『モモ』や、『はてしない物語』が日本でもブームを引き起こしたミヒャエル・エンデが、胃癌(いがん)のために六十五歳で生涯を閉じてからはや二十七年が経過したが、このほど、なんと未完の遺稿を元にした長編『ロドリゴ・ラウバインと従者クニルプス』(木本栄訳 小学館 一九〇〇円+税)が刊行された。

 親子三人の旅する人形劇団から、ある夜、ひとり息子のクニルプスが消えた。大人になるには善悪の区別を知らねばならないと言われたクニルプスは、とりあえず悪を学ぼうと決め、盗賊騎士ロドリゴ・ラウバインの従者になるためにひとりで旅に出たのだ。ところが当のラウバインは二メートルの巨漢だが、実はたいへん内気な臆病者で、おどろおどろしい伝説を流布し、石膏で作った骸骨(がいこつ)で城を飾り立て、人が寄り付かないようにしているだけの引きこもりだった。しかしそんなことは理解できないクニルプスは、やっかいばらいをしたいラウバインが口にした「たったひとりでできるだけ大それた悪事をはたらく」という条件を鵜吞(うの)みにし、悪事を成すための旅に出てしまう。

 という冒頭の三章は、『だれでもない庭 エンデが遺した物語集』に長編小説の断片として収録されていた遺稿そのままで、残りの十二章をエンデを読んで育ったという一九六九年生まれのドイツ人作家ヴィーラント・フロイントが執筆。クニルプスはその後、ひょんなことからお姫様の誘拐事件に巻き込まれるのだが、お姫様の馬車に「ラウバインばんざい!」と落書きしたがために、無実の師匠がお姫様誘拐犯にされてしまう。賢いお姫様に諭され、師匠の真実を知った後も、クニルプスは裏切られたと思うのではなく、自分が迷惑をかけていることを悔やむ。無垢で無知だが、決して愚かではないクニルプスの造形をはじめ、悪とはなにかという問い掛けや、メランコリーという病の存在、さらに物語と現実が入れ子構造となるなど、いかにもエンデらしいモチーフがちりばめられている。低年齢から楽しめる無垢な子供の冒険という意味では『ジム・ボタン』シリーズに近しい。一見突拍子のない描写も見方を変えれば理にかない、ファンタジーとしてはこぢんまりと纏(まと)まった印象を受けるが、それもまたエンデらしさかもしれない。

 なお、遺稿が発表された際にはエンデの絵が添えられていたが、本書は表紙・挿画共にjunaidaが担当。手元においておきたくなる愛らしい仕上がりとなっている。そのjunaidaだが、本書と相前後してエンデの『鏡のなかの鏡』をモチーフにした画集『EDNE』(白水社 二五〇〇円+税)が刊行された。見開きに左右対称のイラストを配置。片方に間違い探しのような小さな欠片(かけら)を加えることで、二つの絵が現実と物語のように相互に干渉しあい、合わせ鏡の迷宮へと見るものを誘(いざな)う。

 エドワード・ケアリー『吞み込まれた男』(古屋美登里訳 東京創元社 二一〇〇円+税)の主人公は、ピノキオを造ったジュゼッペ(=ゼペット)の物語だ。カルロ・コッローディの『ピノキオ』の中で、家を飛び出したピノキオを探すゼペット爺さんは、物語の序盤で大きな魚に吞み込まれた後、ピノキオと再会するまで、なんと二年もの間、鮫だか鯨だかの腹の中に閉じ込められていた。本書はその二年間の物語だ。魚が吞み込んでいた船の中で暮らし、蠟燭(ろうそく)や食料などの備品を使っていたというのだが、蠟燭を使い切ればあとは暗闇に取り残される。孤独と恐怖に苛(さいな)まれ続ける極限状況をピノキオへの感情を支えに耐える姿が、ジュゼッペの手記と絵やオブジェで浮き彫りにされる。

 本書はケアリーの亡き父と第一子に捧げられているが、物語もまたジュゼッペの父と、ジュゼッペ、そして息子・ピノキオの三代の物語だ。しかし当初、ジュゼッペがピノキオに抱いていた感情は息子への愛ではなく、自分が造ったものへの執着だ。さらに自然の理(ことわり)に反するものを作ったという意識が彼を追い込んでいく。そんな狂気をも孕(はら)んだ彼の感情が、魚の腹の中の二年間で、奇妙に捩(ねじ)れながらも変化する。ケアリー自身が描いた見るものを不安にさせる独特のタッチの挿画が物語の陰影を際立たせる、アーティスティックな一冊。

■三村美衣(みむら・みい)
書評家。1962年生まれ。文庫解説や書評を多数執筆。共著書に『ライトノベル☆めった斬り!』が、共編著に『大人だって読みたい! 少女小説ガイド』がある。


紙魚の手帖Vol.07
櫻田 智也ほか
東京創元社
2022-10-11