もう一冊、歴史好きに特におすすめしたいのが、第五回創元ファンタジイ新人賞の佳作受賞作である上田朔也(うえだ・さくや)『ヴェネツィアの陰の末裔』(創元推理文庫 1000円+税)だ。舞台は十六世紀前半のヨーロッパ。歴史的には相次ぐフランスやオスマントルコとの対立で疲弊しきったヴェネツィアに、魔術師を駆使した諜報活動という変数を持ち込み、情報戦で大国と対等にわたりあう姿を虚実取り混ぜて描いた歴史改変もの。新人賞の選考会においては、設定の持つ可能性が生かしきれていないと指摘され大賞には至らなかったが、選考会での指摘を受け、一人称から三人称に変えて全面語り直した上で刊行された。
ハプスブルク家による元首暗殺計画を察知したヴェネツィアの魔術顧問官セラフィーニは、サン・マルコ広場に魔術師を配置し凶行を阻止する。しかしそれはさらに大きな陰謀劇の幕開けにすぎなかった……。ハプスブルクにオスマントルコなど、大国の権謀術数渦巻く動乱の中で、ヴェネツィアを守るために奔走する魔術師とその背中を守る護衛剣士のバディの活躍を描いた、胸熱な魔法アクション活劇としては纏(まと)まっているが、この設定、それだけではもったいない。さらなる続編の刊行を望む。
『彼岸の花嫁』(圷香織(あくつ・かおり)訳 創元推理文庫 1400円+税)は、『夜の獣、夢の少年』のヤンシィー・チュウのデビュー作で、死者との婚姻「冥婚(めいこん)」の習俗を題材にしたロマンチックなホラー。強引な金持ちのぼんぼん(ただし死者)に見初められた十八歳のリーランは、夜な夜な、夢の中で自己中な求愛を受けるうちに、自身も幽体離脱して死者と生者の狭間を彷徨(さまよ)うことに! 十九世紀のマラッカの浮世離れした上流社会と、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する割に妙に現実的な冥界のマラッカの情景が強く印象に残る。Netflixでドラマ化されているが、原作よりややコミカルな方向に振り、求婚者の外見が超イケメンに変更、これはこれで少女漫画っぽさが楽しい。
『迷(まよ)い家(が)』で日本ホラー小説大賞優秀賞を受賞した山吹静吽(やまぶき・せいうん)の受賞後第一作『夜の都』(KADOKAWA 1700円+税)も、古めかしい風景と異界の重なりが楽しい作品だ。こちらの舞台は一九二〇年代初頭の東京近郊。外国人ホテルに宿泊する十四歳の英国人の少女が、祠(ほこら)の井戸を覗き込んで冥界に迷い込む。助け出してくれた魔女の弟子にされ、冥界と現世を行き来しながら、亡者の魂送りを行う。聡明で進歩的な英国人の少女の視点から描くことで、魔女と此岸(しがん)と彼岸の境界が曖昧(あいまい)な東洋の習俗が同居する。
『ピラネージ』(原島文世(はらしま・ふみよ)訳 東京創元社 2400円+税)は、デビュー作『ジョナサン・ストレンジとミスター・ノレル』で幻想系の名だたる賞を独占したスザンナ・クラークによる十六年ぶりの第二長編だ。巨大な彫像が並ぶ広間が無数に連なる全貌の見えない巨大な館。神殿か博物館のようなその館にいるのは、ぼくと「もうひとり」と、そして十三人の骸骨だけだ。何年も館の調査をつづけるぼくは、ある日、遠くの広間で見知らぬ老人に遭遇。そしてこのイレギュラーな存在によって、自分は誰なのか、なぜここにいるのかなど、様々な疑問が芽生え始める……。展開はファンタジーではないが、彫像に波がうちよせる異界の幻想的な風景と、異界を求める心情が胸に響く。
■三村美衣(みむら・みい)
書評家。1962年生まれ。文庫解説や書評を多数執筆。共著書に『ライトノベル☆めった斬り!』が、共編著に『大人だって読みたい! 少女小説ガイド』がある。