フライトアテンダント経験を持つT・J・ニューマンの『フォーリング-墜落-』(吉野弘人訳 早川書房 2000円+税)は、これぞ現代の航空サスペンスという一作。飛行中でもインターネットで地上と繫がっているという前提のもとで物語が進む。
ロサンゼルス国際空港からニューヨークのジョン・F・ケネディ空港までコースタル航空416便を安全に飛ばすこと、それが機長であるビルの仕事だった。副操縦士やフライトアテンダントのジョーなどの仲間と共に、百四十四名の乗客を乗せて飛び立った彼に、妻キャリーのアドレスから一通のメールが届いた。件名も本文もない奇妙なそのメールには、ビルの自宅で妻と息子を写した画像が添付されていた。キャリーは、テロ犯が自爆する際に着るであろう爆薬を装備したベストを着せられている。そしてその直後、ビデオ通話アプリを通じて脅迫犯がビルに要求を突きつけてきた。飛行機を墜落させろ、さもなければ家族を殺すと……。
乗客の命と家族の命のどちらを選ぶか、という究極の問いを機長に投げかけた本書は、主に四本の糸で構成されている。操縦席で脅迫されているビル、客席側で奮闘するジョーたちフライトアテンダント、さらに脅迫犯と人質のキャリー、そして事件解決に奔走するFBI捜査官セオ(前述のジョーは彼の叔母だ)、という四本だ。それぞれの糸において中心人物たちは知恵を絞り、闘いを繰り広げる様(さま)が同時進行で絡(から)み合い、刺激が立体的に伝わってくる。
そしてその四本の糸が、メールやビデオ通話アプリといったテクノロジーによって接続されている点も本書の特徴である。たとえば、脅迫犯はこの技術を駆使して地上に居ながら機長を支配しているし、別の局面では、ある機転が思わぬかたちで無に帰すこともある。航空機内での乗っ取り犯との対決という従来型の航空サスペンスとは異なる新鮮な刺激に満ちているのだ。また、犯行動機にも着目したい。本書の犯人は、単純な絶対悪としてではなく、苦悩を抱えた人物として描かれている。それも、今日(こんにち)の世界情勢の問題を浮き彫りにするような苦悩であり、動機の面でも現代的なのだ。
なお、デビュー作のせいか若干の不満もあるが(固有名詞を備えた幾人かの乗客の心理はもう少し掘り下げて欲しいし、逆に第三十九章のフランク・シナトラは演出過多に思える)、全体としてはスピード感も緊迫感もあり、犯人側の仕掛けも周到で、数時間の一気読みというフライトを快適に過ごすことができた。
レオ・ブルースといえば、『三人の名探偵のための事件』(一九三六年発表、一九九八年邦訳刊行)をはじめとして、いくつもの作品が各種ミステリランキングで上位の評価を得てきた本格ミステリの人気作家だ。その彼のすべての短編を世界で初めて網羅(もうら)したのが、『レオ・ブルース短編全集』(小林晋訳 扶桑社ミステリー 1200円+税)である。ビーフ巡査部長とグリーブ巡査部長というおなじみの名探偵が登場する二十五篇を含む四十篇の収録作のうちの九篇は、なんと二〇一一年に発見されたタイプ原稿からの邦訳であり、出版物としては地球上で本書でしか読めないという貴重な短編である。
今回の刊行に至る経緯は訳者あとがきで詳述されており、一九九二年に当時判明していた二十八短編をすべて収録した短篇集を編んだパイク氏の序文や、タイプ原稿発見者のエヴァンズ氏が本書に寄せた文章とあわせ、本書の完成に携(たずさ)わった人々のレオ・ブルースへの熱が伝わってきて、なんだか嬉しくなる。
ちなみに収録作の多くは十頁(ページ)に満たないもので、事件の紹介から推理を経て真相へと一直線で進んでいく。そんなシンプルで味わい深い小品のなかで特に紹介しておきたいのは、悪事を企む警官の心理を描いて鮮やかに着地する「犯行現場にて」、逆転の発想が刺激的な「鶏が先か卵が先か」「沼沢地の鬼火」「逆向きの殺人」、皮肉な結末が心に残る「具合の悪い時」「カプセルの箱」、決め手となる証拠の説得力が抜群な「ガスの臭い」など。約三十頁の「ビーフのクリスマス」のトリックも素敵だ。
全短編を網羅するということで仕掛けの重複があったり、出来映えに凸凹(でこぼこ)もあるが、それを含めて愛すべき一冊だ。
■村上貴史(むらかみ・たかし)
書評家。1964年東京都生まれ。慶應義塾大学卒。文庫解説ほか、雑誌インタビューや書評などを担当。〈ミステリマガジン〉に作家インタヴュー「迷宮解体新書」を連載中。著書に『ミステリアス・ジャム・セッション 人気作家30人インタヴュー』、共著に『ミステリ・ベスト201』『日本ミステリー辞典』他。編著に『名探偵ベスト101』『刑事という生き方 警察小説アンソロジー』『葛藤する刑事たち 警察小説アンソロジー』がある。