みなさま夏は満喫できましたか。私は早々に外出パワーを使い果たしてTwitterとYouTubeを往復していました。実はスマホからも夏を摂取する方法があります。
inubot@inu_10kgお盆ゆっくりできた人も忙しかった人もお疲れさまでした
2022/08/15 07:54:09
泳ぐ犬見て今日も一日なんとか https://t.co/vfNIgVhFa3
そう、犬の川遊び動画ですね。耳に涼しい水音。入眠作用のある呼吸音。今日も外で遊んだぞ~と脳をだまして日々を早送りできます。
以前は「犬 川遊び」のようにざっくり検索をかけていましたが、最近は「バーニーズマウンテンドッグ 川遊び」など具体的に犬種を書き込めるようになりました。編集部に入り、犬の名前をたくさん知ったおかげです。
弊社編集部では天気の話と同程度に、ときにはセットで犬の話がされています。「こう暑いとぐでーっとしちゃって」とか「他の犬がいなくて公園で放してもらえるから、昔は雨が好きだったんだけど」とか。なんだかドッグランの世間話みたいですが、たまに東京創元社らしい会話も聞かれます。
幾月か前、犬の「鼻紋」が話題にあがりました。鼻紋とはざっくりいうと指紋の鼻バージョン。これが事前に登録されていれば、迷子犬の身元や健康状態が手軽にわかるようになる――という新聞記事をみんなで囲んでいました。ひとしきり意見が交わされたころ、ベテラン編集者Iさんが言いました。
I「でもこれ、犬の窃盗団は困りますよね」
私はちょっと考えました。たしかに窃盗団が盗んだ犬をお金に替えようとしたとき、鼻紋がきっかけで犯行が露見するかもしれません。窃盗団には困りごと、我々には喜ばしいこと……のはずです。しかし、Iさんは浮かない口ぶりでした。そのとき編集部の犬マイスターKKさんが言いました。
KK「あ、犬の窃盗団って犬を盗む人たちのことですか。私てっきり、犬で構成された窃盗団のことかと」
I「犬で構成された窃盗団のことですよ」
どちらも冗談を言っている調子ではなく、「さすがミステリもファンタジーも世に出す編集者……!」と変な感心をさせられる会話でした。
犬の窃盗団という言葉にも想像力をかきたてられます。犯行の下見に訪れ、窓に鼻をくっつけてしまう犬。そのガラスを分析するリンカーン・ライムのような犬(リンカーン・ラ犬)。あなたの町の犬は何者でしょうか。私が見抜いて差し上げますのでどうぞTwitter、YouTubeにご投稿ください。
ところで。
先日、エリック・マコーマック『雲』(訳:柴田元幸)を読みました。
薦めてくださったのは上述のIさん。「これ、すご~く変な本なんです」という、まさしく雲のように捉えどころのない言葉とともに『雲』を手渡されました。
物語は、語り手が古書店で『黒曜石雲』という本を見つけるところから始まります。そこに綴られていたのはスコットランドの町で起きた不可思議な出来事。語り手はその町に滞在していた過去を思い返し、半生の回想に沈んでいきます。
その回想の語り口がとてもよかったのです。
彼の家族を描いた第1章には、ヘビースモーカーの父親が煙草を捨て、足で踏んづける、というシーンがありました。粗暴な印象を与えかねない行為ですが、語り手は父親のセリフを書きつけるのを忘れません――「つかまえたぞ(ゴッチャ)!」。こんなふうに柔らかく切り取られた思い出を、心穏やかに読み進めました。
でも、しかし、とはいえ、やっぱり、徹頭徹尾、変な本ではあるのです。読み心地がよいのが不思議なほど、語り手は物語の各所でむごい出来事に見舞われます。なのに彼はその出来事を「優しさ」と書いたりする。強がりではなく本当にそういうものとして書くのです。寛容という言葉で片づけるにはあまりに変。変なのに、語りが巧みなせいか丸めこまれてしまう。
変といえば、冒頭の『黒曜石雲』をはじめ、無数の作中作を内包する本書の構造も変です。作中書籍からの引用だったり、伝え聞いた噂だったり、怪奇譚、艶笑譚、事実と虚構が混じりあい、しまいには私の読んでいた『雲』の正体さえ定まらなくしてしまいました。だからなにを読んだのかと問われると「変な本」と答えるしかない。
Iさんに感想をお伝えしたときも、「変です」「面白かったです」としか言えませんでした。いっそこの場を借りて感想を書こうと思ったのですが、読み返すとやっぱり「変」としか書けていません。この日記を「読書感想文」と題して、気分だけは幼少の夏に還ろうと目論んでいたのに。スマホがまだどこにもなく、犬でなく私が川に飛び込んでいたあの夏へ……。
なんにせよ、すごく変で、ものすごく面白い本ということなのです。