魔女学校で学ぶ少女の恋と魔法の日々を描いた『ぬばたまおろち、しらたまおろち』でデビューした著者の新作『赤ずきんの森の少女たち』は、現代の神戸と19世紀末ドイツの女子寄宿学校を舞台に、赤ずきん伝説や人狼、宝探しや予言の書といった魅力的な要素が満載のファンタジイ。主人公のロッテたちの友情とわくわくするような冒険、そして最後にあっと驚く結末が待っています!
『赤ずきんの森の少女たち』もう一つのあとがき
赤ずきんのお話は、みなさんよくご存じですよね。ペロー童話の赤ずきんは狼に食べられておしまいですが、グリム童話では猟師さんの手で無事に助けだされます。では、あのあと猟師さんが何をしたかご存じですか? 狼を退治した? いえいえ、狼が死んだあとのことです。あの短いお話のラストで、猟師さんはあることをしているのです。
「次の話はドイツの人狼でいきましょう」
編集さんから連絡があったのは、〈大正浪漫 横濱魔女学校〉シリーズが完結した直後のことでした。
――はあ、ドイツの人狼ですか。
狼は勇敢。狼は賢い。狼は家族思い。子どものとき『白い牙』を読んだのがきっかけで、わたしは狼大好き人間になりました。人狼だって差別しません。わたしのデビュー作『ぬばたまおろち、しらたまおろち』には、ドイツの人狼の血を引く堀口くんという少年が出てきます。おかげさまで、なかなかの愛されキャラに育ってくれました。人狼の話を書くなら、当然堀口くんの身内にご登場願うことになるでしょう。
どういう話にしようか考えながら、とりあえずドイツ関係の本を引っ張りだして読むことにしました。ケストナーにヘッセ、もちろんグリム童話も。そうして、「赤ずきん」のラスト近く、こう書かれているのに気がついたのでした。
ちょっと待った、なんで猟師さんはそんなことしたの? 狼の毛皮なんて売り物になるのかな。まあ保温性は高そうだから、家で使うつもりだったのかもしれないけれど。
いや、一つ使い途はある。ファンタジイファンにはおなじみの使い途が。
――かぶって狼に変身する。
グリム童話の主な研究書にあたってみたのですが、猟師さんのこの行動に着目したものは見つかりませんでした。赤ずきんと狼の関係はさまざまに考察されていますが、猟師さんは単なる端役扱いです。もともとペローの話にはいなかった人物ですから、軽く扱われているわけですね。でもだったら、なぜグリムは、わざわざこんな一文を書いたのでしょう。
――赤ずきんを助けた猟師さんが、実は人狼であったなら。
新しい物語の方向性は、このとき定まったのでした。
『赤ずきんの森の少女たち』は一種の枠物語になっています。枠の外は現代の神戸で、従兄妹同士の二人が祖母の形見のドイツ語の本を読んでいくという設定です。枠の中、つまりその本の主人公は、15歳の少女ロッテ。シュヴァルツヴァルト(黒い森)の出身ですが、わけあって前の学校からほうりだされ、ドレスデン近郊の女学校にやってきました。時代は19世紀の終わりです。ちょっとこのあたりの年表を見てみましょう。
1871年 ドイツ帝国成立。ヴィルヘルム一世即位
1886年 バイエルン王国のルートヴィヒ二世溺死
1888年 ヴィルヘルム二世即位
1890年 宰相ビスマルク辞任
有名な人物の名は次々出てくるのですが、この当時のドイツがどんなふうだったのか、実は今一つわかりません。ヴィクトリア朝のロンドン、世紀末のウィーンといえば、ぱっとイメージが浮かびますよね。ではドイツは? 首都ベルリンを思い浮かべたとき、最初に出てくるのは、なぜか鷗外の『舞姫』なのでした。
19世紀末のドイツの小説家には誰がいたでしょうか。フォンターネという人がいますが、日本ではそこまで知名度はありません。20世紀に入れば、『車輪の下』(1905)や『愛の一家』(1907)などが出てきます。子ども時代の必読図書ではありますが、ホームズやドラキュラと比べると、健全というかなんというか、見事なくらい怪しさやいかがわしさが欠如していますね。もしかしたら、当時のドイツがそういう雰囲気だったのかもしれません。ドイツ帝国などと威張っていますが、欧州の中では片田舎。ドラキュラが近場のドイツを無視してわざわざ英国まで出かけていったのは、ベルリンに行ってもたいして獲物が見つかりそうになかったからだった……。
さて、『赤ずきんの森の少女たち』は歴史ファンタジイでもありますので、時代考証が必要となります。当時の女子教育はどうなっていたのか? 普段の食事には何を食べていたのか? 女の子がピアノで弾いていいのはどんな曲? ペチコートの材質は?
作者以外誰も気にしないようなことを調べて、できあがったのがこの一冊です。時代は変わろうとしていますが、ロッテたちはまだそれを知りません。それでも与えられた環境の中、一生懸命に生きています。ロッテたちとともにさまざまな冒険をくぐり抜け、グリム童話のちょっと変わった解釈や、19世紀末のドイツの雰囲気をお楽しみいただければ幸いです。
■白鷺あおい(しらさぎ・あおい)
まだ読んでいない方は、このあとがきを読んでからでも遅くはありません、ぜひ読んでみてください!
『赤ずきんの森の少女たち』もう一つのあとがき
~猟師の正体とドラキュラがドイツに来なかったわけ~
白鷺あおい
赤ずきんのお話は、みなさんよくご存じですよね。ペロー童話の赤ずきんは狼に食べられておしまいですが、グリム童話では猟師さんの手で無事に助けだされます。では、あのあと猟師さんが何をしたかご存じですか? 狼を退治した? いえいえ、狼が死んだあとのことです。あの短いお話のラストで、猟師さんはあることをしているのです。
「次の話はドイツの人狼でいきましょう」
編集さんから連絡があったのは、〈大正浪漫 横濱魔女学校〉シリーズが完結した直後のことでした。
――はあ、ドイツの人狼ですか。
狼は勇敢。狼は賢い。狼は家族思い。子どものとき『白い牙』を読んだのがきっかけで、わたしは狼大好き人間になりました。人狼だって差別しません。わたしのデビュー作『ぬばたまおろち、しらたまおろち』には、ドイツの人狼の血を引く堀口くんという少年が出てきます。おかげさまで、なかなかの愛されキャラに育ってくれました。人狼の話を書くなら、当然堀口くんの身内にご登場願うことになるでしょう。
どういう話にしようか考えながら、とりあえずドイツ関係の本を引っ張りだして読むことにしました。ケストナーにヘッセ、もちろんグリム童話も。そうして、「赤ずきん」のラスト近く、こう書かれているのに気がついたのでした。
猟師は、その毛皮をはいで、家に持って帰りました。グリム著、植田敏郎訳『ブレーメンの音楽師(グリム童話集Ⅲ)』新潮文庫
ちょっと待った、なんで猟師さんはそんなことしたの? 狼の毛皮なんて売り物になるのかな。まあ保温性は高そうだから、家で使うつもりだったのかもしれないけれど。
いや、一つ使い途はある。ファンタジイファンにはおなじみの使い途が。
――かぶって狼に変身する。
グリム童話の主な研究書にあたってみたのですが、猟師さんのこの行動に着目したものは見つかりませんでした。赤ずきんと狼の関係はさまざまに考察されていますが、猟師さんは単なる端役扱いです。もともとペローの話にはいなかった人物ですから、軽く扱われているわけですね。でもだったら、なぜグリムは、わざわざこんな一文を書いたのでしょう。
――赤ずきんを助けた猟師さんが、実は人狼であったなら。
新しい物語の方向性は、このとき定まったのでした。
『赤ずきんの森の少女たち』は一種の枠物語になっています。枠の外は現代の神戸で、従兄妹同士の二人が祖母の形見のドイツ語の本を読んでいくという設定です。枠の中、つまりその本の主人公は、15歳の少女ロッテ。シュヴァルツヴァルト(黒い森)の出身ですが、わけあって前の学校からほうりだされ、ドレスデン近郊の女学校にやってきました。時代は19世紀の終わりです。ちょっとこのあたりの年表を見てみましょう。
1871年 ドイツ帝国成立。ヴィルヘルム一世即位
1886年 バイエルン王国のルートヴィヒ二世溺死
1888年 ヴィルヘルム二世即位
1890年 宰相ビスマルク辞任
有名な人物の名は次々出てくるのですが、この当時のドイツがどんなふうだったのか、実は今一つわかりません。ヴィクトリア朝のロンドン、世紀末のウィーンといえば、ぱっとイメージが浮かびますよね。ではドイツは? 首都ベルリンを思い浮かべたとき、最初に出てくるのは、なぜか鷗外の『舞姫』なのでした。
19世紀末のドイツの小説家には誰がいたでしょうか。フォンターネという人がいますが、日本ではそこまで知名度はありません。20世紀に入れば、『車輪の下』(1905)や『愛の一家』(1907)などが出てきます。子ども時代の必読図書ではありますが、ホームズやドラキュラと比べると、健全というかなんというか、見事なくらい怪しさやいかがわしさが欠如していますね。もしかしたら、当時のドイツがそういう雰囲気だったのかもしれません。ドイツ帝国などと威張っていますが、欧州の中では片田舎。ドラキュラが近場のドイツを無視してわざわざ英国まで出かけていったのは、ベルリンに行ってもたいして獲物が見つかりそうになかったからだった……。
さて、『赤ずきんの森の少女たち』は歴史ファンタジイでもありますので、時代考証が必要となります。当時の女子教育はどうなっていたのか? 普段の食事には何を食べていたのか? 女の子がピアノで弾いていいのはどんな曲? ペチコートの材質は?
作者以外誰も気にしないようなことを調べて、できあがったのがこの一冊です。時代は変わろうとしていますが、ロッテたちはまだそれを知りません。それでも与えられた環境の中、一生懸命に生きています。ロッテたちとともにさまざまな冒険をくぐり抜け、グリム童話のちょっと変わった解釈や、19世紀末のドイツの雰囲気をお楽しみいただければ幸いです。
■白鷺あおい(しらさぎ・あおい)
岡山県出身。筑波大学第2学群比較文化学類卒業。2016年、第2回創元ファンタジイ新人賞優秀賞受賞。著作に『ぬばたまおろち、しらたまおろち』『人魚と十六夜の魔法』『蛇苺の魔女がやってきた』『シトロン坂を登ったら』『月蝕の夜の子守歌』『セーラー衿に瑠璃紺の風』がある。