あの日あの扉を開いていたら、
あの日一本違う道を通っていたら、
冒険が始まっていたのではないかと悔やむ大人たちのための、
あらたな夢の物語。
川野芽生 Megumi KAWANO
あの日一本違う道を通っていたら、
冒険が始まっていたのではないかと悔やむ大人たちのための、
あらたな夢の物語。
川野芽生 Megumi KAWANO
子供の頃、衣装簞笥の中に入って、その奥がナルニアに続いていはしないかと確かめずにはいられなかった。
夢中になって本を読み耽るうち、その本の中に自分が登場してきて、ファンタージエンに入り込んでしまうことを夢想せずにいられなかった。
これはそんな子供だった人々のための物語。
主人公のザカリー・エズラ・ローリンズは、占い師を母親に持つ、本の虫の大学院生。
彼は子供の頃、一枚の「扉」に出会ったことがあった。物語を愛する子供なら誰でも夢みるような、冒険の世界へと続く扉。日常生活にぽっかりと空いたワームホール。
それは、学校帰りにいつも通る狭い路地の煉瓦壁に描かれた、騙し絵(トロンプ・ルイユ)の扉だった。触れることができそうなほど立体的に描かれたドアノブに手を伸ばし、魔法の存在を信じてそのノブを回しさえすれば、扉は開き、物語が始まるはずだった。
けれどザカリーはドアノブを握らなかった。自分はもう物語と現実を混同するほど子供ではないのだからと、おのが心に言い聞かせた。翌日になって、もう一度路地に戻ってみると、扉は上から塗りつぶされていた。
こうして彼は、物語の世界に漕ぎ出すチャンスを永遠に失ってしまった――のだろうか? そうではない。物語はふたたび、彼を迎えに来る。今度は一冊の書物のかたちで。
二〇一五年、ザカリー二十四歳の冬。修士課程の二年生で、修士論文を書かなくてはいけないのに関係ない本を読み耽ったり、専攻について悩む時期は過ぎてしまった、とほんのり後悔したり、研究や分析といったものより自分はただただ読書がしたいのでは、と考えたりしている。児童文学の主人公になれるとはもう思っていないけれど、自分で思っているほどは大人でもない、そんな時期にいる。
そんな彼が図書館でふと手に取った、一冊の本。『甘い悲しみ』と題された、謎めいたその本は、〈星のない海〉という、地下にあるバベルの図書館めいた場所のことを、そこを守る役職や、そこを訪れた人々のこと――そして子供の頃、ドアノブを握らなかったがゆえにその場所を訪れそこねたザカリーのことを語っていた。本の裏表紙には、子供の頃出会ったあの扉に描かれていたのと同じ、剣と、鍵と、蜜蜂のシンボル。驚いたザカリーはその本の来歴を調べようとするが、ほとんど情報は見つからない。わずかな手がかりから、彼はとある文芸関係の仮面舞踏会に目星をつけてはるばる出向き――事件に巻き込まれる。
これは大人のための児童文学、と言ってもよいだろう。いつか冒険の扉が開くことを待ち望みながら子供の歳を過ぎてしまった、あの日あの扉を開いていたら、あの日一本違う道を通っていたら、冒険が始まっていたのではないかと悔やむ大人たちのための、あらたな夢の物語。
(個人的なお気に入りは、強い近視で乱視のザカリーが、突然冒険に巻き込まれて荷物を取りに戻るひまもなく、眼の中で乾ききったコンタクトレンズと苦闘したのち、魔法のように度の合った替えの眼鏡を手に入れるところ。急激に近視が進行した十二歳の時以来、私はもう異世界への冒険に出ることはできないと絶望していたのだが、これで安心だ)
書物の海をめぐるこの書物は、さまざまな書物と混ざり合いながらみずからを語る。謎の書物『甘い悲しみ』を織りなすいくつもの物語は、互いに独立しているようでもあり、作中作のそのまた作中作の――と入れ子構造になっているようにも見える。そして『甘い悲しみ』は別の書物にすり替わり、ザカリーが読むその書物の内容が本筋と交錯しながら語られ、また別の書物と出番を交替し――と、書物から書物への旅が展開される。書物と書物、物語と物語は、ひとつひとつが自立した生命を持ちながら、深いところでおなじ水脈から水を汲み上げている。語られる物語には、〈時間〉と〈運命〉や、太陽と月を登場人物とする神話的なものもあり、物語の淵源を垣間見させる。
物語の外部から、さまざまな物語が引かれているのも魅力のひとつだ(物語から物語へのこうした連なりが、物語に外部などないということを教えてくれるのだが)。ザカリーや他の登場人物が読んでいるのは『ライ麦畑でつかまえて』に『風の影』、『エアーズ家の没落』に『長い別れ』。文芸仮面舞踏会で出会うのは、エドガー・アラン・ポオやエミリー・ディキンソン、ヘミングウェイにちなんだ仮装であったかと思えば、映画『007/カジノ・ロワイヤル』や『シャイニング』、漫画や絵本から飛び出してきたようなものたちであったりする。「ゼルダ」という名前は「ゲームのお姫様」と「フィッツジェラルドの奥さん」の両方を意味し、「エリナー」という名前は歴史上の人物からジェーン・オースティン『分別と多感』のヒロインやシャーリィ・ジャクスン『丘の屋敷』の主人公まで含んでいる。蜂の巣のような六角形の部屋は、六角形の部屋が連なる『はてしない物語』の「千の扉の寺」にきっと通じているし、七角形の部屋が連なる『薔薇の名前』の文書館にも接しているに違いない。『甘い悲しみ』にまつわる謎の手がかりを得ようとインターネットで検索したザカリーは、シェイクスピアの一節やらアーサー王伝説やら『バイオハザード』のアイテムリストやらがごちゃまぜになった結果しか得られないのだが、そのごちゃまぜぶりはこの物語にふさわしい。
そう、ごちゃまぜ。物語、という言葉と、書物、という言葉をここまで注釈なしに並列させてきたが、物語は実のところ書物という形式に限定されるものではない。口承の物語もあれば、映画や漫画、そしてゲームという形式を取るものもある。
〈星のない海〉の岸辺に集まる物語のかたちは、次のように形容される。
本に書かれ、壺に封じられ、壁に描かれた物語。皮膚に彫られ、薔薇の花弁に刻印された頌歌、床に敷いたタイルで表現され、通り過ぎる足によって筋書きの一部がすり減った説話。水晶に刻まれ、シャンデリアから吊るされた伝説。目録に収められ、大切にされ、崇められている物語の数々。
「本に書かれ」た物語は、物語全体の中のごく一部にすぎない。
ザカリー自身、図書館の司書たちには文学専攻だと思われているが、専攻は新興メディア、研究対象はビデオゲーム。彼にとってゲームも小説も本質的には変わらない。彼はゲームの形であれ本の形であれ、「物語」をこよなく愛しているのである。
「ゲーム」はこの物語に欠かせない要素でもある。RPGを思わせる道具立てのためだけではない。ゲームの特色は、選択の連続と分岐するストーリーにある。この物語も単線的な筋立てをなぞるのではなく、蜂の巣のように連なる数多の物語の織物としての姿をあらわにする。登場人物たちの前にはつねに複数の扉が現れて選択を迫り、選ばれなかった扉の方には、目にすることのないままの部屋が広がっていることを思い出させる。そして物語は、何度も何度もちがう結末を求めて繰り返しプレイされていたことが次第にあきらかになる。
バスチアンが二つの扉から一つを選んでは先に進んでいく「千の扉の寺」はそもそもゲーム的だし、『指輪物語』がRPGの誕生に大きな影響を与えたことを思い出しても、文学とゲームが相容れない存在ではないことがわかるはずだ。
他の物語への言及の中でも魅力的なのが、ザカリーを冒険へと導く人物のひとり、ミラベル。彼女はおなじみの絵本『かいじゅうたちのいるところ』の主人公マックスの仮装をした女性として登場する。家で大暴れして寝室に放り込まれたマックスは、自室にいながらにして怪獣たちの国へと航海をし、怪獣たちの王様になり、しかし「おれたちは たべちゃいたいほど おまえが すきなんだ。たべてやるから いかないで」(神宮輝夫訳)という怪獣たちの顎からもひらりと逃れて寝室へと帰ってくる。夕飯も冷めぬ短い間に。そんなマックスは、いくつもの物語(現実と呼ばれるものもひとつの物語である)の間をかろやかに渡り歩き、さまざまに姿を変える彼女にぴったりのヒーローであろう。
それだけでなく、怪獣に扮した男の子に扮した成人女性、という彼女の姿は、この物語そのものの暗喩のように入れ子になっていて、この物語そのもののように捉えどころがない。怪獣と男の子と成人女性と、そのどれかひとつがほんとうで他のものは虚構というわけではなく、どれもがひとしく真実で、どれもがひとしく虚構なのである。マックスの寝室に、魅惑の森や野原が重なっていたのと同じように。
そんな彼女は、冒険の海に漕ぎ出すには「男の子」である必要はない、ということを、ザカリーとは異なる方法で示してくれる。彼女は物語そのものに似ていると同時に、物語の読者にも似て、何にでも姿を変えるのである。
他にも魅力的な登場人物は枚挙にいとまがないが、冒険物語の主役として想定されてきた「男の子」(シスジェンダーで異性愛者)の枠にはまらない人物を挙げるなら、ビデオゲームをテーマにした料理ブログを運営し、同性の恋人がいる、気さくで明るいキャットを忘れることはできないだろう。また、ザカリーがゲイであることも、センセーショナルな、あるいは(異性愛者の場合に比べて)過度にセクシュアルな話題として取り上げられることはないし、彼の悩みの種になることもない。なお、この冒険の中には彼のロマンスも含まれる、というのは、ロマンスが好きな人のためにも嫌いな人のためにも言っておきたいところ。
最後に、この物語から「扉」についての一節を引用しよう。あなた方も自分の「扉」に出会えるように。
こうした扉は歌を歌う。それは静かなセイレーンの歌で、扉の先にあるものを探し求める者に向けられている。行ったことのない場所に郷愁を覚える者に。何を(あるいはどこを)探しているか知らないまま、探求を行う者に。探求する者は発見するだろう。彼らの扉は彼らをずっと待っていた。
§
著者のエリン・モーゲンスターン(Erin Morgenstern)は一九七八年生まれ。マサチューセッツで育ち、大学では演劇とスタジオアートを専攻した。デビュー作The Night Circus(2011)(『夜のサーカス』早川書房、二〇一二)は、三十七以上の言語に翻訳・刊行され、二〇一二年ローカス賞第一長編部門を受賞、『タイム』誌の「オールタイム・ベスト・ファンタジー小説100」にも選ばれている。本作The Starless Sea は二作目であり、二〇二〇年のドラゴン賞ファンタジー長編部門を受賞した。
主人公ザカリーの母親は占い師だが、モーゲンスターン自身タロットカードの製作を行ったことがある。なお、太陽星座は蟹座、月星座は獅子座、アセンダントは牡牛座で、「それが何を意味するかを知り尽くしている」と本人による略歴にある。
本稿は『地下図書館の海』巻末解説を転載したものです。
■ 川野 芽生(かわの・めぐみ)
1991年神奈川県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科在籍中。2017年、「海神虜囚抄」(〈間際眠子〉名義)で第3回創元ファンタジイ新人賞の最終候補に選出される。18年、「Lilith」30首で第29回歌壇賞を受賞し、20年に第一歌集『Lilith』を上梓。同書は21年、第65回現代歌人協会賞を受賞した。小説の著書に『無垢なる花たちのためのユートピア』『月面文字翻刻一例』がある。