その豊富なアイデアと凝らされた趣向の数々に、汲(く)めども尽きぬ泉を見ているような気持ちになる。

 芦辺拓(あしべ・たく)『名探偵は誰だ』(光文社 1900円+税)は、七つのフーダニット短編を収録した作品集。目次を見ると、「犯人でないのは誰だ」「捕まるのは誰だ」「殺されるのは誰だ」「罠をかけるのは誰だ」「生き残ったのは誰だ」「怪盗は誰だ」、そして表題作、というように単なる犯人探しではない、どれも変則的なものばかりだ。しかも、ただアレンジを加えるだけに留まらず、最後の最後まで読み手の意表を突き、ミステリファンの心をくすぐろうとする姿勢が貫かれていて、読み終えるまでに何度も舌を巻いてしまった。


 たとえば、ナイトクルーズ船で催されるパーティの席で、語り手であるキャバレーのオーナー・ママが、一発必中の伝説的スナイパーの姿を見て誰かが殺されることに気付く第三話「殺されるのは誰だ」における、クライマックスでひとつの答えが示されてからの、絵柄が片っ端から変わっていくような畳(たた)み掛け。焼け落ちた雪の山荘を警察が調べたところ、燃える前に七人の滞在者の間で殺人事件が起こっていた可能性が浮上し、ただひとり痕跡が確認できない人物=犯人(?)を推理する、筆者一番のお気に入りである第五話「生き残ったのは誰だ」の先入観を利用した大胆不敵な目くらましなど、短い枚数ながら最大限の効果が発揮されていて、あとがきで〝どんな作品にもトリックとロジックとサプライズを求めずにはいられない〟という著者らしく、じつに巧みだ。

 また、「怪盗は誰だ」の古きよき浪漫(ロマン)の香り、表題作の終盤に用意された最終話ならではの遊び心など芸の細かさも読みどころで、全体的な愉(たの)しさをいっそう膨らませてくれる。

 先ごろ、大阪の商人文化を扱った独自性と探偵小説が重要な役割を果たす堂々たる長編作品『大鞠家殺人事件』で日本推理作家協会賞と本格ミステリ大賞をW受賞した本格ミステリの雄(ゆう)は、短編もまた負けず劣(おと)らず素晴らしいことを、この一冊で改めて強く印象付けたといえる。

 潮谷験(しおたに・けん)『エンドロール』(講談社 1700円+税)は、コロナ禍に見舞われた若者たちと自殺を扱った長編作品。

 コロナ以降、急増する若い自殺者のなかに、命を絶つ前に『生命自立への歩み』と題した自伝を国会図書館に納本している者が二百名もいることが判明する。それは、集団服毒自殺を実行した哲学者――陰橋冬(かげはし・とう)に倣(なら)ったものだった。いっぽう、二十二歳の若さで亡くなったベストセラー作家――雨宮桜倉(あめみや・さくら)の弟である葉(よう)は、生前の姉と陰橋にたまたま接点があったことで遺作にまとわり付く、新たな自殺者を生み出しかねないという、いわれなき不名誉を拭(ぬぐ)うべく動き出す……。

 コロナに起因する若者たちの社会に対する絶望から生まれる、自分の命ごと社会を見捨てる反逆としての自殺。そのリアルな感触に序盤から目を奪われる。物語は自殺の是非をめぐるディスカッションへと移り、スリリングな駆け引きと驚きの展開が待ち構えているのだが、これはまだ前半の話。後半では謎解き要素が色を増し、よりミステリとしての趣向が際立(きわだ)っていく。

 加えて本作は、「物語」とそれに囚われた者についての話にもなっており、最後のページでは思わず目頭が熱くなってしまった。ミステリという器(うつわ)は使い古されたものではなく、現代を映し出し、普遍的なテーマを捉え直す新たな可能性がまだまだあることを本作によって痛感させられた。


■宇田川拓也(うだがわ・たくや)
書店員。1975年千葉県生まれ。ときわ書房本店勤務。文芸書、文庫、ノベルス担当。本の雑誌「ミステリー春夏冬中」ほか、書評や文庫解説を執筆。

紙魚の手帖Vol.05
倉知淳ほか
東京創元社
2022-06-13