本書は2020年にジョージ・クルーニー製作・監督・主演、
マーク・L・スミス脚本で映画化され、
『ミッドナイト・スカイ』として公開された。

勝山海百合 Umiyuri KATSUYAMA

 
 この物語は北極圏の天文台にひとりでいる天文学者オーギーことオーガスティンと、木星探査船に乗務中の通信士サリー、二人の視点から交互に描かれる。
 オーギーは気鋭の天文学者として頭角を現し、世界各地の研究に必要な設備の整った施設を転々としながらめざましい成果をあげ、講演をすれば聴衆が押し寄せてサインを求めた。しかしどこの研究施設にも長くは留まらず、なにかあるとさっさと別の施設へ移る。オーギーには才能と研究分野で歴史に残りたいという野心があったが、人と親しく交わることはなかった。関係をもった相手は多くいたが一時的なもので終わらせ、ある女性は妊娠したが、オーギーに父親になる意志がなく、その決意は変わらないことを告げられ、覚悟はしていたもののひどく傷つく。のちに彼女が娘を産んだと知ったオーギーは、娘の五歳の誕生日に高価な天体望遠鏡をプレゼントする。名前もメッセージもなくとも誰から送られたものかはわかるだろうと考えて。何度か送った小切手は換金された。初めての贈り物から数年後、娘の写真が一葉オーギーに届く。以来二人の行方は知れなくなる。
 北極の薄明るい陽光の中、氷に開いた呼吸穴から顔を出したワモンアザラシを鋭い爪と筋力で狩るホッキョクグマを見て、オーギーは自分はあのホッキョクグマに劣らず愛を知らないと思う。ホッキョクグマは、巨大な四肢と強靭な筋骨をもち、黄ばんだ白い毛で覆われていた。七十八歳のオーギーはこの年を経た個体に惹かれる。
 母親は精神的な問題を抱え、父親からは十分な関心を向けられなかった子ども時代を経験したためか、オーギーは自分の家庭をもとうとせず、娘には多少の援助はしたものの親子の絆を育むことはなかった。過去の自身の残忍な仕打ちを償うように、オーギーしかいないはずの天文台に現れた少女アイリスを気にかけ面倒を見ることで、ありえたかも知れない過去を体験し、オーギーの心に愛のようなものが陽炎のように萌す。
 もう一人の主人公、木星探査から帰還中の宇宙船〈アイテル〉の通信士サリーは、地球に離婚した元夫と十代の娘を残していた。もっとも変化の大きい成長期の娘を見守りもせずに、自身のキャリアのために宇宙での長期の仕事を選んだことに後ろめたさを感じている。そのためか、ヒューストンでの二年間の訓練期間中に、カフェテラスで食事をする同僚イワノフの家族を垣間見たサリーは、自分が不法侵入者であるように感じられ足早に立ち去っている。
カトラリーを手に家族を笑わせるイワノフの妻の生き生きとした表情、綿毛のような髪の子どもたち、幼い子どもの世話をする面倒見のいい父親然としたイワノフが、サリーには眩しかった。羨ましいのでも妬ましいのでもなく、おそらく驚いたのだろう。彼女にとっては異文化に触れたようなものだったのではないか。
 他の乗組員にも家族がおり、地球との通信が途絶えて以来それぞれに苦しんでいたが、サリーは元夫の顔もよく思い出せないし、娘の写真も、このような事態になるとは思いもせず一葉だけしか持ってこなかった。自分の情の薄さのようなものを意識しつつ、彼女なりに苦しみはする。やがてサリーは地球からの電波を受信する。
 愛を知らないオーガスティンと、自身の愛情が少ないことを気に病むサリー。読者は読み進むにつれて、サリーはけして冷淡ではないとわかるし、オーギーのしたことは寛恕しがたいが、彼の酷薄な振る舞いには自己防衛的な意味があったと理解できるだろう。

 本書はリリー・ブルックス゠ダルトンの『世界の終わりの天文台』(佐田千織訳、創元海外SF叢書、二〇一八)を文庫化したものである。原著は二〇一六年にRandom Houseから刊行されたGood Morning, Midnight(ジーン・リースにも同題の著作があり、本作の冒頭で一部が引用されているものの本邦未訳)。二〇二〇年にジョージ・クルーニー製作・監督・主演、マーク・L・スミス脚本でNetflixによって映画化され、『ミッドナイト・スカイ』(原題The Midnight Sky)として劇場と配信で公開された。
 映画では、ジョージ・クルーニー演じるオーギーと幼い娘は一度だけ擦れ違う。オーギーがかつての恋人に再会すると、彼女はオーギーに娘を会わせることなく車で走り去ってしまう……彼女がオーギーにつけられた傷の深さ、修復できない断絶がよく表されていると思う。オーギーは娘の気配を感じることができたが、娘のほうは会ったこともない父親を車内から見てどう思ったかはわからない。娘の母親の態度は、獰猛な野生動物に遭ったときのような厳しいものだったから。
 また、印象的なイワノフ一家の食事の場面は映画には出てこないし、天文台から無線設備のあるヘイゼン湖の測候所にオーギーとアイリスがスノーモービルで向かうシークエンスは、映画のほうがずっとスリリングであった。
 このように、原作小説と映画は、大筋は一緒でもエピソードの拾いかたや膨らませかたなどが異なる。映画を観たあとに原作小説を読むと、オーギーという人物の過去がわかり、父親になることを選ばなかった理由も知ることができるし、〈アイテル〉の乗組員たちについても細かいエピソードの積み重ねで人柄がよくわかる。どちらを先に鑑賞しても問題ないと思うし、両方を鑑賞することで味わいが増すタイプの原作小説と映画ではないだろうか。
 ジョージ・クルーニーは、『ミッドナイト・スカイ』を製作するまえに『ゼロ・グラビティ』(原題Gravity、アルフォンソ・キュアロン監督、二〇一三)に出演している。この映画は、宇宙空間での船外活動中に大事故に遭ったメディカル・エンジニアのライアン(サンドラ・ブロック)が地球に生還しようとする物語で、クルーニーはベテラン宇宙飛行士マットを演じ、ライアンにアイデアを与え、励ます重要な役割を果たす。この映画の中に、ライアンが地球と無線で交信しようとして偶然、英語を解さないアニンガという人物と繫がるというシークエンスがある。ライアンの知らない言語で話すアニンガの声と、犬の鳴き声(ライアンも鳴き真似をし、アニンガも鳴いてみせる)、赤ん坊の声が数分だけライアンを地球に繫ぐ。この場面を、宇宙からの無線をキャッチしたアニンガ側から描いたスピンオフ短編映画『アニンガ』(原題Aningaaq、ホナス・キュアロン監督。アルフォンソ・キュアロンの息子)がYouTubeで公開されている。アニンガは北極に住むイヌイットの男性で、見渡す限りの雪の原にいる。離れたところに犬の群れ。雪の中の人間と宇宙にいるかれらを繫ぐ無線。『ゼロ・グラビティ』ではあっさりと描かれた部分を厚く補うようなところが『世界の終わりの天文台』にはあるように思える。

 リリー・ブルックス゠ダルトンは現在アメリカ合衆国ロサンゼルスに住んでおり、左の手首には波線とそれを貫く直線という意匠のタトゥーがある。このマークは本書にもしばしば登場している。
 二〇二二年十二月に、彼女の六年ぶりの著書The Light Pirate(光の海賊)がGrand Centralから上梓される予定だ。出版社のサイトによると、度重なるハリケーンの襲来と海水面の上昇によってインフラが機能不全に陥り、死に瀕するフロリダ州が舞台。強力なハリケーンが海岸沿いの小さな町に接近するなか、予定日より早く陣痛がきたフリーダは、unusual child(普通ではない、特別な子ども)を出産する。嵐の名前にちなんでワンダと名付けられた女の子は、フロリダの崩壊とともに成長する……。
 パンデミックで人口の九十九%が失われたのちの、文明が崩壊した世界を描いた『ステーション・イレブン』(エミリー・セントジョン・マンデル著、満園真木訳、小学館文庫)と、一九六〇年代のノースカロライナ州の湿地帯を舞台にした推理小説『ザリガニの鳴くところ』(ディーリア・オーエンズ著、友廣純訳、早川書房)を合わせたような読み味との評判だ。インフラが麻痺し文明的な生活が困難になった湿地帯か海洋での生活を丹念に描写した物語……ではないかと想像している。同書に興味がある向きには、リリー・ブルックス゠ダルトンの公式サイトをチェックしておくことを勧める。



【編集部付記:本稿は『世界の終わりの天文台』文庫版書き下ろし解説の転載です。】



■勝山海百合(かつやま・うみゆり)
岩手県生まれ。2006年「軍馬の帰還」で第四回ビーケーワン怪談大賞を受賞。また翌07年に「竜岩石」で第2回『幽』怪談文学賞短編部門優秀賞を受賞し、同作を含めた短編集竜岩石とただならぬ娘』により本格的にデビューを果たす。11年、『さざなみの国』で第23回日本ファンタジーノベル大賞を受賞。主な著作として『厨師、怪しい鍋と旅をする』『玉工乙女』『狂書伝』ほか、現代語訳を手がけた『只野真葛の奥州ばなし』などがある。また、既発表の翻訳短編にS・チョウイー・ルウ「沈黙のねうち」「稲妻マリー」「年々有魚」L・D・ルイス「シグナル」などがある。