自らのうちに闇を抱え、人々の欲望の澱をひきうけ、黒い運命を呼吸する……そんな魔道師を主人公にしたいくつもの作品の集合体である〈オーリエラントの魔道師〉シリーズ。読んでみたいけど、どこから読んだらいいかわからないという皆様、『イスランの白琥珀』から始めてみてはいかがでしょうか? 一見すると身勝手で人の迷惑を顧みないくたびれた中年の魔道師が主人公ですが、人は見かけによらないもの、実は……。

著者が特別に明かす、ここだけの裏話を公開します。まだ『イスランの白琥珀』を読んでいない人も、もう読んでしまった人も、魔法の世界への入口をくぐってオーリエラントの世界をお楽しみください。





『イスランの白琥珀』ここだけのちょっとしたあとがき

乾石 智子  

『イスランの白琥珀』は、「オーリエラント」シリーズの十作めにあたる本です。シリーズものというと、最初の1冊から読まなければならないと思う人が多いけれど、このシリーズは一話完結、どこから読んでも支障がありません。だからどうぞ、安心して読んでください。
 本作は、これまで書いてきた西側諸国からちょっと離れて、北東の大国イスリルを舞台にしています。寒い地域が中心になるので、植生や衣・食・住その他がすべて寒冷地仕様になっています。自然の様子もさることながら、食べ物や飲み物にも特殊性があるので、そちらも楽しんでもらえるかと思います。
 さて、ここだけの裏話を三つほど。
 主人公ヴュルナイにはモデルがいます。
 自分の「帝国」を持ち、犯罪者の世界で闊歩(かっぽ)する悪党で、敵陣にのりこむや、駆け引きも話し合いもすっ飛ばして、いきなり銃をぶっぱなし、数人をたちどころに殺してしまう男。酷薄、腹黒、自分勝手なくせに、芝居っ気も十分で、あけっぴろげで人懐こそうに見せ、口先三寸でまんまと相手をその気にさせてしまったりもします。
 あ、これ、お察しのとおり、実在の人物ではありません。とあるテレビドラマの主人公です。この裏表のある――しかもその裏側といったら底なしの深淵ときたもんだ――、謎めいた男に惹かれてしまってねえ。もしこんなのが現実にいるとしたら、
「あっち行ってよ、関わらないでよ」と剣突食らわせるだろうけれど、ドラマですからねえ。虚構の世界に遊べるのは人間の特権だと、つくづく思うわけです。
 そうなの、現実には誰もなかなかしないことを、このおじさんは平気でやってしまう。ちゃんと覚悟を決め、責任も自分でと……らないか。ちゃっかり他人にかぶせて口を拭う方だな。とにかく痛快な男です。他人の瑕疵(かし)や失言に目くじらを立ててこれでもかと非難する昨今の風潮を、鼻で笑って歯牙にもかけない。言いたいやつには言わせておけ、わたしはわたしだ、と肝が据わっている。それでいて、彼には彼なりの人間らしい心配事や悩み事もある。
 ヴュルナイは、この彼には及ばないものの、他人を引きずりまわして顧みない点や、口がうまく芝居達者な面が似ているのです。
 次の裏話。
『ヴィクトリアン・レディーのための秘密のガイド』(東京創元社刊)を読んだとき、石鹸の貴重性と重要性を知りました。ヴュルナイと御一行様を王宮に潜入させる手立てとして、この石鹸が大いに役に立ってくれました。ヒントをありがとう。
 三つめの裏話。
 イスリルの皇帝になれる条件として、「魔道師を生みだす者」をヴュルナイが確定させていくわけですが、次の世代からは、魔道師たちが皇帝候補をさがしに行くようになっていきます。探求力や透視力に優れた魔道師たちが、「大体あの辺にいるんじゃない?」と見当をつけて、旅に出る、ということになります。これは、チベット仏教で、ダライラマを新しく決めるときの慣習をヒントにさせていただきました。ダライラマが亡くなると、彼の生まれ変わりの少年を僧侶たちがさがしだし、テストをします。大机の上に、先代が愛用していた品物とまったく関わりのない品物を混ぜておき、少年に選ばせます。メガネ、財布、キセルなど、あやまたずに選べば、少年は先代の生まれ変わりと認められて、ダライラマになれるのです。イスリルの場合はもちろん、人を魔道師にできるか否か、という試験を経て、皇帝の座に就くようになるでしょう。そうなった場合、本当に力を持つのは、皇帝選出権を持つ魔道師たちです。派閥ができて権力闘争がひっきりなし、国内の争乱とおのれの力を示すための他国侵入、と、どろどろした世界に変わっていってしまいます。ヴュルナイはそのとき、泉下の人となっているのか、それともあくどい方法で世の中を渡っていくのか、それはまた別のお話……。
 ともあれ、今までとはちょっと毛色の違うおじさん魔道師の行き当たりばったりの道行きを楽しんでいただければ幸いです。