訳者あとがき――思い出が動き出す物語

「ぼくは白い手袋をはめていた。両親と暮らしていた。でも、小さな子どもではなかった。三十七歳だった。下唇が腫れていた。白い手袋をはめていたが、召使いではなかった。ブラスバンドの奏者でも、ウェイターでも、手品師でもなかった」
 この書き出しを初めて読んだときわたしはノックアウトされた。
 頭の奥が文字通り痺れた。滅多にない経験だった。いまもノックアウトされたときのあの感覚が蘇(よみがえ)ってくる。いままさに物語が語られる、秘密が打ち明けられるという張り詰めた幸福感と言えばいいだろうか。とにかく幸せな出会いであった。

 エドワード・ケアリーは一九七〇年四月八日に四人兄弟のひとりとしてイングランド東部のノーフォークで生まれた。寄宿制の私立学校を卒業後、祖父も父も学んだパングボーンの海軍学校に入学したが、軍人になってほしいという家族の期待を裏切り、イングランド北部にあるハル大学の演劇科に入る。その後形成外科の記録係やロンドンの劇場の守衛、マダム・タッソー蝋人形館の警備員(!)といった職を経て、演劇関係の仕事をするようになる。画家か俳優になりたかったが、自分に向いていないと思い、小説家を志した。本書『望楼館追想』は二〇〇〇年に刊行されたケアリーのデビュー作だが、それまでにテレビ用の脚本を数本、芝居を二作ほど書いている。イラストレーター、彫塑家でもある。この作品を発表したときまだ三十歳だったこと、そしてその後も素晴らしい作品を発表していることを考えると、彼の豊かな才能に脱帽せざるを得ない。マダム・タッソーの蝋人形館で見聞きした多くのことがこの作品に反映しているのは想像に難くないが、この作品のコアとなるものはアンナ・タップの語る孤児院での話であり、そこから書き始めて七年をかけて本書を完成させたという。
 邦訳の初刊当時に好きな作家を尋ねたところ、ブルーノ・シュルツ(ポーランド)、トーマス・ベルンハルト(オーストリア)、イタロ・カルヴィーノ(イタリア)、ブルース・チャトウィン(イギリス)、ナギーブ・マフフーズ(エジプト)、カーソン・マッカラーズ(アメリカ)、詩人のフェルナンド・ペソア(ポルトガル)、そして日本の村上春樹の名前が挙がった。
 こうした作家から、ケアリーがエキセントリックな人物の登場する、物語性の強い作品を好んでいることがよくわかる。そして彼の文学の基盤にあるものも浮かび上がってくる。彼は「想像力こそ小説にとっていちばん大切なものだ」と述べている。〈アイアマンガー三部作〉についてのインタビューでは、チャールズ・ディケンズ(イギリス)、マーヴィン・ピーク(イギリス)、アラスター・グレイ(イギリス)に影響を受けたことを打ち明けている。

『望楼館追想』がイギリスで刊行された三年後に『アルヴァとイルヴァ』が発表された。二つの長篇を書いてから、短篇を何作か雑誌に発表することはあったが、頭のなかにできあがっていた「フランスを舞台にした作品」を完成させることができないでいた。書いては直し、を何度も続けていたと、インタビューで答えている。二〇一三年までの十年間、彼は深い迷路に入り込んでしまっていた。
 ところが、〈アイアマンガー三部作〉の第一部『堆塵館』を発表すると、まるでエンジンを新しくしたスポーツカーのように疾走することになる。〈アイアマンガー三部作〉を書いているときはとても楽しくて自由で、「小説ではどんなことでもやっていいのだ」という思いが蘇り、長年書きあぐねていた蝋人形館の創設者マダム・タッソーの伝記的小説『おちび』を完成させることができた。作家の想像力はいくらでも、どこまでも飛翔することを証明してみせたのだ。
『望楼館追想』を発表してから二十三年が経った現在、本書を含めて長篇六作、中篇一作を発表し、日本オリジナルの短篇集が一冊出されている。詳細は後ほど記す。

 本書が初めて日本で紹介されたことがいかに大きな出来事だったか、当時の様子を振り返ってみたい。いまは閉店してしまったが青山ブックセンター六本木店の書店員の方が、本書を気に入って全面的にバックアップしてくださったことが大きな弾みになった。同時期に刊行された村上春樹の『海辺のカフカ』よりも、その書店では売り上げを伸ばしたという。同じように紀伊國屋書店新宿南店やリブロ池袋本店でも、さまざまな展示方法を考えていただいた。さらには多くの新聞や雑誌の書評欄に取り上げられた。ブログやミステリチャンネルなどで、この作品を読んだ方々が、突拍子もない内容と登場人物の異様さについて楽しげに記したり話したりして、ケアリーのデビューを讃えてくださった。無名の作家にとって幸せな出発だった。

 さて『望楼館追想』にはエドワード・ケアリーの魅力のすべてが収められているといっても過言ではない。「デビュー作にはその作家のすべてがある」、あるいは「作家はデビュー作を超えられない」という話を聞くが、この『望楼館追想』にはケアリー作品の未来がまるごと詰まっていると言える。
 物語の主人公にして語り手のフランシス・オームは引っ込み思案で人間嫌いの、盗み癖のある三十七歳の男だ。そのほか、古くて広い館には犬を愛して犬の言葉しか話さない女性、テレビのドラマを現実だと思い込んでいる老女、汗と涙を四六時中流している元家庭教師、「シッ」としか言わない門番、そして生気をなくしたフランシスの両親がひっそり暮らしている。彼らはほとんど引きこもりのような状態にあり、生きるという能動的な営みを忘れている。そこへ、孤児院育ちで織物の修復士の社交的な女性アンナ・タップが引っ越してくる。望楼館の人々は、この女性をなんとか追い出そうとやっきになる。
 ところがこのアンナ・タップには、人々が消し去った過去や、館のなかにひそむ思い出を魔法のようにたぐり出して花開かせる才能があり、とうとう人々は自身の忘れていた過去と愛を語り始めてしまう。すると望楼館自体もまた、過去の姿を取り戻していく。この「人と館との繋がり」と「愛の喪失と再生」は、ケアリーの作品群の大きな柱になっていく。
 そして無視できないのが物への偏愛だ。これはそのまま〈アイアマンガー三部作〉のごみ屋敷や、『おちび』の蝋の作品、『呑み込まれた男』のオブジェに発展していく。異様だが愛らしい登場人物は『アルヴァとイルヴァ』『おちび』『飢渇の人』に生かされていく。また、繊細な心の持ち主である男性は〈アイアマンガー三部作〉には何人も登場するし、『おちび』では物語の展開を左右する人物になっている。心を閉ざした人物の頑迷さを解こうとする相手の顔には、必ずと言っていいくらいそばかすがある。本書では父と息子の話が大きな割合を占めるが、それは『呑み込まれた男』のテーマでもある。ディケンズの影響からか、孤児と孤児院の話も後の作品群にたびたび登場する。
 本書のもうひとつの重要な特徴は、どういうわけか、本書を読んだ人はほかの人に猛烈に薦めたくなる点だ。人に読んでもらい、この作品のことを共に語り合いたくなるのだ。そしてその相手と巻末にある愛の展示品のリストを肴にお茶やお酒を飲みたくなる。さらには、この本を抱えて部屋の隅にひとり蹲(うずくま)り、思い出を呼び寄せたくなる。

 これまでに発表されたエドワード・ケアリーの作品は次のとおり。

●長篇
 OBSERVATORY MANSIONS(2000) 本書『望楼館追想』(二〇〇二年 文藝春秋 後
に文春文庫、創元文芸文庫)
 ALVA & IRVA(2003) 『アルヴァとイルヴァ』(二〇〇四年 文藝春秋)
 The Iremonger Trilogy〈アイアマンガー三部作〉
  ・HEAP HOUSE(2013) 『堆塵館』(二〇一六年 東京創元社)
  ・FOULSHAM(2014) 『穢れの町』(二〇一七年 東京創元社)
  ・LUNGDON(2015) 『肺都』(二〇一七年 東京創元社)
 LITTLE(2018) 『おちび』(二〇一九年 東京創元社)

●中篇
 THE SWALLOWED MAN(2020) 『呑み込まれた男』(二〇二二年 東京創元社)

●短篇集
 CITIZEN HUNGER AND OTHER STORIES 『飢渇の人』(二〇二一年 東京創元社)
 単行本未収録の短篇と、日本での出版のために書き下ろした六篇を加えた、全十六篇からなる日本オリジナルの短篇集。

●スケッチ集
 B: A YEAR IN PLAGUES AND PENCILS(2021) 未訳
 新型コロナウィルス感染症の一年の記録として三百六十五枚のスケッチと身辺雑記やエッセイなどが収められている。

 二〇二三年の秋に刊行予定の長篇のタイトルはEDITH HOLLERで、病院が舞台になっているという。一刻も早く読みたいものだ。

 本書のエピグラフとして掲げられた詩は、ルーマニアの詩人マリン・ソレスクの詩集THE BIGGEST EGG IN THE WORLD(世界一大きな卵)』に収められた「用心」からの引用である。その全訳を載せておきたい。

  用 心

 水にさらされてなめらかになった
 小石でできた鎖帷子(くさりかたびら)を
 私は身につけた
 後ろからなにが近づこうと
 すぐわかるよう
 項(うなじ)に
 眼鏡を
 うまく載せた

 手甲(てっこう)をはめ 脚覆(あしおお)いをつけ
 心に鎧をまとったので
 触れられたり
 毒をかけられたりするところは
 体のどこにも残っていなかった

 さらに 八百年生きた亀の
 甲羅でできた胸甲(むねあて)を
 身につけた

 すべての準備ができたところで
 私は優しくこう答えた
 ――私もあなたを愛している、と。

 この世で口に出すのにもっとも勇気の要る言葉が「あなたを愛している」であるとこの詩は訴えている。

 最後に本書の文庫復刊に力を尽くしてくださった東京創元社の小林甘奈さんに御礼を申し上げたい。また、愛情のこもった素晴らしいカバーイラストを再び描いてくださった影山徹さんにはいくら感謝しても感謝しきれません。そして、ケアリー作品を愛し、本書の復刊を心から望み、さまざまな機会を見つけてはその魅力を縷々(るる)語り、おそらく訳者の知らないところで版元に復刊を訴えてくださった多くのみなさま。みなさまのおかげでこの本は復活を遂げました。本当にありがとうございました。この文庫版のために新たに挿画を描いてくれたエドワード・ケアリーさんに改めてお礼を申し上げます。すでに単行本や既存の文庫をお持ちの方も、新しい雰囲気を纏った登場人物のイラストを楽しんでいただけるのではと思います。これを機に、『アルヴァとイルヴァ』の復刊が叶うことを祈ってやみません。

 二〇二二年十二月十二日                    古屋美登里


■エドワード・ケアリー(Edward Carey)
1970年にイングランド東部のノーフォーク州で生まれる。これまでに長篇小説『望楼館追想』(2000)『アルヴァとイルヴァ』(2003)〈アイアマンガー三部作〉(2013, 2014, 2015)『おちび』(2018)『呑み込まれた男』(2020)『飢渇の人』(2021)、スケッチ集B: A YEAR IN PLAGUES AND PENCILS (2021)を発表。イラストレーター、彫塑家としても国際的に活躍。現在はアメリカ合衆国テキサス州で妻と子供ふたりと暮らしている。妻はアメリカの作家エリザベス・マクラッケン。

■古屋美登里(Midori Furuya)
翻訳家。訳書にエドワード・ケアリー『望楼館追想』(創元文芸文庫)『アルヴァとイルヴァ』(文藝春秋)、〈アイアマンガー三部作〉『おちび』『飢渇の人』(以上、東京創元社)、M・L・ステッドマン『海を照らす光』(ハヤカワepi文庫)、B・J・ホラーズ編『モンスターズ 現代アメリカ傑作短篇集』(白水社)、デイヴィッド・マイケリス『スヌーピーの父 チャールズ・シュルツ伝』、デイヴィッド・フィンケル『帰還兵はなぜ自殺するのか』(以上、亜紀書房)ほか。著書に『雑な読書』『楽な読書』(シンコーミュージック)。


書名:『望楼館追想』
著者:エドワード・ケアリー
訳者:古屋美登里
叢書:創元文芸文庫
価格:1760円(1600円+税)
あらすじ:孤独で奇矯な住人ばかりが住む、歳月に埋もれたかのような集合住宅〈望楼館〉。だが、新たな入居者の存在が忘却の彼方にあった彼らの過去を揺り起こし……鬼才ケアリーのデビュー作にして比類なき傑作復活!! 著者による本書のための書き下ろしイラスト8枚を含むイラスト16枚を収録。訳者あとがき=古屋美登里/解説=皆川博子