearts of Oakを発表。筆者はどちらも未読だが、レビューによればコメディ作家としての力量はどの作品でも十分発揮されているらしい。本作は三作目の長編小説となる。ツイッターアカウントは@EddieRobson。
■ 渡邊 利道(わたなべ・としみち)
本稿は『人類の知らない言葉』巻末解説を転載したものです。
■ 渡邊 利道(わたなべ・としみち)
1969年生まれ。作家・評論家。2011年、「独身者たちの宴 上田早夕里『華竜の宮』論」で第7回日本SF評論賞優秀賞を受賞。2012年、「エヌ氏」(『ミステリーズ!』vol.90掲載)で第3回創元SF短編賞飛浩隆賞を受賞。