父から娘への7つのおとぎ話
  訳者あとがき


 いきなりですが、著者の紹介から始めたいと思います。著者のアマンダ・ブロックはイギリス、スコットランドのエディンバラ最大の書店〈ウォーターストーンズ〉で働きつつ、作家になりたいとの夢を持ち続け、紆余曲折ありながらも短編作品の発表を経たのち、ついに自分だけの著書を出版するという念願を達成した女性です。出版後は精力的にツイッターなどで長編デビュー作の宣伝をして、自作への愛を発信しています。稀有(けう)とまでは言えませんが、これだけ強い意志をもって夢を追った著者について、まずはおよそのところを知っていただきましょう。
 生まれたのは、イギリス南西部のデヴォン州。二〇〇七年にエディンバラへ移って文芸創作課程の修士号を取得しました。その後、書店員だけでなくゴーストライターや編集の仕事をしたり、創作を教えたりもしながら夢を追い、ようやく二〇二一年に長編デビュー作のThe Lost Storyteller(本書)が出版されたのです。そのあいだに結婚し、女の子を出産しています。赤ちゃんを膝にのせてコンピュータに向かう姿をSNSで見かけました。忙しさも楽しんでしまう明るいお人柄のようです。
 そんななかで執筆された本書は、イギリスのニューススタンドでの売上が最大であるライフスタイルマガジン、〈woman & home〉が選ぶベストブックスの一冊になりました。また、二〇二二年五月には、〈ウォーターストーンズ〉が選ぶ今月のスコットランド本にも選出されています。〈ウォーターストーンズ〉で働きはじめてから十四年ほど経っていました。好きなことをしているとはいえ、夢に向かっているあいだは将来への不安もあったと思いますが、夢を叶えるにはあきらめずに続けることが大切だと再認識させてくれます。その後、二〇二二年九月には、アマンダは大きなお腹を抱えつつ二冊めの著作の初稿を書き上げ、第二子の誕生をいまかいまかと待っていると写真付きでツイートしています。のちにお尋ねしたところ、九月中旬に女の子を出産なさったそうです。現在はふたりめのお嬢さんの育休中ですが、二冊めの作品の出版をいまかいまかと待っているところでしょう。

 さて、本書の紹介に入ります。主人公のレベッカが住んでいるのは、イギリス南西部に位置するデヴォン州のエクセター。ロンドンまで車で三時間半ほどかかる地方の都市です。建築事務所の非正規社員として働くレベッカは、幼いころに父親が家を出ていったため、母親に育てられました。父親のレオはかつてBBCの人気子ども番組の主演俳優でしたが、レベッカはもう二十年ほど父親と会っていません。そんなレベッカのもとに、取材目的で彼女の父親を探しているという男性記者エリスから連絡がありました。それまで父親のことを心の奥にしまいこんできたレベッカでしたが、父親の生死すら知らない現状に疑問を持ち、父親が自分のために書いてくれたらしいおとぎ話の本を手がかりとして、その行方(ゆくえ)を追っていきます。著者は執筆にあたって神話やおとぎ話からひらめきを得ることが多いそうで、本書においても入れ子になっている七つのおとぎ話とメインストーリーが巧妙にからみ合って、味わい深い効果を上げています。
 著者自身、やさしくて面白い父親が大好きなので、父と娘の話を書こうと思ったそうです。記憶の底にある父親の姿を追い求める娘の複雑な心境が、胸に迫ってきます。繰り返して読むと、小さな手がかりがあちこちにちりばめられていることに気づくのですが、そんなわずかな手がかりから父親を探すという、ミステリの要素があるうえに、作中作となっている七つのおとぎ話がそれはもう摩訶(まか)不思議で、独創的で、単独で読んでも楽しめるばかりか、父親の状況や心理を驚くほどよく表しています。ミステリとおとぎ話が見事に融合し、互いを引き立て合って心地よい読み物になっているのです。
 また、脇役陣の存在も見逃せません。父親に見捨てられたと信じて育ったレベッカは、父親探しの過程でさまざまに悩みますが、それをさりげなく支えてくれるのが親友のエイミーです。小学校の最終学年のころ、エイミーはレベッカのお父さんのことを尋ねますが、レベッカが話題を変えると、その後いっさいエイミーがお父さんの話を持ち出すことはありませんでした。本当の友だちというのは、そういうものですよね。そんなエイミーにレベッカがネイルポリッシュを塗ってもらいながらガールズトークをする場面が、わたしは大好きです。
 さらにいい味を出しているのが、レベッカが動揺しているときに話を聞いてくれた、エリスの友人キャム。第一印象としてはそっけない男性なのですが、こんな言葉をレベッカにかけるのです。「彼らがどんな人間であるかをこっちが選ぶことはできない(中略)こっちが選べる唯一のことは、彼らを自分の人生の一部とするか否かだけなんだよ」と。こんな言葉をさりげなく聞かされたら、納得せざるを得ませんよね。わたしだったら、キャムにきゅんとしてしまうかもしれません。

 ところで、わたしは六年ほど前に『コードネーム・ヴェリティ』(エリザベス・ウェイン著)を東京創元社に持ちこんで翻訳をさせていただいてから、同じ著者による『ローズ・アンダーファイア』の翻訳も担当し、悲惨な歴史に翻弄(ほんろう)されつつも人とのつながりを大切にして強く生きる女性たちの姿を伝えてきました。そのおかげで、本を武器として超大国ソ連と戦う女性たちを描く『あの本は読まれているか』(ラーラ・プレスコット著)を訳すことになるという、うれしい展開があったのですが、今回もそのような思いがけないご縁がありました。
 そもそも何十年も前に翻訳の勉強を始めたとき、わたしは子どもの本が好きだったので児童文学コースを、さらには適性テストの結果、台詞(せりふ)の翻訳が合っているとのことで外国映画コースを選びました。本書の著者アマンダ・ブロックと同じようにあきらめずに何年も努力した結果、後者のほうは講師のアドバイスのおかげで先にあげたようなミステリ翻訳につながり、前者のほうはおとぎ話の翻訳につながるというご褒美に恵まれました。声をかけていただいて共訳をした『夜ふけに読みたい不思議なイギリスのおとぎ話』をはじめとする平凡社刊行のおとぎ話シリーズ六冊は、長らく忘れていた子どもの本の楽しい世界を思い出させてくれました。このシリーズの共訳の経験が本書の翻訳に結びついたことで、わたしのなかでミステリとおとぎ話がひとつになったのです。翻訳者として仕事をするようになって、そろそろ三十年という節目を迎えるのですが、そんな時期に本書の翻訳を任せていただき、ずっと別々のものだと思っていた分野がひとつになったことに、いま、しみじみとした思いが湧き上がってきています。
 主人公のレベッカは、わたしが主として訳してきた本の主人公とは異なり、大きな歴史の渦に巻き込まれて果敢(かかん)に戦うわけではありません。それでも、心の奥に封印してきた父親を探すには大きな勇気がいるはずで、ましてや自分は父親に見捨てられたのだと信じているわけですから、どれほど心細かったことでしょう。心に湧き起こるさまざまな感情に打ち勝とうと葛藤するレベッカには、大いに励まされますね。ひとつ成長したレベッカは、周囲の思惑を気にするあまり押し殺してきた自分を取り戻して、新しい世界で生きていくことでしょう。この本を訳したあと、わたしは我が身を振り返り、自分を抑えていないか、自分が本当にやりたいことは何なのか、自分というものをふたたび見つめ直してみたのでした。ささいではありますが、とても大切なことですよね。

 最後に、また著者のことに戻りますが、アマンダ・ブロックはとても気さくな方で、ツイッター(@ACBlockAuthor)やインスタグラム(@amandablockauthor)で自身の著書や生活のことなどを発信していますので、興味がおありでしたらごらんになってみてください。本書をお読みになった感想をお伝えしたら、きっと大喜びしてくれると思います。
 わたしは本書の謝辞に登場する著者のbrotherが兄か弟か知りたかったので、ツイッターのコメントを利用して質問してみました。お返事をいただけるか心配だったのですが、翌日には親しみをこめたコメントを返してくださって、弟であることがわかりました。さらには、日本では生まれた順番によって兄、弟、姉、妹というふうに区別することに興味を持ったらしく、「日本語って面白いのね。機会があったら日本語を勉強してみたいし、日本にも行ってみたいわ」などと書いてきてくれたのです。いつか彼女の著書に日本のことが出てくるかもしれませんね。

  二〇二二年十一月



■吉澤康子(よしざわ・やすこ)
津田塾大学学芸学部国際関係学科卒業。英米文学翻訳家。エリザベス・ウェイン『コードネーム・ヴェリティ』『ローズ・アンダーファイア』、ラーラ・プレスコット『あの本は読まれているか』など訳書多数。