櫻木(さくらき)みわ『カサンドラのティータイム』(朝日新聞出版 一六〇〇円+税)は、息を吞んで読み進める一冊だった。

 長年憧れていたスタイリストのアシスタントとなって懸命に働く友梨奈(ゆりな)は、仕事で気鋭の社会学者の男と親しくなった矢先、思わぬ落とし穴に陥(おちい)る。一方、滋賀県の牛肉加工場でパートとして働く未知(みち)は、新人賞を受賞して作家デビューを果たした夫に尽くしている。ともに男性から抑圧されている二人の女性の人生が、思わぬところで交錯する。

 未知の夫は、彼女が従順な時は優しいが、なにか気に入らないと徹底的に貶(おとし)める。明らかなモラル・ハラスメントだ。モラハラの渦中にいる被害者がなぜそれに気づけないのか、気づいたとしても、なぜそう簡単に抜け出せないのか、その心理がよく分かって胸が苦しくなった。また、本作が秀逸なのは、モラハラ被害者が身近な人々に相談しても「あいつはいい奴だよ」などと軽く流されて信じてもらえず、そのためにさらに精神的に傷ついてしまう、いわばカサンドラ症候群に陥る可能性をリアルに描いている点だ。

 もちろん巧みな構成で物語としても充分楽しめるので誰にでも薦めたいが、切実に思うのは、この小説を読んで自分の置かれている状況に気づき、救われる人が絶対にいる、ということ。多くの人に届きますように。

 一方、こんなシェアハウスがあったらいいな、と思うのが畑野智美(はたの・ともみ)の『若葉荘(わかばそう)の暮らし』(小学館 一八〇〇円+税)。四〇歳以上、女性限定のシェアハウス「若葉荘」が舞台だ。

 四〇歳になるミチルは、コロナ禍でアルバイト先の飲食店も打撃を受け、収入が激減、格安家賃の「若葉荘」に転居する。水回りやリビングは共有、掃除やゴミ捨てはゆるやかな当番制で、厳しいルールはまったくない。年配の管理人女性や数人の入居者とは、たまに会話を交わしたり、一緒に食事することもあるが、それぞれの経歴や事情には踏み込まない。そんなほどよい距離感が心地いい。

 ミチルはバイト先の常連男性と親しくなるが、恋が急展開することもない。結婚やそのための相手の条件を意識することもなく、ノリや勢いで突っ走ったりもしないのだ。本音を率直に語らい、純粋に一緒にいる時間を楽しもうとする様子は、大人同士の恋の理想形のひとつかもしれない。

 生きづらい現実のなかで、他人の価値観に左右されることなく自分のペースで生きていく。それでいいのだと思わせてくれる。なんとも優しく滋味(じみ)深い一冊。

 瀬尾(せお)まいこ『掬(すく)えば手には』(講談社 一四五〇円+税)も優しさがあふれている。

 大学生の梨木匠(なしき・たくみ)は、人の心を読むのが得意。誰がどんな言葉を欲しているのか理解し上手に立ち回り、人間関係を円滑に回している。店長が尋常でないほど口が悪いため、これまで長続きしたアルバイトが一人もいないオムライス店でも飄々(ひょうひょう)と働き続けている。でも新たにやってきたアルバイトの女性、常盤(ときわ)さんの心だけは読むことができないのだった。

 他人の気持ちに寄り添える匠が魅力的。それに、誰かが誰かを助けてばかりなんてことも、誰かに助けてもらってばかりなんてこともない。周囲を思いやる彼を、ちゃんと見ている人だっているのだ。人の心を掬っていれば、手の中にはきっと残るものがある、そう肯定的な気持ちになれる一冊だ。


■瀧井朝世(たきい・あさよ)
フリーライター。1970年東京都出身。文藝春秋BOOKS「作家の書き出し」、WEB本の雑誌「作家の読書道」ほか、作家インタビューや書評などを担当。著書に『偏愛読書トライアングル』『あの人とあの本の話』『ほんのよもやま話 作家対談集』、編纂書に『運命の恋 恋愛小説傑作アンソロジー』がある。

紙魚の手帖Vol.08
ほか
東京創元社
2022-12-12