矢樹純(やぎ・じゅん)『不知火(しらぬい)判事の比類なき被告人質問』(双葉社 一六五〇円+税)は、五編を収録した法廷ミステリ連作集。
フリーライターの湯川和花(ゆかわ・わか)は知人のピンチヒッターとして、三十歳のニートの娘が母親を殺害した事件のルポを手掛けることに。裁判を見るため傍聴席に着き、法廷に三人の黒い法服姿の裁判官たちが入ってくると、傍聴マニアの男たちが「不知火さんだ。今日の裁判は面白くなりそうだぞ」と興奮した様子で目を輝かせている。見ていると、法服の裾(すそ)を椅子に引っ掛け、頭を下げた拍子に書類をぶちまけたそそっかしい左陪席(ひだりばいせき)の裁判官が「不知火」と名乗り、こうした失敗を面白がっているのかと納得する。だが、それは間違いだった。「勇気を持って真実を答えてください」といって始まる被告人に向けた意味不明の質問が、隠された真相を明らかにする……。
各エピソードは、いずれも序盤で事件発生時の様子や被告人の状況を描写し、そうして読み手に予想させた全体像を不知火が放つ〝比類なき被告人質問〞によって、思いも寄らない方向から覆(くつがえ)していく構成になっている。
第一章では、母親を絞め殺した娘は、なぜそのあとさらに包丁で胸を刺したのか。第二章では、男がビルから身を投げた本当の理由。第三章では、被害者の毛髪と爪を切り取って逃走した被告人の意図。第四章では、被告人が取らなかった、ある行動について。そして湯川和花が証人として出廷することになる第五章では、被告人が受け止めるべき真実を問い掛ける。
著者は作品集『夫の骨』(二〇一九年)収録の表題作で第七十三回日本推理作家協会賞短編部門を受賞し、すでに優れた短編をものする作家として定評があるが、本作で魅力的な探偵役の創造にも成功し、ますます見逃せなくなった感がある。湯川和花と徐々に親しくなっていく傍聴マニアの坂上(さかがみ)と大野(おおの)といったサブキャラの配置もよく、今後映像化の可能性も高いと予想する。一読すれば、不知火判事のさらなる活躍が待ち遠しくなること請け合い。ぜひシリーズ続刊を!
ラストは、帯の「絶筆」の二文字に目を疑った、古野(ふるの)まほろ『侵略少女 EXIL girls』(光文社 二六〇〇円+税)。本編のあとに付けられた「自跋(じばつ)」の内容については、当該ページか著者オフィシャルウェブサイトをご覧いただきたいと申し上げるに留めるが、ただただ言葉を失うしかない。
さて物語は、『終末少女 AXIA girls』(二〇一九年)、『征服少女 AXIS girls』(二〇二一年)に続く内容となっている点をお断りしてご紹介を進めると、瀬戸内の孤島にある桜瀬(おうせ)医科大学附属女子高等学校では、卒業式の翌日――四月七日の未明に挙行される伝統の「卒業夜祭」をもって、三年生たちは真の卒業を迎える。そして今年はそのなかから選ばれた七人が、ある目的のための〝侵略者〞として壮絶な戦いに身を投じることに……。
ここまでお読みになって、いったいどこが本格ミステリなのかと戸惑われる向きもあることと思うが、著者が称する〈戦う少女本格〉連作はすべて、被害者を殺したのは誰か? という極めてシンプルな犯人当てになっている。しかし侮(あなど)るなかれ。その手強(てごわ)さたるや尋常なレベルではない。百や二百では済まない伏線の数々、手順のクリアにひとつでも躓(つまず)くとたちどころに五里霧中に陥り、巨大な壁の前で呆然としながらオーバーヒートした頭を冷やすしかなくなってしまう。とはいえ勘違いしていただきたくないのは、ただ読み手を捻(ね)じ伏せるためだけに過剰に難解度を上げるような内容ではないということだ。フェアな犯人当てを糸口に、ちりばめられた多くの謎、特異な設定と世界観の全容が明らかになるように緻密に設計されており、そうした点に目を凝らして深く読み込もうと思えば、尽きることのない愉しさを得られるはずだ。
また、器こそ堅牢(けんろう)にして大部(たいぶ)な本格ミステリだが、その内部には虚構を通じての現実に対する問題提起が込められ、さらに中心部には、青春へのはなむけのごとき純粋なメッセージが据え置かれている。いうなれば本作は、独自の様式を貫いた恐ろしく巨大で複雑だがフェアに作られた迷宮であり、その奥に用意された宝物の箱を、犯人当てという鍵で開けに行くような、類のない超弩級(ちょうどきゅう)の青春本格ミステリなのである。
『天帝のはしたなき果実』(二〇〇七年)での衝撃的なデビューから十五年、元警察官僚という経歴を活かした警察小説も多数ものしてきた著者だが、こと本格ミステリにおいては若者に向ける眼差しを決して忘れない作家であった。巻末で著者は、予期せぬ事態に見舞われながらも成し遂げた本作の完成を「奇跡」だと述べている。ここで本格ミステリ作家としての活動はひと区切りかもしれないが、こちらについても奇跡の訪れを信じたい。
ここまでお読みになって、いったいどこが本格ミステリなのかと戸惑われる向きもあることと思うが、著者が称する〈戦う少女本格〉連作はすべて、被害者を殺したのは誰か? という極めてシンプルな犯人当てになっている。しかし侮(あなど)るなかれ。その手強(てごわ)さたるや尋常なレベルではない。百や二百では済まない伏線の数々、手順のクリアにひとつでも躓(つまず)くとたちどころに五里霧中に陥り、巨大な壁の前で呆然としながらオーバーヒートした頭を冷やすしかなくなってしまう。とはいえ勘違いしていただきたくないのは、ただ読み手を捻(ね)じ伏せるためだけに過剰に難解度を上げるような内容ではないということだ。フェアな犯人当てを糸口に、ちりばめられた多くの謎、特異な設定と世界観の全容が明らかになるように緻密に設計されており、そうした点に目を凝らして深く読み込もうと思えば、尽きることのない愉しさを得られるはずだ。
また、器こそ堅牢(けんろう)にして大部(たいぶ)な本格ミステリだが、その内部には虚構を通じての現実に対する問題提起が込められ、さらに中心部には、青春へのはなむけのごとき純粋なメッセージが据え置かれている。いうなれば本作は、独自の様式を貫いた恐ろしく巨大で複雑だがフェアに作られた迷宮であり、その奥に用意された宝物の箱を、犯人当てという鍵で開けに行くような、類のない超弩級(ちょうどきゅう)の青春本格ミステリなのである。
『天帝のはしたなき果実』(二〇〇七年)での衝撃的なデビューから十五年、元警察官僚という経歴を活かした警察小説も多数ものしてきた著者だが、こと本格ミステリにおいては若者に向ける眼差しを決して忘れない作家であった。巻末で著者は、予期せぬ事態に見舞われながらも成し遂げた本作の完成を「奇跡」だと述べている。ここで本格ミステリ作家としての活動はひと区切りかもしれないが、こちらについても奇跡の訪れを信じたい。
■宇田川拓也(うだがわ・たくや)
書店員。1975年千葉県生まれ。ときわ書房本店勤務。文芸書、文庫、ノベルス担当。本の雑誌「ミステリー春夏冬中」ほか、書評や文庫解説を執筆。