SFとは何の略語か、という話があって、サイエンス・フィクション(科学小説)だったりスペキュレイティヴ・フィクション(思弁小説)だったり、あるいはスコシ・フシギだったり。普通はジャンル的に重ならないだろう作品たちが、堂々とSFの名の下に並べられる矛盾が、現代SFの面白さであり、またクリティカル・ポイントだとも言えようか。
今回のイチオシ、アンディ・ウィアーの『プロジェクト・ヘイル・メアリー』(小野田和子 訳 早川書房(上・下) 各1800円+税)は、サイエンス・フィクションの中でもとくに科学的な正確さを重んじる〈ハードSF〉長編。
今回のイチオシ、アンディ・ウィアーの『プロジェクト・ヘイル・メアリー』(小野田和子 訳 早川書房(上・下) 各1800円+税)は、サイエンス・フィクションの中でもとくに科学的な正確さを重んじる〈ハードSF〉長編。
奇妙な白い部屋のベッドでロボットアームに起こされた「ぼく」は、記憶喪失に陥(おちい)っていたが、周囲を観察して科学的推論を働かせ自分が宇宙船の内部にいるらしいと推測する。また、間歇(かんけつ)的に蘇(よみがえ)ってくる過去の記憶から、未知の地球外生命体「アストロファージ」によって、地球の全生命が滅亡の危機にあり、どうやら自分は事態に対して決定的な役割を果たすべくここに存在するらしいと知る。現在のパートと過去パートの二つの語りが並行して進行し、ほぼ現在の知識と技術を基にした柔軟でロジカルな思考の積み重ねで、次々に現れる難問や危機を乗り越えていく物語はまさにサイエンス・フィクションの醍醐味(だいごみ)に溢(あふ)れる痛快な作品だ。
また地球外生命体に関連する生物学的なアイディアも素晴らしくややこしくて、それが解明されていく手続きのいかにもハードSF的な記述は絶妙。もちろん『オデッセイ』の題名で映画化されたベストセラー『火星の人』の作者らしく、「ぼく」の語りはひたすら軽快で自虐をちりばめたユーモアもたっぷり。どんな状況でも絶望せず、できることを着実にやっていくポジティヴな精神に満ちていて、物語後半に登場するキャラクターとの友情も含め、爽やかで感動的。上下巻総計六〇〇ページを超える大作だが一気読み必至の面白さだ。
そんな科学的思考と技術で危機を乗り越え、より良き未来を次世代に手渡そうとするサイエンス・フィクションの楽天的な姿勢をラディカルに批判したのが、『いかに終わるか 山野浩一発掘小説集』(岡和田晃(おかわだ・あきら)編 小鳥遊書房 2500円+税)の作者である。副題の通り、単行本未収録の作品を六〇年代、七〇年代、エッシャーの絵画とセットにされたショートショートの連作、未発表作品及び二〇一三年に発表された遺作、という四つのパートに構成し、それら作品を「発掘」した編者による周到な解説が付される。
また地球外生命体に関連する生物学的なアイディアも素晴らしくややこしくて、それが解明されていく手続きのいかにもハードSF的な記述は絶妙。もちろん『オデッセイ』の題名で映画化されたベストセラー『火星の人』の作者らしく、「ぼく」の語りはひたすら軽快で自虐をちりばめたユーモアもたっぷり。どんな状況でも絶望せず、できることを着実にやっていくポジティヴな精神に満ちていて、物語後半に登場するキャラクターとの友情も含め、爽やかで感動的。上下巻総計六〇〇ページを超える大作だが一気読み必至の面白さだ。
そんな科学的思考と技術で危機を乗り越え、より良き未来を次世代に手渡そうとするサイエンス・フィクションの楽天的な姿勢をラディカルに批判したのが、『いかに終わるか 山野浩一発掘小説集』(岡和田晃(おかわだ・あきら)編 小鳥遊書房 2500円+税)の作者である。副題の通り、単行本未収録の作品を六〇年代、七〇年代、エッシャーの絵画とセットにされたショートショートの連作、未発表作品及び二〇一三年に発表された遺作、という四つのパートに構成し、それら作品を「発掘」した編者による周到な解説が付される。
巻頭の「死滅世代」は、恋人が惨殺されるのをはじめ、儀式からゲリラの内戦まで次々に起こる殺人をただ傍観し続ける「私」が、宇宙飛行士となって火星へ赴(おもむ)き、地球の全生命が緩やかな死滅へ向かっていると知るという短編。あまりにも陰鬱(いんうつ)で編集者から単行本に収録するのを拒否されたという作者の述懐(じゅっかい)も素晴らしい。その他詳述するスペースがないのが残念だが、どれも冷たく突き放したような逆説が官能的なポエジーに昇華された傑作揃(ぞろ)いで、通読すると酩酊(めいてい)したようになる危ない本だ。
■渡邊利道(わたなべ・としみち)
作家・評論家。1969年生まれ。文庫解説や書評を多数執筆。2011年「独身者たちの宴 上田早夕里『華竜の宮』論」が第7回日本SF評論賞優秀賞を、12年「エヌ氏」で第3回創元SF短編賞飛浩隆賞を受賞。