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とにかく面白いノンフィクションが読みたい方へ―― 『コ・イ・ヌール』訳者あとがき
文庫化に寄せて
杉田七重
本書の単行本の翻訳を終えてからちょうど一年が経った二〇二〇年三月。その数日後には、英国全土がロックダウンに入る宣言が出されるとも知らず、ロンドンひとり旅三度目の正直にして、ようやくロンドン塔に足を踏み入れた訳者は、真っ先に「ジュエル・ハウス」へ向かった。ここには代々の国王の王冠や宝飾品が展示されているのである。
さてコ・イ・ヌールは……。本書を訳しながら、想像のなかで途轍もなく大きく膨らんでいった伝説のダイヤモンドを実際に目にした印象は、覚悟していたとおり……小さい。しかも、「見蕩れてその前に立ち尽く」すことはできなかった。見物人が集中しないよう、床はベルトコンベアー式になっていたのである。
余談はさておき、本書の著者ふたりがどれだけ精力的に調査しても、結局このコ・イ・ヌールがいつどこで発見されたのか、明確には突きとめられなかった。それを思うと、このダイヤモンドは、人智を越える力が、何か神秘的な方法で人間世界に遣わしたのではないかと、そんなふうにも思えてくる。そうだとして、しかし、いったい何のために?
「それを所有しているのは敵よりも力がある者たちだけだ」というシャー・シュージャの言葉は、コ・イ・ヌールは「呪われてなどいない」と、ダルハウジーを安心させる材料になった。しかしこの言葉を素直に受け取るなら、〝光の山〞コ・イ・ヌールは、道理や道徳を一切無視して、それを奪った武力の象徴であり、その武力闘争をいまだ続けている人間の愚かさに光を当てるものと解釈できないか。将来人間がそれに気づいて、一切の武力闘争がなくなったとき、役目を終えたコ・イ・ヌールは一瞬の内に灰となって人間世界から消える……などという想像はあまりにファンタジー小説めいているだろうか。
結局、どれだけ長い年月が経とうと、依然「力」の争いに明け暮れている人間どもを、コ・イ・ヌールはロンドン塔のこの一室から眺めて、静かに笑い続けるのだろう。そう考えたら、「一種陶然となって」数時間立ち尽くすどころか、背筋がぞっとしてきて、早々にそこをあとにしたのだった。
ダイヤモンドの災いがもたらされるのは男性君主のみとイギリスでは信じられていたものの、昨年崩御した女王エリザベス二世は、戴冠式のとき「大事を取って、この宝石を身につけることを控えた」と本書にある。
二〇二三年五月に予定されているチャールズ三世の戴冠式で、コ・イ・ヌールは果たしてどのような扱いを受けるのか。ヴィクトリア女王が崩御した後、一九〇二年のエドワード七世の戴冠式ではアレクサンドラ王妃が、一九一一年のジョージ五世の戴冠式ではメアリー王妃、一九三七年ジョージ六世の戴冠式ではエリザベス王妃、一九五三年のエリザベス二世の戴冠式では母親のエリザベス王太后が、それぞれコ・イ・ヌールを身につけている。今回の戴冠式では、果たしてどうなるだろう。二〇二三年二月
■杉田七重(すぎた・ななえ)
東京都生まれ。東京学芸大学卒。英米文学翻訳家。主な訳書にウィリアム・ダルリンプル&アニタ・アナンド『コ・イ・ヌール』、エドワード・ドルニック『ヒエログリフを解け』、ジェラルディン・マコックラン『世界のはての少年』、クリス・ヴィック『少女と少年と海の物語』などがある。