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●1月某日 『歴史の屑拾い』藤原辰史

 実は12月の初旬に子猫を迎えた。
 21年の9月に先住猫のこぐち、世界一かわいい猫をがんで亡くしてしまい、まるまる1年、残ったこれまた世界一かわいい猫しおりと一緒に、癒えない傷を抱えて暮らしてきたのだが、ふと「ああ、そろそろかもしれない」と思い立った。それから保護猫の里親募集サイトを見るようになって、多頭飼い崩壊現場から救出されたというこの子猫を見つけた。
 白黒ハチワレだったこぐちと同じ柄の子はやめた方がいいかなあと思ったのだが(こぐちは嫉妬深いので「カアチャンの白黒ハチワレはこぐちだけなのに!」と言いそうだなと)、でもどうしても私はハチワレ猫に弱い。白黒の生き物にも弱い。保護主さんに連絡してから千葉の譲渡会まで行き、子猫と面会、1週間のトライアル申請をした。
 そうしてやってきたのが「てんち」である。なぜこの名前にしたかというと、うちのしおりもこぐちも製本用語だから同じにしようと思ったのだ。「天」と「地」は本の上部と下部のことを指す。いわゆる「天アンカット」の天である。「てん」だけでも良かったけど、せっかくこぐちがいたのだから「ち」を合わせて「てんち」にした。
 このてんち、もうものすっっっっっっっごい元気である。猫風邪引き、猫コロナキャリアでしょっちゅうお腹を下すのではあるが、そんなのどこ吹く風という感じで家中を弾丸のごとく走り回り、体操選手ばりに飛び回り、忍者のごとく壁をぽんと蹴って駆ける。落ち着きがなく気が散りやすい。先住猫のしおりに絡(から)みまくってフーシャーと叱られるがまったく気にせず突進していく。負けん気が強くすぐ威嚇(いかく)する猪突猛進型なので、『キルラキル』の纏流子とか『水星の魔女』のチュチュ先輩みたいな子に育つんじゃないかと思う。それでいて甘えん坊で家族みんなが大好き。しかも天真爛漫なお姫様気質、『ゴールデンカムイ』の鯉登少尉みたいなところもある(猿叫)。多頭飼い崩壊現場はかなり劣悪な環境だったと推測されるので、19世紀イギリスで名家に産まれるも紆余曲折あって救貧院育ちになった貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)、みたいな感じかもしれない。
 たとえるなら、長女のしおりは真面目でしっかり者、社交的で溌剌(はつらつ)とした生徒会長やバスケ部のキャプテン、または書類仕事もばりばりこなすデキる会社員という感じで、いわばアイドルグループのリーダーだ。次女のこぐちは謎めいていてこだわりが強く、ゴスっ娘っぽくて、そのわりにすっとぼけたところがある。『アダムス・ファミリー』のウェンズデーに似てる。ブラックだけどマイペースなところが魅力的で、アイドルグループのセンターが似合う。そして三女のてんちは、猛烈爆裂台風娘である。アイドルグループのニューフェイス、愛くるしく愛嬌(あいきょう)たっぷりながらすぐ暴走するし人を振り回すし、人懐こいくせにすぐケンカを売る。
 てんちが暴走しやすいので眠る時や人間の食事の時はケージの中に入れているのだが、毎朝7時すぎには起きて「出せー出せー!」と主張するので、人間も朝早く起きることになり、正直めちゃくちゃ寝不足である。体調管理も忙(せわ)しない。てんちもだがしおりも体調を崩してしまったのでしばらく大変だった(抗生物質などで治ったので良かった)。
 
 子猫から育てるのは、これで5匹目だ。そのたび生き物を育てるのは大変で、重大な責任を負ったことを感じる。命を預かり、その健康な生活が太く長く続くように丁寧に大事に育て、最期は看取る。これができるのは年齢的にてんちが最後かなあと思うが、どうだろう。しおりとてんちが充分生きて天寿をまっとうしたら考えよう。
 いろいろばたばたした中で、私にとっての「幸福」とは、「大切な存在が健康であること」なのだなと悟る。それ以上の幸福はない。

 年末に〆切だった短編原稿を、年越ししてからどうにか仕上げて、ようやく読書。藤原辰史『歴史の屑拾い』(講談社)を読んだ。
 藤原辰史先生といえば、『[決定版]ナチスのキッチン 「食べること」の環境史』(共和国)や『給食の歴史』(岩波新書)、『カブラの冬:第一次世界大戦期ドイツの飢饉と民衆』(人文書院)など、歴史と食、農を絡めた著作を多く執筆されている研究者で、私も愛読者である。
 そんな藤原辰史が、歴史を紐解き思索を重ねていく中で気づき、心のうちを綴(つづ)ったエッセイが本書だ。
 プロローグ「ぎくしゃくした身振りで」から、この本が〝屑拾い〟をすることで歴史を組み立て直そうとする試みだとわかる。通常、学校で教わったりみんなが話題にしたりする「歴史」は、いわば大通り、時系列に沿って主要登場人物が何をし、どの出来事がどのような影響を及ぼしたのかが主流だ。中には主流を補助する文化史や生活史などの支流もあるが、〝屑拾い〟ともまた違う。たとえば1934年9月30日のドイツ、収穫感謝祭でひとりの参加者が書いた「ちょうどいま、ヒトラーが話し始めたところだ、」という、最後が「、」で終わる絵葉書がある。これについてこれまでの著者は「聴衆の興奮が伝わる史料であるが実は興奮していない人たちもいた、という文脈で私はこの史料を紹介した。論理の流れに埋め込まなければ、整理されず、読者の頭に入りにくいからだ。」と言う。
 論理の流れに埋め込む。なるほど、確かに歴史を学んでいると人々の残した言葉や行動は、主流の論理の流れを補強する役割として紹介される。
 けれど今回の著者は、「もっと手綱を緩めてそれらの断片的な史料を読者の頭の中で律動させることはできないだろうか。コンマの意味をもっと深掘りできないだろうか。」と考える。目線を下に向け、いちいち立ち止まり、屑を背中の籠に投げ入れる。地面に捨てられたものを見ていると都市の全体を知ることは困難かもしれないが、屑の性質を見極めることで、捨てる人間の性質を知る。人々の卑しさと善良さを知る。季節ごとの物と人の流れと性質を知る。「ぎくしゃくした歩き方」で歴史を組み立て直すこと。そうしてこのエッセイは書かれる。

 コロナ禍からかつての公害や感染症で苦しんだ人々に触れ、消化器の歴史は多いが循環器や呼吸器の歴史はほとんど語られていないことに気づく。戦争の調査をする中で出会った体験者たちの強いエネルギー、怯むほど大きな、怒鳴り声、怒り、叫びを書く。大きな流れの中では見過ごされる彼らがいたこと、単なる「戦争体験者」として片付けられてしまう人たちはひとりの個であること。しかしその声の轟(とどろ)きはやがて尽き、忘れられ、埋もれてしまうこと。学生たちに委ねた「○○の二〇世紀」という企画に、若い彼ら彼女はどのようなアイデアを出してくるのか、そこには希望があり、学問の未来を見る。史料を集め、調査する中での一次資料の重大さ。戦争中、満州移民が「日本人」の物語として語られる時に、中国人や朝鮮人のことについては無視されがちであること。
 エッセイとして出会いや経験を語りながら、たくさんの「正史からこぼれ落ちていった人々、事柄、思索」を拾っていく。

 私が読んでいて一番身につまされたのは「歴史と文学」の章である。歴史のナラティブ化については、町村敬志『都市に聴け』(有斐閣)を読んだ際や、町村先生と小川哲氏との鼎談(小説すばる)でも考えたことだけれど、藤原辰史はこの歴史とナラティブをもっと深く切り込んでいる。
「読者の心を動かしたい」という願望は、歴史家も物語作者(小説家や漫画家、映画監督など)も持っている。それもかなり強く。自分が信じているものを世の人に知らしめて、自分と同じように信じてもらいたいと欲求するのは、人間の摂理でもある。しかし藤原は「皮肉と諦めと断絶しかない世界を、安易に共感を呼びやすい「感動」から守ることも、歴史の仕事ではないか。読者が抱きやすい期待を、もっと冷徹に裏切らなければならないのではないか」と書く。そして私は小説家として激しく共感する。
 読みやすいナラティブは武器であるが、毒でもあり、精密に正しく行われてきた研究を乱暴なブルドーザーでえぐり、ぶち壊し、ぼろぼろにしてしまうこともある。大きくて単純でわかりやすい物語、感動できる展開、納得できる結末は、罠だ。

 とにかく、大変良質なエッセイだった。1文1文ずつ語りたいくらいだ。足下を眺めることで広い世界を予期する。足下に落ちている小さな切れ端や紙屑を拾いながら、それを落とした人の肩を叩いて「落ちていましたよ」と教えてくれる藤原辰史に、私自身も肩を叩かれた気持ちになった。


歴史の屑拾い
藤原辰史
講談社
2022-10-19




 私には「最強の推し」がいる。これまで見てきたフィクション作品の中でも1、2を争うくらいに好きだ。言うならば、ステーキに天ぷらにお寿司にケンタッキーフライドチキンにクリームたっぷりの甘いデザートをまとめて持ってきたみたいな、胃もたれするほど私の好きポイントを集めたキャラである。見た目も性格も能力もダメなところも言動やエピソードも含めてすべてが素晴らしい。基本的にリア恋(リアルに恋しちゃう)というのをしない人間なのだが、このキャラが目の前に現れたらわりとやばいと思う。とはいえ「壁になって見守りたい(=自分を勘定に含めないでほしい)」タイプなので、二次元の世界でのびのびと生きていてほしいものである。

 で、この最強の推しのフィギュアが発売されたのだけど、生憎(あいにく)クレーンゲームでしか取れない。転売品を買うのは嫌なので、一億年ぶりくらいにゲームセンターへ行った。池袋にはゲーセンが多く、特に駅の東口からサンシャインシティまでの道にはあちこち乱立して、結構混んでいるが、確かグランドシネマサンシャインの下にある店は空いていた気がする。エスカレーターで上がってみると予想は当たっていて、客は私しかいなかった。
 店内をぐるりと回って目当てのフィギュアが置いてあるクレーンゲームの筐体(きょうたい)を見つけた。最近のクレーンゲームは取りやすいように景品がど真ん中にぽつんと置いてある。私が高校生だった90年代は、景品のぬいぐるみがぎちぎちに詰まっていてめちゃくちゃ取りづらく、クレーンの手を紐に引っかけて取る、なんて技もあったし、店側も絶対取らせない姿勢で、5000円かけても無駄骨を折ることもあるくらいの「店VS客」の闘いだった。今はすいすい取れるし、店員さんに声をかけて位置を動かしてもらうこともできる。
 今回の筐体は、真ん中に別のキャラクターの箱がひとつだけ置いてあり、推しは奥に並んでいたので、店員さんを呼んで推しと位置を交換してもらった。お金を入れてボタンを押そうとすると、ボタンとレバーのところにラミネート加工されたカードが伏せてあって、「消毒済」とある。つまり感染対策だが、ボタンを押すためにはぺろっとめくる必要があり、やってみると裏側は「未消毒」と書いてあって、自動的に未消毒タグがつくことになった。店員さんが店内を巡回し、このタグになった筐体をアルコールで拭いてくれるというわけだ。なるほどこれはいいアイデアだ。
 100円で1プレイ、500円で6プレイなので、500円玉を入れた。以前のクレーンは一度ボタンを押して手を離したらそこで止まってしまったけれど、今はレバーを何度でも動かせるし、らくらく楽勝~、と推しのフィギュアを600円くらいで取る。すると筐体がビコビコと鳴って「おめでとう!おめでとう!」を連呼、店員さんが来て、おつりはでないから残ったお金を他の筐体に移してくれると言う(400円分くらい残っていた)。せっかくなので、近くで見つけた推しと次推しのぬいぐるみのいる筐体に移してもらった。次推しもかわいくてかっこいいのである。
 そんなこんなで、がらんとした店内であれこれ遊び、ビコビコいう音楽と「おめでとう!」の連呼を浴びつつ、ぬいぐるみとフィギュアを合計4体ゲットした。景品でぱんぱんに詰まったビニール袋を眺めながら、懐かしいなと思う。地元の厚木にもゲームセンターは多く、高校生の時に入り浸って遊んだ思い出がある。
 煙草の臭いとギャンギャンうるさい騒音、びかびか光って目が回りそうなライトに揉(も)まれるのが好きだった。通学用のリュックサックを汚い床に直に置いて、甘い汗の匂いが染みついた制服の上着を脱ぐ。景品が全然取れなくてすかんぴんになったこと。無駄に金を使わされるずるい商売とわかっていてもトライせずにはいられなかったこと。レーシングゲームで逆走して大笑いする。プリクラは嫌いで、よっぽどしつこく誘われない限り撮らなかった。
 間違いなく青春をしていたのに青春だと思いもしなかった。思い返すとすべてが「平成」で「90年代」すぎて、あの時代を全身で生きていたのだなと感慨深い。
 ゲットした最強の推しはいま仕事机そばの本棚の上にいる。おいでませ我が家へ。薄汚いところですがくつろいでもらえると嬉しいです。
 
 さて読書。今回は漫画だ。ヤマシタトモコ『違国日記』(フィールコミックスFCswing祥伝社)を既刊10巻まで読んだ。
 大嫌いな姉とその夫が交通事故で死んだ。少女小説家の高代槙生は、ひとりぼっちになってしまった姪の朝が親戚に心ない言葉を投げつけられているのを見かねて、ほとんど勢いで彼女を引き取ることになる。しかし槙生は人見知りが激しく、生活能力が低く、朝ともうまくコミュニケーションが取れない。朝は朝でまだ中学3年生、突然の両親の死と向き合うには幼く、泣くこともままならなかった。

 自分自身にまだ惑っている思春期真っ只中の少女と、「違う国」に生きていてすぐどこかへ想像を飛ばしてしまう生活能力の低い中年女性との、共同生活の物語だ。そしてふたりを取り巻く人々も掘り下げて描かれ、ことあるごとに「こんなこともできないの?」と威圧してしまう亡き姉の記憶や、朝の親友で、朝から異性愛を前提にした恋バナを振られるたび苛立っていた同性愛者の少女の悩み、別れてもなお槙生の支えになりたいと願う元恋人などが、物語をより深く、広く進めていく。

 評判は訊いていたのだけれど、まさか主人公の槙生と自分がここまでシンクロするとは思わなかったので、新鮮な読書経験だった。95%くらい合致しているんじゃないかな……いちいちいちいち「あーーーもう槙生ちゃんとまた同じこと言ってる」と笑ってしまうのである。槙生は見た目こそ「仕事ができそう」なクールな美人だが、電話が苦手で出られないし、違う国へ思考が行ってしまって他に何もできなくなるし、人見知りが激しすぎて「大人らしい」振る舞いができない。社会に溶け込めず他人に懐くのが苦手なくせに、誰かに面倒を見てもらわないと生きていけない。
 そんな槙生と対比的なのが朝だ。「普通」とは何を指す言葉か明確ではないし、「普通」という価値観は色々なことを取りこぼす。それでも敢(あ)えて、朝は「普通」の子なのだと思う。というか、「普通」が正しい価値観とされる中で生活してきた子と言うべきだろうか。朝自身も、自分はどうして両親も亡くして不幸なのに何の創造性もないのかと悩む、俗っぽいところがふんだんにある。親友がレズビアンであることを知らず、想像すらせず、無邪気に異性愛の価値観を押しつけてしまう。「子どもは残酷だ」とはよく言われることだが、朝も「これが普通だ」に凝(こ)り固まっていて、平気で相手を傷つけてしまう。槙生から「大人だって傷つく」と言われ、はじめて大人も傷つくのかと知るが、ではどうすればいいのかまではわかっていない。
 朝も槙生も、あまりにも等身大で、生のままで、びっくりする。ああそうだった、朝のような子はこうだったと思い出す。まるで本物の十代の少女が目の前にいるみたいだ。ばちばちスパークするかのように元気に生きて、笑い、むくれ、ひどいことを言い、あっけらかんと忘れ、急に泣く。完全に槙生タイプの私にとって、朝のふるまいはとても新鮮だ。
 しかし槙生ちゃん、学校生活が苦手だったくせに小学校からの友達といまだに親しく付き合っているの、かなりうらやましいぞ。私は学校生活こそ好きだったが友達とは全員縁が切れているので……
 まだ10巻が出たばかりだが、11巻が早く読みたい。



 今回は日記を後に回したいので読書の方から書く。ク・ビョンモ『破果』(小山内園子訳 岩波書店)を読んだ。

「防疫」と呼ばれるその仕事は、所属しているエージェンシーから請け負うもので、どんな人間であってもターゲットならば殺す。爪角(チョガク)は65歳、40年以上も「防疫」の仕事をしている殺し屋だが、寄る年波には勝てない。身体は痛み、傷の治りは遅く、物忘れやうっかりミスも増えてきた。若かりし頃は名を馳せ、腕も良かったが、引退の文字がちらつく。
 エージェンシーには爪角のことを「バアちゃん」と呼び、何かと挑発的な態度を取るトゥという若い男がいる。トゥはなぜか爪角に執着しているが、爪角には心当たりがなく、それがなおのことトゥを燻(くすぶ)らせる。
 爪角はある殺しの仕事で怪我を負い、エージェンシーと繋がりがあり事情を理解している医師のもとで治療しようと病院を訪れるが、老いた目のせいで名札を見間違え、別の若い医師に診てもらうことになってしまう。それがやがて爪角の弱点となるのだが、今の爪角には他にも弱点が多い。自宅で飼っている老犬の無用、街で見かけた廃紙回収中の老人。若く先鋭だった頃には見向きもしなかった温かい命の存在に寄り添いはじめた爪角は、罠を仕掛けられ、最後の死闘に挑むことになる。

『四隣人の食卓』(書肆侃侃房)でもそうだったが、ク・ビョンモは物語のカードの切り方が抜群に巧い。冒頭の爪角登場の展開はもとより、父親を謎の女に殺された子どものエピソードや、爪角自身の過去が、意外なタイミングで挟まれる。読者は読みながら、なぜ今このエピソードを読んでいるのかと訝しみながらページをめくるが、読み進めると「あっ」と驚き、より一層物語の先が気になってくる。
 また、今回も社会風刺や差別への批判が巧みに盛り込まれ、第一級のフェミニズム小説としても読める。この『破果』最大の重要なポイントは、爪角が女で老いているという点だ。これまで描かれてきた「殺し屋」という登場人物は、圧倒的に男性が多く、女性、それも60歳過ぎのお婆さんは数えるほどしかない。男の殺し屋は年齢問わず珍しくもなんともなく、若い女も最近増えてきたが、老婆は「イロモノ」的な存在でしか殺し屋というポジションを与えられてこなかったと思う。
 中年女性が銃を片手にというと映画『グロリア』が浮かぶが、あれを演じたのはまだ50歳前のジーナ・ローランズだし、リメイク版に至っては10歳若いシャロン・ストーンになってしまった。
 あとは「やたらと屈強な老婆キャラ」とか、若者を圧倒する老人という意外な理想像が押しつけられてしまいがちだ。しかし『破果』の爪角は、60歳を超え、老眼で大事な名札を読み違えたり、飼い犬のごはんをあげたかどうか忘れたり、うっかりミスで怪我を負ったりする。弱く、脆(もろ)く、劣っていく身体とともに、どうにかこうにかまだ殺しの仕事をしている。関節痛も物忘れも加齢臭もある女、それが描かれること自体まだ少ない中で、殺し屋という特殊設定で読めるのはとても嬉しいことだ。

 ク・ビョンモはジャンルにこだわらない人だと思う。日本語訳されているのはまだ2作しかないが、どちらもまったく違う話だし、本国の韓国ではファンタジーやSFも書いているらしい。あっちこっち興味が飛び回り、アイデアがどんどん出てくるタイプの作家は親近感が湧く。以前対談をさせて頂いた際に、ご本人にそう伝える機会があって僥倖だったが、また彼女の全然違う物語が読みたいなと思う。

 読書日記はここまで、以下は2月某日の日記分。なんで後回しにしたのかというと、個人的な話すぎてちょっと恥ずかしいからだ。でも記録としてちゃんと書いておきたいので書く。長いので、読みたくなければここでストップして下さい。

●2月某日

『違国日記』を読んでいたら、槙生のことを、朝の親友えみりが「発達障害じゃないの?」と言うコマがあった。ちょっとぎくりとして検索してみると、作者本人も発達障害を意識しており、メインテーマのひとつにあるとインタビューで答えていた。つまり槙生はそのキャラクターであり、作者も自分がそうではないかと思っていると言う。

 以前、ADHD(注意欠如・多動症)の特徴を読んだ時、あまりにも自分の特徴とあてはまっていたので、もしかしたらそうかもな、とうっすら思っていたが、先延ばしにする悪癖(あくへき)のせいでそのままにしていた。発達障害に関しては、聴覚過敏や頑固さ、3歳くらいまでしゃべらなくて姉に通訳をしてもらっていたのを不審がった母がASD(自閉スペクトラム症)ではないかと疑ったことがあるらしいが、それはほとんどないと思う。近親者にはいるけど……ともあれ、今回は無性に気になって、病院を探し、クチコミは最悪だが腕はよさそうなところ(経歴もしっかりしていて病状や薬に詳しいけれど態度が横柄[おうへい]で無礼な医師という評判だった)へ行った。
 確かに医師の態度は横柄で、「本当にADHDである人は非常に少ない、だいたいみんな単におっちょこちょいだったり注意力がなかったりというだけだし、本当は双極性障害なのを勘違いしている人もいるし……」とあれこれぶつくさ言ってくる。なるほどそうかもなと思いながら診断を受けた。
 すると20個くらいある項目のうち、そこまでではないかなというレベルが2個だけで、あとは全部当てはまってしまった。全部紹介するときりがないので省略するが、多動や注意欠陥行動の例で面白かったのを挙げる。「作業中の人の邪魔をしてしまう」という項目があり、私はこれを見て(パソコン作業中の人の間に割り込んでウェーイってやっているイラストだった)、「え、これって項目に入るんですか!?」と訊いてしまった。今でもよくやります。間に割り込んだり、服を引っ張ったり、誰かのトイレ中に電気を消したり。あと道を歩いていて、花壇のへりとかちょっとした塀とか、少し高いところにジャンプして飛び乗ってそのまま歩きます。大人だけど、いまだに。足とか指とか体とかを常に動かしていないと落ち着かないし。
 あとは、人の話が途中からまったく頭に入ってこなくなり、意識が飛んでしまうとか、手当たり次第に手をつけては放置するとか、〆切を盛大に勘違いして1ヶ月すっとばすとか。逆に過集中状態になることも多く、仕事とまったく関係のない、どうでもいいことに熱中してつい1日を浪費し、しかもそれが半年とか1年とか続いてしまう場合がある。整理整頓も大の苦手で、たとえばスプーンとフォークとナイフがいっしょくたに置かれているのを、別々に分けることが極端に苦手だ。頭が軽いパニック状態になってこんがらがってしまう。これらは子どもの頃からそうで、幼稚園から小学校1年生くらいまでは、ちゃんと椅子に座っていた記憶があまりない。
 医師ははじめのうち「君が嘘をついていないならね」と不服そうだったが(嘘なんかつくか!)、30分間の診察の中で私の話ぶりがそれっぽかったのか、会話の最中で私がした盛大な勘違いが面白くて笑い転げた様子がそれらしかったのかわからないが、「なるほど、君はADHDだな」と確定診断を下され、アトモキセチンを処方された。しかし「これを飲むと降りてこなくなるよ」と念を押される。

 ADHDは脳内の神経伝達物質であるドパミンやノルアドレナリンが不足し神経伝達の調節異常が生じる、らしい。アトモキセチンはノルアドレナリンあるいはドパミンの再取り込みを阻止して、神経伝達物質の濃度を上昇させるのだという。調べてみると、継続して服用すると効果を発揮するという。
 その晩、ひとまず1錠飲んでみた。しばらくは何ごともなかったのだが、2時間ほど経った時に異変に気づいた。頭の中が静かなのである。頭の中から声が聞こえてこない。思考が止まっている。
 私の脳みそは365日24時間うるさい。思考がいくつもまわり、めぐり、議論をし、自分で自分の意見を否定し、考察を繰り返す。引き出しは開けっぱなしで、連想ゲームのようにさまざまな言葉や映像や画像や過去の記憶などが飛び出し、繋がり、違う思考へと渡っていく。何人もの自分が四六時中ずっとしゃべっている感じだ。多動は思考にも影響するらしい。
 しかし薬を飲んだら、それがなくなった。
 まるで雪の日みたいだ。日頃は車の音や人の声、何かの騒音でがちゃがちゃしている世界に、しんしんと降り積もり、すべての音を吸収して消してしまったような感じ。静かで、つるりとしていて、丸い。普段の、複数の思考やイメージの小爆発が同時に起き、忙しなく落ち着きがなくざわざわとげとげした感覚がない。滑(なめ)らかで、落ち着いていて、考えようと思わなければ考えが出てこない。飼い猫に「しおちゃん」と呼びかけて撫でる。すると、いつもは「しおちゃん」という単語から連想されるイメージやしおりの健康状態や過去のあれこれなどが自動的に出てくるのに、言葉はただ言葉として浮かび、雪の中に消えてしまった。何の言葉もイメージも引っ張り出してこない。
 視界も違っている。同居人の顔を見ると、「人の顔を見ている」感覚しかない。意味がわかりにくいかもしれないが、見たものを見たままに素直にただ受け取っている状態なのだ。ためらいも、疑問も、イメージも、連想される思考も、何もない。「そこに人の顔がある」のを認識しているだけ。もちろん考えようと思えば考えられる。ただそれは能動的で、スイッチを入れないと動かず、いつものように自動的に出てこないのだ。そして、すべてが薄皮を一枚めくったようにクリアだった。ノイズがないせいだろうか、風呂に入れた入浴剤の泡や、水を入れたコップ、手の筋などが、とてもくっきりと美しく見える。自分で自分の手に触れると、触感が違う。手に触れているのが明確にわかる。手の関節や筋がいつもよりはっきり感じられる。私はそういえば痛みにやたら強いので、皮膚感覚が鈍(にぶ)かったのかもしれない。
 その話をすると、同居人も友人も、「普通はそうだよ」と言う。
 みんなこんな世界で生きていたのか! こんなに静かできれいな世界で生きていたのか! 五感が研ぎ澄まされている! 
 産まれてはじめての経験だ。こんな世界があったのを知らなかった。

 医師に「ADHDは小説家向いてない」と言われ、本当にそのとおりだと思ったのだが、実際に薬を飲んでみると、マジで自分は向いていないのだという気がする。こちらの方が世界がはっきり見え、五感が鋭くなり、思考もまとまりやすくて文章化しやすい。いつもは何かを言語化しようとすると、さまざまに考えすぎてまとまらず同じことを延々考えて反証して決めて反証してを繰り返すのだが、薬を飲んでいると、思いついた言葉に抵抗がない。これだな、と思ったらそれで決めてしまえる。迷いにくいし、疑問もあまり抱かない。
 なんというか、あまりにも世界が違って、私は私という存在について考えてしまう。「降りてこなくなるよ」という医師の話は確かで、いつもしていた思考を飛ばすことがなかなか難しくなる。思考と思考、イメージとイメージの間を飛んで渡って、遠くへ投げて、跳ねて検証して変えて動かして、アイデアをどんどん出していくことができなくなる。
 とはいえ、アトモキセチンの効きは人それぞれで、私のようにすぐ効く人もいれば、なかなか効かず苦労する人もいるらしい。私の場合は薬の効きが切れるのも早く、5時間くらいで次第に自分が戻ってきた。
 最初に、擬音をぶつぶつ呟く声が戻る。ガシャン、ドカン、びょんびょん、わやわや。それから私の思いついた単語を何度も繰り返し反響させるこだまのようなやつが来る。夜中に帰ってきたそれらを、私は愛おしさを覚えながら迎えた。ぶつぶつ、ざわざわ、がやがや、ああでもないこうでもない、あれもあったこれもあった、この単語は?この記憶はあの記憶は?あのことはどうなった?本当にそうだったの?お前はいま何をしてる?こうしてる。ああしてる。それで……
 頭の中は毎日大騒ぎだが、それでもこのやかましい脳みそを大事だと思うようになった。離れてみてやっとわかる大切さというところだろうか。これがなくなったら私が私でなくなってしまう。
 結局、2週間後に再び病院で話し合い、薬は飲まないことになった。医師はむしろ飲まない方がいいと言う。「能力があるなら大事にした方がいい。能力をとるか集中力を取るかだけど、どっちもは無理。なんでもうまくいく薬なんかないよ」そのとおりだなと思う。

 でも知らなかった世界を体験して、私はやっと私を見つけた気がした。幼少期からこうだったから、ただの性格だと思っていた。けれどそれだけではなかった。木のてっぺんまで駆け上り、高く漕いだブランコから飛び降り、落ち着かずそわそわし、『スター・ウォーズ』を半年間毎日繰り返し観て、無鉄砲で何度も大けがをし、友達を殴って泣かせてしまい親を呼び出され、教師の話が聞けず集合時間を思いっきり間違えて学年で私だけ遅刻してめちゃくちゃ叱られた少女時代。いまも部屋もデスクトップも汚く、思考を思い切り遠くへ飛ばし、自分の頭の中にいくつもある世界を渡り、没頭し、興味もないのに占星術にはまって丸1年費やしセミプロ級に占えるようになったりする。どうしようもない失敗や猛省したいこと、ダメな部分が多すぎる。しかしこれらが奪われてしまったら私ではなくなる。難しい。とても難しい。

 眉間にしわを寄せて考えこんだ私に、横柄だった医師は柔らかく笑って、「君みたいな人は、もうそのまま生きていくしかない。まわりのみんなに支えてもらって生きろ、がんばれ!」と背中を押してくれた。


破果
ク ビョンモ
岩波書店
2023-02-22



■深緑野分(ふかみどり・のわき)
1983年神奈川県生まれ。2010年、「オーブランの少女」が第七回ミステリーズ!新人賞佳作に入選する。13年、入選作を表題作とした短編集でデビュー。15年刊の初長編『戦場のコックたち』は、三つの年末ミステリベストランキングでベスト3にランクインしたほか、第154回直木賞、2016年本屋大賞、第18回大藪春彦賞の候補となるなど高く評価されている。著作に『ベルリンは晴れているか』(筑摩書房)、『この本を盗む者は』(KADOKAWA)、『カミサマはそういない』(集英社)、『スタッフロール』(文藝春秋)などがある。

オーブランの少女 (創元推理文庫)
深緑 野分
東京創元社
2016-03-22


戦場のコックたち (創元推理文庫)
深緑 野分
東京創元社
2019-08-09